現在のクスノキとイチョウ
↑2012年11月30日、16:34の聖護院八ッ橋総本店
この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2023の32日目の記事です。
以前、熊野寮構内に左京区の区民誇りの木が2本もある、と記載した。2023年年末に寮にお邪魔した際、誇りの木であることを示す看板を見つけたのでお伝えしたい。
・クスノキは寮構内北西部、正面入り口入ってすぐ右
・イチョウはバス停「熊野神社前」の裏の5,6本右側
・開寮2年後の1967年頃に色んな木が植樹された
誇りの木、クスノキ
左側の自転車置き場奥の木が区民の誇りの木と思っていたが、看板があったのは実は右側だ。正確には、抜けた看板が横たわっていたのだが、今もしっかり残っていた。よく見たら、左右で樹木の種類が異なる。右はクスノキの特徴である卵型の葉っぱと黒い実がある。
誇りの木、イチョウ
イチョウもバス停すぐ裏かと思っていたが、看板が立っていたのはそこから5,6本西側だった。グラウンド(私のときはフットサルコートと呼んでた)の西側コンテナの向かいだ。並んでいる中では確かに一番太い。
農学部の苗木
クスノキとイチョウに関しては、以前の記事でも記載したように、1956年の京大教育学部熊野校舎設立時から存在していた。その際の航空写真には、ほぼ植生がない。
寮構内の他の木はいつ頃の植樹だろうか。五十周年記念誌に、こんな記述を見つけた。
1967年、農学部教授であり当時の学生部長柏さんに交渉した結果、得られた苗木を寮生の皆で植えた。数日でスコップとツルハシまで届いている。なんだか楽しそうだ。
国土地理院のサイトにある、1975年の寮上空のカラー航空写真から、当時の植生を見てみよう。
北西角の樹々と、丸太町通りのイチョウ以外には大きな植生が確認できない。1967年に植樹された苗木は8年目ではまだ小さいようだ。2020年の状態と比較すると、植生の成長ぶりがよくわかる。
私の在寮していた2007年頃も、特にグラウンド付近は近寄りがたいジャングル状態だった。現在は剪定が定期的に行われており、しっかり土地活用されている。
大学側の資料にも、1967年と1968年の学生部長が柏祐賢さんであることが、京大文書館大学(紛争Ⅲ-2-3)、および京都大学百年史[第1編: 総説] 第7章: 京都大学の 再編と発展. p. 601)にそれぞれ示されている。
文中の「農学部の試験場」というのは現在の北部キャンパスにある農学部本部試験地を指すとみられ、1924(大正13)年から存在する。京大百年史には写真も豊富にある。
戦前は樺太や朝鮮半島や台湾にも演習林があったらしいぞ。
京都市みどり政策課
京都市みどり政策推進室曰く、当時の選定に関する記録をたどることは難しいが、「左京区『区民の誇りの木』の選定を終えて」という資料だけがヒントとして残っていた。
他は公式サイトの情報とほぼ変わらなかったが、地域の方々によって見守られた木々がきちんと選ばれたことが分かった。選定委員の一人である宮前保子さんは京大農学部卒の農学博士だ。2001年の博士論文のタイトルは「都市周辺地域における自然環境保全に関する計画学的研究」だ。京都市の職員さん、年の瀬のお忙しい時期にありがとうございました。
桃栗三年柿八年
ところで2005年の寮祭企画で桃と栗を植樹したらしいが、そういえば今頃どうなっとるんだろう。1967年以来の植樹の伝統を守ったのかもしれないし、特に何も考えてないのかもしれない。ご存じの方お教えくださいますと幸いです。
まとめ
熊野寮構内にある2000年に選定された左京区の区民の誇りの木は、2023年もきちんと看板が残されており、2本とも同定することが出来た。他に、寮内の植生の多くは1967年に農学部の試験場にあった苗木を団体交渉で手に入れ、皆で植えまくったことが後のジャングルを生むきっかけだった。
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