【デザイン思考の処世術】受け入れがたいこの世界をどう生きるか
どうしても楽観的でポジティブ思考の自分。だから今日は敢えてこの世の負の側面に触れてみたい。今や多くの災いが世を覆い、色々な意味で世界は戦時下にある。でもその割にその切迫感は人によって異なる。以前この世がSweet Jail(甘く優雅な監獄)であると書いた。日本では特に「失われた30年」なんて言われ方もするけれど、柔らかく快適な真綿が少しずつ自分の首を絞めてくるような感覚。この感覚に気付いている人、或いはもっとダイレクトに世を憂いている人にとって今は受け入れがたい世の中でもある。
いずれにせよ、大人には今の世の中が「こうなった」直接的責任があるから自ら受け止めるとしても子供達に責任は無い。だからいま私は子供たちの未来のために出来ることだけを考えて日々生きている。今日はそんな意味からも、受け入れがたい世の中に悲観することなく、どう前向きに生きていくかについて、執るべき ”態度” ”意識” ”行動” ”発信” の4つで考えてみます。
■全く無関係に生きる
仏教で「花や草木は見られている時だけ存在する」という考え方がある。誰にも見られていなければ花や草木は存在しない。ちょっと愛らしくも感慨深い考え方です。そういえば現在の量子力学の研究では素粒子の位置は観測時(見られている時)にしか確定しない。なんとなく似ています。つまりこの世界で起きていることは捉え方一つであると。現代で一つ怖いのが、誰かに意図された仕組みに知らないうちに自分が加担させられてしまうこと。例えばSNSで、ついつい正義感をくすぐられて歴史も知らず現場も見ぬまま国際紛争について軽々しく言及してしまう事など。そんな罠に嵌まらぬためにはDisruptiveに、いっそのこと世の中で起きている(とされる)出来事とは全く無関係に生きるのも一つだと思います。
例えばメディアやSNS上の出来事は「見ている時だけ」存在する。とするなら見ていなければ存在しない。我が家には10年以上テレビを置いていない。その理由は、そこに映る出来事が真実であれフェイクであれ、見た瞬間から自分の意識に勝手に刷り込まれるような感覚が怖くなったから。まして最近のSNSやオンラインサービスは自分に無関係なことまで関係付けてくる。だから他人が用意したレンズを通して世界を見ることを止め、自分本来の感度を取り戻す。紛争であれ疫病であれ、情報にはしっかり関心を持ち監視を怠らない一方で、その情報を妄信せず、真偽に確証が得られるまでは「そんなの関係ねぇ♬」を貫くw。乱世には重宝するニヒリズムで自分の態度を常にエレガントに保つ。情報や関係を見定め、要らぬ物とは適切に決別することも今、重要なリテラシーと思います。
■理想の未来だけを意識する
米Princeton大学のGlobal Consciousness Project(地球規模意識プロジェクト)という、世界中に分散設置した乱数発生器が生成する乱数を観察することで物理世界と地球的規模の集合意識の相関関係を読み取る1998年から開始されたリサーチに於いて2001年9月11日の各国の乱数発生に大きな「乱れ」が見られたという。地球規模で多くの人が恐怖と悲しみを同時に経験したことが乱数発生に影響を与えたのか、と。この因果関係の真偽には諸説あるものの実に興味深い話です。人の集合意識の持つ計り知れないポテンシャル。
私は9.11で負の意識が乱数に影響を与えたのなら正の意識もまた物理世界に影響を与え得ると考えることは、同じ時刻に世界中で一斉にジャンプして地軸に影響を与えようとかいうイベント(笑)より意義があると思う。イメージは現実化するという言葉もある。私も日常できるだけ理想の未来の具体的なイメージを意識するようにしている。そして私の場合はデザインを通じ直接的に世の中に働きかける場もある。例えば企業や大学と実施している年間20~30回程のデザイン思考のワークショップを通じ未来志向の楽観(Be Optimistic)を実践できる人を育成している。輝ける未来をイメージする人が一人でも多くなればその集合知はきっと未来に影響を与えると信じます。
■「自立」「自律」し「自由」であること
アメリカの表現で「自由になる」ことをGet the license plateと言ったりします。今ちょうど、16歳になった長女が車の運転を練習していて、私も最近よく助手席に乗り込み練習に付き合っている。印象的なのは運転する時の娘の嬉々とした表情と眼差し!自分が初めて免許を取った時のことを思い返せば、車の運転は大人になったことを実感する経験だった。特にあの時、実感したのが「自立」と「自律」、そして「自由」。ルールを守り、正しく操作さえできればもう誰にも頼らず、好きな場所に何時だって自由に行くことができる。そう考えてみると、車の免許と同じくらい「自立」「自律」「自由」の3つを心の底から実感したのが“起業”だった。
自らの足で立ち、自分の意志で行動でき、何にも束縛されないということの尊さ。この「自立」「自律」「自由」はどんな生活領域に於いても最も重要であると思う。例えば住む場所、話す言語、個性や能力、仕事や趣味に於いても、まさしく公的免許を与えられているがごとく、常に「自立」「自律」し「自由」であること。そのための能力を獲得/発揮し、周りに周知するように行動できていれば、どんな危機が訪れてもパッシブなマインドに陥らず、常に能動的に生きていけるのではないでしょうか。
■行動を以て示す
私はこのnoteで自分の考えと同時に旅や日常生活、デザイン活動や実践しているワークショップなど出来る限り自分の”リアルな行動”を発信するようにしています。「くち」よりも「身体」で示すよう心掛けている。
米国のティーンエイジャーがよくオトナに“Hypocrite!(ヒポクリット)“と言うのを目にする。Hypocriteとは”言ってるコトとやってるコトが正反対のズルい人=偽善者“という意味。ティーンエイジャーから見て大人は大抵Hypocriteに映るのでしょう(笑)。でも今や子供から見た大人以上に、米国のみならず国や国際機関の指導者や権力者の多くにこの“Hypocrite”が世界中で蔓延っているように見える。
本音とは真逆の言い回しで周囲を欺きながら言論や世間を誘導するパターンが国際政治や国家間の諸問題、国内の政治や行政、制度設計などあらゆる側面に見える。まして今は言葉であれ映像であれ情報は幾らでも捏造(つく)れる時代だから余計に「くち」だけでは信用できない。その人物が「実際にどう行動しているか」を正しく知ることで初めて判断の材料にできる。だから、いつどんな風にどんな考えの元でどんなことを行っているか包み隠さずCristal Clear(完全に透明)に発信していくことが大切です。
多くの人が透明性の高い行動と発信に努め、それが“カッコ良い“こととして認知されていけば、対極にあるHypocrite(偽善)を”ダサいこと“として周知し、そして今、社会に蔓延している偽善的な風潮を一掃していけると。是非オトナは率先していきたいものです!
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