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あとがき

↑2008年8月22日頃の熊野寮A棟4階談話室
本記事は、同人誌「熊野寮と鴨東地域の交わり~熊野寮五十周年記念誌発刊十周年~」のあとがきです。

 この本をつくろうと思ったきっかけは、まえがきに記載しただけでなく複数ある。

 ・寮祭企画のOPアドベントカレンダーで書いた文章にイイネや感想がもらえたから
 ・東京での寮の同窓会に定期的に呼んでくれるから
 ・熊野寮五十周年記念誌に触発されたから
 ・当時その記念誌に書きそびれて悔しかったから
 ・記念誌の面白いページを共有したいから
 ・同期である初代シャワー局長の苦労を後進にも伝えたいから
 ・同人誌フェスの技術書典に参加して本を作ってみたくなったから
 ・父が一昨年病気で死にかけたから
 ・寮の歴史の調査研究をしたいから
 ・一回生のときクラス名簿委員だったのに原稿集めるだけで作らず逃げたから(T18の皆さんごめんなさい)
 ・2022、2023年の寮祭の熱気に感動したから
 ・寮と地域社会との積極的なかかわりを手伝いたいから
 ・係争中の吉田寮を応援したいから
 ・吉田寮の文書保管の丁寧さに触発されたから
 ・SNSで知った近年の大学の窮屈さをOP達に伝えたくなったから

 でも一番はやっぱり、「国会図書館で文献を掘り起こす楽しさを知ったから」だ。あれはすごい衝撃だった。小学生の時分、初めてネットの検索エンジンに触れて以来だ。例えば、国会図書館デジタルコレクションで私のひい祖父さんの名前を検索すると、卒業生代表として残した学校の答辞が見つかるのだ。優秀だったと母が言ってたのは本当だった。果ては、国会図書館で新聞マイクロフィルムをクルクルする楽しさも覚えれた。しかもほぼタダだ。

 入寮時のことを覚えている。母は高校の時から「色々先輩が教えてくれる」「食堂がある」としきりに勧めてきた。本当は、シンプルに家にお金がなかったからだろう。お金がないが口癖だったので、参考書の購入もいつからかこずかいで賄なっていた。母も福山短期大学で寮に住んでいた経験があり、上記の発言は嘘ではなかったと思う。合格手続きを手伝ってくれた父と、引っ越す前に一緒に熊野寮を見学したことがある。屋内にびっしり張られた、60年代からある学生運動のビラを見て、第一声は「懐かしい~!」であった。関西大学相撲部でマネージャーをしていた時代にもそういったビラはあったらしい。両親ともにやたらと入寮にポジティブなので、まあそういうもんかと新生活への不安が減ったように思う。4つ上の兄は大学生のとき、一軒家に下宿していたが、いかにも男一人暮らしらしい雑多さを保っていた。自然、一人暮らしへの憧れより孤独への恐怖の方が上回っていたのも入寮のきっかけの一つだった。今では、入寮を勧めてくれた母に感謝している。

 入寮前、過激派のアジトが地下にあり、住人は過激派ばかりと京都市の方にいわれて死ぬほどビビった記憶がある。この時代に過激派って。寮に入ってみるとそんなことはなく、大体の人はノンポリというか普通の学生というか、過激な思想の持主ではなかった。ちょっと偏った思想の方々は少数確かにいらしたが、ビラ配りされているのを見かける程度で、直接関わることはなかった。洗脳してくるとか恐ろし気なことはない。たまに、機動隊の方々が寮に訪問されるイベントもあるが、学生の部屋にはまず入ってこない。物々しい雰囲気に見えて、授業行きますと言ったらノールックで外に通してくれてた。実は新人機動隊の方のための演習なんじゃないかという噂があったが、真相は今もわからない。いずれにせよ、毎年学生が入れ替わって雰囲気が変わっても、昔のイメージが周辺にお住まいの方には強く残っていたということなのだろう。

 入学して嬉しかったことは、中学と高校のころから憧れていた翻訳家の青木薫さんに、ファンレターのお返事を頂けたことだ。「フェルマーの最終定理」「暗号解読」をはじめ、図書館の面白いノンフィクションサイエンスはだいたい青木さんの翻訳だった。理学部ご出身ならではの深い科学系知識によって、原著の良さが余すことなく伝わって来た。大学院で将来を悩んで原点に立ち返ろうとお送りしたファンレターのメールだったが、即日お返事を頂けて感激した。

 この本を作ったきっかけに話を戻そう。入学当時、正直言って構内にあるタテカンやビラがそんなに好きでなかった。一部の高品質なものを除いて多くは手作りだし汚いし、綺麗なキャンパスにそぐわないんじゃないかと眉を顰める「真面目な普通の」学生の一人だった。今考えると、あのタテカンやビラは「こんなんでいいんだから、お前も何か作ろうぜ」と誘ってくれていたのかもしれない。綺麗で上品なものしかなかったら、挑戦するハードルが高くなる。そもそも、見た目の良し悪しなどという自身の中にあった「当たり前」の価値観なぞ、大事にするほどのものでもなかった。何かを作ろうという気持ちにこそ意義がある。構内のタテカンやビラが無かったら、「こんなんでいいから、まず作ってみよう」という気持ちはまず生まれなかっただろう。

 色んな本の影響もある。「勇者たちの中学受験」は、ほぼ実話で構成された中学受験記だ。著者のおおたとしまささんは教育ノンフィクションライターで、偏差値重視の受験を批判されている。学校とは一つ一つ個性があり、それを子どもの個性とぴったり合うものを見つけることが大事なのだそうだ。私は田舎育ちで進学先の選択肢が少なく、学校観のものさしが偏差値しかない偏見に打撃を与えてくれた。京都大学や熊野寮とはどんな場所だったのか、再認識のきっかけになってくれた。

 どんな風に認識が変わったか。国会図書館や大学の検索システム紅リポジトリの文献を掘っていくうちに、自身の生活していた寮は結構凄い所だったのではないか、と思えるようになった。シャワーの設置は色々なきっかけが重なってできたものだ。寮自体、学生と大学の対話と交渉で生まれた。誕生後も、対話の積み重ねで運営されてきた。大学の掲げる対話を根幹とする自由の学風は単なるお題目でなく、実践されていたのだ。少なくともこの頃は。いっぽう、新旧の自由寮や宇治寮や光華寮など、すでに閉寮した過去の寮では、各寮の誕生、人々の生活、様々な形での閉寮、同窓会の形成などそれぞれの文化があった。寮ごとの「人生」とも言える。これは、寮だけでなく自治体や学校や工場など人が集まる場すべてがもっている。そうした認識をもつと、世界が新しいものに見えてくる。宇宙物理を習ったときと同じ感動が足元に広がっている。熊野寮は対話に基づく自由の寮だ。

 杉本恭子さんの「京大的文化辞典」と松本博文さんの「東大駒場寮物語」もたいへん参考になり、触発された。また、京都大学新聞の「吉田寮百年物語」も読みごたえがある。本文で光華寮にページを割いたのは、幼少期にドラマで見た山崎豊子さん原作の「大地の子」の、主人公である陸一心がそこに重なって見えたからだ。「二つの祖国」も名作なのでおススメしたい。はたまた、伊藤汎さんの「つるつる物語」も面白い。作者は蕎麦屋店主でもあり、日記などのわずかなヒントから大昔の料理を詳細に理解しており、探偵のようだった。なにより、西山夘三さんの本や資料はどれだけ参照したかわからない。旧制三高時代は自由寮にお住まいだったうえに、建築学教授時代は寮の設計相談役であり、漫画を描くのが大好きな記録魔だ。どの記事でも西山さんが顔を出すのは、私がファンだからではなく、学生時代から膨大で詳細な記録を残されているからだ。京大教職員組合の初代委員長でもある。住まいだけでなく、都市空間にまで研究範囲は及ぶ。市電保全や京都タワーおよび京都駅の建設反対など活動は多岐にわたり、京都の景観を議論するときは参考になると思う。関西に生まれ、高い観察力をもって空間設計から都市と世界を見つめた方だった。

 いっぽう、寮として熊野寮より大先輩である吉田寮に関しては独立した章で記載しきれなかった。各章ごとにまかれた記載から、存在感を感じていただけたら幸いである。現在の薬学部南側にあった、吉田西寮に関しても色々調べたかったが時間がなくて諦めた。ここから引っ越された熊野寮第一期生も多いはずだ。年末に吉田寮にお邪魔した際、中庭をご案内いただき、歯磨きしながら現状をつぶさにお教え頂いた。そのときの見知らぬ吉田寮生に感謝する。

 そして、2014年発刊の熊野寮五十周年記念誌を編集された方々に感謝する。私にとっては宝の山だ。寮の食堂で徹夜で読み漁った。寮生の皆さんはボリューム感に圧倒されるかもしれないが、ぜひちらっとでも一読してほしい、という思いを込めてたくさん引用した。この寄稿文依頼のあった10年前に、初代シャワー局長の頑張りに関して寄稿しそびれた。その悔しさが寮祭企画OP向けアドベントカレンダー2022および2023の記事になり、気づいたら本になった。記念誌編集委員の一人である、鈴木伸尚さんはこう書かれている。「二〇六五年、百周年記念誌が編まれる時、熊野寮という『自治空間』が時代に抗して存続し、楽しい寮生活とともに、現代の社会に問いを投げかけられる場所であることを祈念しています。」(同 p. 5)。「(記念誌企画は)きっかけに過ぎなくていいと思っている」(同 p. 400)。この言葉に改めて背中を押された。せっかく新たに本を作るなら、記念誌の単なる直線的な延長ではなく、対象とする時間と空間にもっと広がりがあっても良いはずだと考えた。つまり、開寮の1965年より過去までさかのぼり、寮敷地だけでなく、鴨川東側地域にまで調査の範囲を広げた。過去に何があったのか、好奇心の矢印および住まう人々が、寮より外へ、また外から寮へと交わりあえるような本をイメージした。そのため、タイトルは「歴史」や「記念誌」でなく「交わり」とした。章立ての順番は、寮内部から自然と外に足が向くように東竹屋町を中心にだいたいらせん状に配置した。

 五十周年記念誌編集委員だった鈴木さんと中原さんに先日Facebookでご連絡を取った際、カンパ(現金による応援)を願い出ると、それぞれ「カンパはぜひ後輩、現役寮生の企画にお願いいたします」「お気持ちだけで充分です」とのことだった。その精神こそ引き継いでいきたい。六十周年記念誌編集の発起人になる勇気はなかったことをここに謝罪する。2023年12月に調査して書きはじめ、2024年2月上旬の文芸フリマに間に合わせるには限界だった。そもそも工学部出身で歴史素人な私の力では、事実と異なる点や矛盾点が発見されるかもしれない。引用を明記し、固有名詞などは極力確認したが、お名前や年代や地名の間違えなどが万が一あれば、平に陳謝するしかない。調査というにはおこがましい内容ばかりになった。

 寮の文芸フリマというこの素晴らしいイベント、今回で第二回になる。寮の存在をPRすべく立ち上げられた、寮外連携局の方々に感謝する。立ち上げから短い期間で、素晴らしい活動実績を残されている。地域との連帯と融和の推進は大学より大学らしい活動でないだろうか。ビラ、裁判資料、雑記、議事録など昔の文献を漁っていると、争いや戦いの記録はしっかり残っているが、平和な時代の牧歌的な記述は少ない傾向に気づく。後者をたくさん残す活動は大事だ。これは予言というか予感なのだが、今後20~30年のうちに熊野寮からノーベル賞受賞者を輩出すると思う。2014年にノーベル物理学賞を受賞された赤崎勇さんは吉田寮のご出身であり、1940~1950年代ごろを吉田寮で過ごされた。ノーベル賞受賞が至上の目的ではないが、構内における自由の最前線である近年の熊野寮は、良い土壌を持っている気がするのだ。その土壌が生まれる課程は後世が調べるのに値する。

 昨年末、熊野寮五十周年記念誌を食堂でお貸し頂いた寮生に感謝する。実は、あのあとでA棟4階(略してA4)談話室も上下巻揃っていたのを確認できた。巻頭言を大川さんに頂き感謝する。現役寮生の言葉という、未来に向けた重要なピースを頂けた。年末に訪れたA4談話室で、寮の現在の様子が聞けてとても嬉しかった。あの時雑談のお相手をしてくれた寮生の皆様に感謝する。直接の知りあいが寮にいなくなると、退寮してOPとしてお邪魔するのは障壁が上がる。いい大人がなにしてるのか、社会人なのに学生と遊んでもらって大丈夫かこの人、すり寄って来て気持ち悪い。そんな風に思われないか心配だった。同じようなOPも多いかもしれない。2005年に始められた寮の同窓会、つまり同釜会は気兼ねなく遊びに来れる貴重な機会だ。初年度は20人だけの参加だったらしいので、毎年拡大してくれて嬉しい。この催しも、五十周年記念誌に始められたきっかけと思いが記載されている。記念誌とこの本がより広い世代をつなぎ、同釜会をより強固にしてくれれば嬉しい。

 ご引退された栄養士の長谷川さん始め炊事の職員さん、在寮中は毎日ご飯を作っていただきありがとうございました。勉強や授業に関して教えてくれた諸先輩、スマブラや麻雀で夜な夜な遊んでくれた皆さま、阿呆な話に付き合ってくれた同回生に後輩、ビデオ録画を使って就活の面接練習してくれた先輩、今でも関東で旅行や飲み会に誘ってくれる皆さんに感謝する。感謝の言葉を書き出したらきりがない。

 表紙と裏表紙は、それぞれ琵琶湖疏水夷川ダムの北に見える熊野寮A棟(最も南の棟)を、またA棟から南側に向けて撮影された談話室の景色を載せた。前者は2023年12月28日に撮影した。後者は、部活の友達の経済学部卒のSに、在寮中である2008年8月22日頃にA4談話室を撮影頂いた。15年も経過した先日、無理を承知でお写真がまだ残ってないか調べていただくと無事見つかり、ご提供いただき感謝する。これらの組み合わせは、時代と寮敷地を超えて交差する視線が、本を貫通する様子をイメージした。

 最後に、文書保管について。五十周年記念誌編集員の方々も記載されていたが、アーカイブが今後ますます大事になるだろう。紙の保存性とデジタルデータの検索性を両立したものが理想だ。保管のためには国会図書館や京大大学文書館など、外部の機関を活用する手段もある。それらがどう扱われるかは、未来の寮生たちや研究者次第だ。私が漁りまくったように、できたら未来の誰かが漁れるよう待ち構えてあげたい。個人情報など、困難もあるだろう。ただ、偉い人達の一方向から保存された記録は、住んでいた人間の生の声を反映できるものだろうか。2065年の百周年までチャンスはたくさんある。これまでも、有志によって写真集が作られたこともあるらしい。半端な年次だろうが低品質だろうが誰かと被ってようが、何か書いてしまえばよいのだ。この本が、誰かの新たなきっかけになることを願う。
 読んでくれてありがとうにゅう。

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