自分の役割を、究極までやりきる
基本的に、器用に物事をこなせるから、ある程度まで出来るようになったら自然と頭打ちがくることが多い。
高校の部活でも、好きな英語学習でもそれは同じ。個人的にすんごーくそのことに悩んでいて、どうにか突破口を得られないものかと思っていた。
で、自分の行動を振り返ってみたんだけど、どうしても
「限界までやりきる」
ことをせずに、まだ出来るなーーって余地を残して諦めてしまうことが多い。
ここからブレイクスルーを起こすには、と考えてみたらやっぱりあれだよなーーって思う。
そう!!やりきること!!である!!
(強調しすぎ(笑))
そもそも、こうやってここ一番で力を抜く生き方がクセになってしまうと、本当にここ一番で力を発揮できなくなってしまう。
結果はどうであれ、常に全力を尽くすこと。
当たり前すぎる教えだけど、これを常に実践できている人は少ないなぁと思う。
ある程度経験を積んでいくと、上手くいく方法がわかるようになる。
英語やスポーツなど。
けれど、そこに感動は存在しない。
上手くいくことにはいく。
けれど自分の心は腐っていく。
全力を出し尽くさず、妥協でつくられたものが人の心に届くことはない。
僕は高校野球がとっても好きで、よく甲子園にも行っていたんだけど、高校球児のプレーする姿が心をうつのは、きっとそこに全力を尽くすことに伴う清々しさがあるからだと思う。
結果より、アツさを感じたい。
そう思って、このネット全盛期の時代に、わざわざみんな甲子園まで足を運ぶのである。
で、全力でやりきることを大切にして生きている人ってやっぱり魅力的な人が多い。自分も、全力を尽くしてさらにnoteの更新をがんばろうと思った。
・どこかくすぶっている人
・なんだかマンネリ感に満ちた日常に飽き飽きしている人
・何かを変えたい人
いろんな人がこれを読んでくれていると思うんだけど、共通して乗り越えないといけないテーマは
「人のために、とにかく全力を尽くすこと」
これだと思う。
全力を尽くすだけだときっと片手落ちで、それだとやればやるほどエネルギーが枯渇してしまうと思う。
で、人のために全力を尽くしてみると、自然と滞っていた日常にもハリが出てきて、イキイキしてくる。
人はなんらかの役割を持って生きているわけだけど、役割がないと生きられないとも言えると思う。
今は、アメリカ式の自己啓発の影響で、セミリタイアして悠々自適に暮らそうぜーみたいなのがトレンドだけど、日本人にはそれは合わない。
そもそも、古典を読んでみてもわかるように、日本では神様ですら仕事をして、自分の役割を果たしている。
人の身体はまだまだわからないことだらけだが、人間の身体のあらゆる細胞は、なんらかの役割のために存在している。
母親になった途端に顔つきが変わるのは、体の細胞全てが母親という役割を果たすために全力を尽くしてくれるから。
90歳になっても、仕事で寿司を握れるのは、体の細胞全てに、美味しいお寿司を握るという役割を与えているから。
仕事上がりででクタクタなのに、脱水症状で倒れた息子をおんぶして病院を行脚できるのは、体の細胞全てに、父親として家庭を守るという役割を与えているから。
(ちなみにこれはうちの親父(笑))
だから、セミリタイアした人や、年金暮らしで毎日になんの目的もなく生きている老人が少しずつボケてきたり、寿命が縮んだりするのはなんら不思議なことじゃないと思う。
役割を全力で果たすからこそ、次がやってくる。
今の現状から次へ成長するのは、役割を全力で果たした先にある。
noteで記事を書く人は、全力で人のためになるnoteを書くことを役割にすればいい。
パートナーがいる人は、全力でパートナーを喜ばせること・幸せにすることを役割にすればいい。
役割はそもそも、今の自分のキャパを超えていることがとっても多い。
母親になるための準備を完璧にする人はいないし、社長になるための準備を完璧にしてから社長になる人はいない。
いつの間にか、気づいたら自分よりも少し上の役割を与えられて、それに従ううちに自分のステージが上がっていたという人がほとんどだと思う。
「役割を果たす=人を喜ばせること」
なので、役割に応じて、役割に合わせて自然と自分自身の成長もついてくる。
役割に応じた働きをするには、自分を成長させ続けることが必要不可欠だから。
だから、今仕事で、家庭でキャパオーバーの役割を与えられている人は、思い切ってそこに乗っかってみよう。
出来ることだけやっていても成長はないから。
そして、どんな結果になっても、自分の役割に向き合う姿勢そのものが必ず自分の人生にとってプラスになるから。
がんばれ!!応援してる!!
(この記事も、全力で書いてみた。今日から、エネルギー込めまくって記事を書きますよー( ̄∇ ̄*)ゞ)