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神主が狂った
坂本龍馬を従兄弟にもつ
土佐藩士・沢辺琢磨は、
江戸藩邸につめ、
武芸道場の師範代をつとめていた。
だが、あるとき、
彼の運命を左右する事件に巻きこまれる。
1857(安政4)年、時計事件。
道場の仲間と酒に酔って
古物商が落した風呂敷包みをひろい、
そのなかの金目の懐中時計を
仲間が質入れして足がついた。
そのころ、江戸にいた
龍馬は、琢磨に江戸から逃げよ、と。
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仙台、会津など奥羽をさまよい、越後で前島密に出会う。
のちに「郵便の父」といわれ、
箱館で航海術を学んだ前島は、
「箱館は文明開化の街、
いま日本で新しいことを学ぶなら
箱館しかない!」、
北を目指せ、と。
1858(安政5)年春、
箱館にわたった琢磨は、強盗を持ち前の剣術で撃退。
その縁で神明社(現・山之上大神宮)境内にある
道場を任されることに。
さらに神明社の宮司に後継ぎがいないと
懇願され婿養子となり神官となった。
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「邪教をひろめ、日本をロシアの属国とする気か!」
と殺める覚悟で、「頼もう」と
声をはりあげた攘夷論者の琢磨。
若く大男のロシア領事館付司祭ニコライに、
大刀を腰に語気鋭くせまった。
「邪教か否か、
ハリストス正教を知らずして
論ずることなかれ」
吾を一刀両断にするならハリストスの教えを
知ってから切れ」と、司祭。
「それも一理ある」と、
琢磨はニコライのもとに納得するまでかよった。
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1868(明治元)年、
師の品格と教えに魅せられ、
キリシタン禁教下でひそかに洗礼をうけ、
日本で最初の正教会信徒となった。
神道の祭司職が邪教へ改宗して、
「神主が狂った!」といわれ、
琢磨の家族はひどく困惑し
貧窮におちいった。
そのあと、東北で熱心な伝道をつづけ
投獄されたが、
禁教が解かれ自由となる。
ニコライ、妻子が待つ函館にもどり、やがて
日本初の司祭となった。
侮られても迫害を受けても一
途に信ずる道をあゆむ琢磨の姿に、
家族も信徒になり布教の手助けをした。
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新島襄の脱国にも一肌ぬぎ、
龍馬とは、江戸脱出以来会うことはなかった。
1913(大正2)年、
ニコライの後を追うようにその生涯を閉じた。
79歳、洗礼名はパウエル。
東京・青山墓地にねむる。