ペリー艦隊の弔砲
笛と太鼓の音が
箱館の街なかにひびきわたった
170年まえの嘉永7年
1854年のことであった
ペリーが箱館に来航したとき
水兵2人が、この異郷の地で病死した
従軍牧師を先頭に葬列が組まれ
剣をおびた士官が左右をあゆむ
それにつき従い 兵たちが横笛を吹き
ドラムをたたき
黒い布でおおわれた棺をかつぎ
おごそかに行進
土地の群衆も頭を垂れてつきそう
このときひびいたのが
ヘンデルの葬送行進曲であった
葬られたのは、函館山のふもとの高台
これが外国人墓地の始まりで
アメリカ、ドイツ、イタリア、ポルトガルなど
さまざまな国の人の墓碑が41基
ここにねむっている。
そのまわりにロシア正教、カソリック
中国人の墓地が後に造られた
ペリーは箱館を去るにあたり
遠い異郷の地に埋もれた
2人の水兵を弔うため
追悼文を刻んだ記念碑の設置を
松前藩に依頼している
その来航から100年後、1954年
ペリー来航記念100年祭にあたり
水兵がねむる墓碑の傍らで
記念碑の除幕式がおこなわれた
外つ国の海辺に眠り
憩へかし舟人よ憩いへかし
汝が試練(こころみ)は果てたり
汝が友の舟人等はこの記念(かたみ)を
ここに残せり
涙そそぐ人もありなん
幾年か雨風をしのぎ
祖国のために生命(いのち)献げし人に
ペリー艦隊は、水兵とのとわの別れに
半旗をかかげ艦上に整列し
弔砲を放ったにちがいない
墓地そばのCaféのご主人によれば
先祖の墓を探しもとめて
外国人がたまに訪れるという