初めて寮にシャワーができた日
↑京都タワーから見える熊野寮の方向
この記事は、熊野寮OP. Advent Calendar 2022の6日目の記事です。
京都での学生時代の思い出を書く。かなり前のうろ覚えなので、もし当時の住人が読んでくれてたら、遠慮なくおかしな部分にツッコミを入れて欲しい。また、多分に当時の学生寮の身内ネタになるので、もし外部の方でより詳しく当時の環境を知りたい人は補足も随時追記するので読んでみて欲しい。実は、何周年かの記念誌作成の時に書けたらと思っていたので、モモンガさんにアドベントカレンダー記事募集のお誘い頂いたこの機会にありがたく書かせていただく。
シャワーが出来る前の時代
学生寮に3年ほど住んでいたことがある。1回生の夏ごろに、コインで稼働するシャワーが出来た。簡易な構成だが、10円で1分間お湯を浴びることができる。
築50年400人近くが住む建物なのに、それまで無かったことが今にしては驚きだった。同窓会などで、その頃を知らない後輩たちに「シャワー出来る前はどうされてたんですか?」と聞かれることが時々ある。思い起こせば確かに大変だった。寮では3年しか過ごしていないが、風呂文化の過渡期に在寮出来た経験を書き残してみたい。
シャワーが寮にない頃の学生ら過ごし方は、だいたい以下のタイプに分かれる。
1. 近所の銭湯派
2. ジムのスパ派
3. 体育館シャワー派
4. 友達の家で入る派
5. 風呂には入らない
1.銭湯に行く人たちが大多数だった。京都には昔ながらの銭湯がたくさんある。鴨川にかかる丸太橋を東に渡れば桜湯、自転車で北東側には5分ほどで平安湯や銀座湯とたくさんあって便利だった。しかも、寮生は顔パスで数十円安くしてくれるところもあった。よく22時ごろになると、談話室というゲームやら漫画の読める部屋で誰かしら「風呂行かん?」と誘ってくれるのをきっかけに、先輩と連れ立っていったものだった。
2.桜湯の正面にスポーツクラブがあり、学生料金で入れる。スパだけを目的に入る人もいた。
3. 体育館に体育会のシャワーがあり、無料だし部活帰りによく汗を流した。
4.生活に慣れた3回生くらいになると、寮外の友達なり付き合っている人なりの家に入り浸る寮生も出てくる。寮は門限もない。
5.当時はちょくちょくいた。感染症が広まり、公衆衛生の観念が新しくなった現在では考えられないかもしれないが、風呂に滅多に入らない仙人のような方々が実在した。独特な雰囲気というか、遠くからでもわかるというか、談話室にいらっしゃるとなぜか地元の養鶏場を思い出した。人間は数週間お風呂入らないとこうなるのか。女性も男性も混合で住む(※1)寮においてこれはよくない。
ただ、風呂が面倒だという気持ちもわからなくない。夜は寮でダラダラと過ごしたいのに、近くの銭湯は遅くても24時台には閉まってしまう。わざわざ風呂桶とタオルと石鹸をもっていってまた帰るのは正直面倒だ。雨の日はなおさらだ。
いっぽう、我々の熊野寮よりもっと古い、築百年を超える吉田寮にはコインシャワーがあった。寮のお祭りの日(※2)に友達と入った記憶がある。なぜに熊野寮には集団生活に大事なこの設備がないのか。
正確には、風呂は寮内にきちんと存在した時代があったのだが、ある時壊れて以降、ガラクタ置き場になっていた。いわば廃墟だった(※3)。私が入寮するよりも昔なので想像だが、修理にも金銭や労力が掛かって大変だったのだろう。学生は数年で入れ替わるし、誰か何とかしてくれると思う人が大多数で、誰も積極的に手が出なかったのかもしれない。家の水回りもそうだが、多人数が使うボイラー設備など、常にメンテナンスしないとそりゃ寿命が来るだろう。
シャワーの革命
冒頭のように、旧風呂場が工事されて解体し、個別に入れるコインシャワーが出来たとき住人は大喜びかというと、割と冷静に受け入れていた。というか、そんなに期待されていなかった。
寮では、住人が住人から声を吸い上げて予算を決め、毎年いろんな施策を自らの手で行っている。中には失敗する施策もあり、例えば自転車置き場の整頓のために導入した大量の自転車立ては、木造手作りだったために雨で腐り落ちて1年もたたずに廃棄された。コインシャワーも、以前の風呂場のようにまた故障して使われなくなるんじゃないかと思っていた人が多かったように思う。そんな雰囲気と裏腹に、とんでもない大人気施設となった。
1分10円という値段にもかかわらず、あっという間に儲けが出て予算が余りまくってしまったので、3分10円の大盤振る舞い期間である、通称シャワー祭りも定期的に開催された。管理担当のシャワー局は、当時寮で最大の予算を抱える局となり、集まりまくったお金をどうすべきかがしばらくの会議の課題となっていた。
毎週毎週、皆で大量の10円玉をドライヤーで乾かしては数え上げていた。奇跡的に、当時(2007年10月25日)の写真が昔のガラケーから見つかった。
400人も住んでいると数の力が凄い。単純計算でも、一日一人3分利用としても、住人のうち6割が毎日使えば、月の儲けは21万6000円にもなる。上記の、週一のコイン回収での写真に写っている分を数えると約4万4000円、だいたいあってる気がする。
そして、維持にかかる負担も凄い。簡素なコインシャワーはトラブルが毎日何かしら頻発していた。よくコイン詰まりを起こして止まり、コインが容量パンパンになっても動かなくなり、排水溝が抜けた髪などでたびたび目詰まりし、そもそもお湯が出ないことすらあった。そんなたびに、寮内の放送で呼び出される友達がいた。熊野寮シャワー局初代局長である。吉田寮まで一緒にシャワーを浴びに行ったことのある彼だ。
寮の公衆衛生を守り抜いた男
寮内は学生らで仕事を分担しており、シャワーは厚生部という部のシャワー局が担当していた。部ごとにどうしても忙しさの濃淡があるが、彼は中でも当時ぶっちぎりで忙殺されていた。
じゃんけんだか、くじ引きで決まったシャワー局長に就任して以降、毎日毎日シャワー関連で呼び出しを食らっていた。コインがつまれば開封して修理し、定期的な清掃で水が床に溜まるのを防止し、集まったコインはドライヤーで丁寧に乾かす。もう一人、厚生部の先輩がかなり手伝ってくれていたが、それでも手が回らない。事務室から「シャワーが故障です。シャワー局の方、誰かお越しください」と放送がかかるたびに、トラウマのように「死にて~」と叫びながらもさっさと修理に出かけて行った。行かないと延々と呼び出される。裸に近い状態で待っている人がいるのだ。
出来たばかりで人員も少ないシャワー局において、彼が担っていた範囲は相当広かったと思う。一人に仕事が偏らないように、当番を決めたりそもそも止まりにくいように整備したり、清掃頻度を上げたり、そういう恒久的な改善につながる工夫をする余裕もなかったと思う。開設当初、誰もそんなことになると予想してなかったのだから。
本来なら寮は、バイトや授業から帰ってきて、ゆっくりとTVゲームや麻雀やカードゲームやボードゲームおしゃべりでくつろぐ場所であるはずだ。しかし、彼にとっては戦場になっていた。400人もが昼も夜もひっきりなしに、男女合わせて6か所(うろ覚え)しかないシャワーを浴びに来るのだから、心が休まる暇がない。かなりキツイ。シャワーが稼いでくれてるからって、別に彼のお金になるわけでもない。でも放り出したり逃げたりもしなかった。
シャワー完成から半年ないし1年程度かけて、戦場はだんだん改善していった。シャワー局の人員を増やしたり、利用者のマナー向上に努めたり、恐怖の呼び出し頻度は結構少なくなったと思う。
一つ言えるのは、彼がいなかったらシャワー室は数か月で元の廃墟と化していただろう。何事も新しい立ち上げ時期がしんどい。
伝えたいこと
寮の生活はとても楽しかったが、一つ後悔があるとしたら、もうちょっと彼みたいな人を助けてあげてたらと思う。言い訳すると、それなりに部活や実験で忙しかった頃なのだけれど、それはみな同じだ。自分自身が、誰か何とかしてくれると思っていた側だった。
メーカで働いて8年以上になるが、今考えると彼含め寮の運営は物凄い価値があったと思う。会社では、給与や人事制度でもってやらねばならない仕事を複数人分担する仕組みを作って組織を回している。それでも仕事に偏りは生じ、フリーライダーな人は生まれてしまう。大枚はたいて導入した仕組みや装置も、ルールや責任を決めて運用しないと、すぐに形骸化してしまうのを何度も見てきた。いっぽう、何の利益も罰もないのに学生たちで運営出来ていたのは、全員が寮のために何かしら貢献していたからだと思う。
同窓会で寮を訪れた際、2022年の寮祭パンフの分厚さに驚いた。物凄い数のイベントが準備されていた。クラウドファウンディングを利用したり、新しい挑戦も多い。近年は感染症対策で相当大変だった年代だし、人と人のつながりも減ってないかと予想していたが、むしろ逆だった。こういう、伝統を守る気概とかでなく、面白いことを探して実行する姿勢が自然と連綿と続いてる点が素晴らしい。サルのたとえ話にあるが、大きな組織になると誰も意味も分からないまま昔からの不合理な慣習を守り続けてることもある。寮ではその真逆で、皆が少しずつ楽しくなるほうに向けたベクトルが、積算されて大きなパワーを生んでいる雰囲気がある。
もし、これを読んでる寮生含めて若い方は、サークルや部活など周りに困っている人がいたらちょっとでいいので積極的に手助けしてあげて欲しい。時間やお金がかからない、可能なことでいい。愚痴を聞いてあげるだけでもしんどさを減らす手助けになるかもしれない。
知見のまとめ
・生活の根幹に関わる設備は、単価が少額でもお金が集まる
・何事も導入だけでなく継続的な運用が大事
・困ってる人がいたら手伝おう
補足
※1 混合といっても男女で部屋は別々。
※2 学校公式の文化祭とは別に、吉田寮と熊野寮それぞれ文化祭のようなものが毎年開催されていた。
※3 全く別の問題が原因で、熊野寮が出来て以来、一度もお湯が焚かれたことがなかったことが後に記念誌から確認される。
入寮前、過激派のアジトが地下にあり、住人は過激派ばかりと京都市の方にいわれて死ぬほどビビった記憶がある。この時代に過激派って。寮に入ってみるとそんなことはなく、大体の人はノンポリというか普通の学生というか、過激な思想の持主ではなかった。ちょっと偏った思想の方々は少数確かにいらしたが、ビラ配りされているのを見かける程度で、直接関わることはなかった。洗脳してくるとか恐ろし気なことはない。たまに、機動隊の方々が寮に訪問されるイベントもあるが、学生の部屋にはまず入ってこない。物々しい雰囲気に見えて、授業行きますと言ったらノールックで外に通してくれてた。実は新人機動隊の方のための演習なんじゃないかという噂があったが、真相は今もわからない。いずれにせよ、毎年学生が入れ替わって雰囲気が変わっても、昔のイメージが周辺にお住まいの方には強く残っていたということなのだろう。
寮は安い。東大生の親の平均年収は1000万を超える、なんて話も聞いたことがあるが、お金のない苦学生とその家族を支えるものがないと、世代ごとにどんどん格差が開いてつまらん世の中になってしまうかもしれない。お金がなくても地方からでも誰でも進学できるように、寮は末永く続いていってほしいものですわ。
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