【二律背反のススメ】コントラストの境界が育む創造性
最近楽しく感じること。それは自社の経営管理と企業や大学のコンサルティングの傍らで、工業デザインやUXデザインの創造活動も並行してやれていること。いわば「頭」と「手」の両方をバランスよく動かせている。プレイングマネージャなんていう言葉もありますが、フリーランサーには常にその両方が否応なく求められる。両面を巧く熟せるようになると相乗効果が生まれる。創造性が管理やコンサルにも活かされ、管理やコンサルの頭脳作業が意外な創造を誘発もする。頭と手。それは思考と行動、堆積と閃き、インプットとアウトプットに似て対極し連動する。最近は何に携わっていてもこうした対極性の中に創造性を見出すことが良くあります。今日はそんなことについて書いてみます。
ハイブリッドな環境を先取りして如何に“遊ぶ”か
今、ガッツリ開発に携わっているのがリアルとリモートの融合したハイブリッドな環境を活かして人の創造性を拡張する空間のデザインです(残念ながらこれ以上は言えませんが!😉)。Zoomの浸透と同時にリモートワークで活用が進んだMIROなども非常に良く出来ていますが、環境変化で社会が大きく変容していく中、今までのオフィスワークとリモートワークが共存、或いは融合していくとすれば、そこにはまだまだ多くの価値創造のチャンスがあると思っています。例えば人の「気配」。
通信機器のデザイン開発に長年携わった経験上、ネットワーク(デジタル)を介して人の気配(アナログ)をどう伝えるか?というテーマ。これは30年以上前から議論されてきましたが、未だにコレ!という解決に至っていないテーマでもあります。私が思うに一つのカギは「遊び」。ハイブリッド空間だからこその“遊び方”にヒントがあるように思います。今まさにそんなプロトタイプをある企業と、あるクリエータの方とコラボ開発中(お披露目まで乞うご期待!)。リアルとバーチャル、デジタルとアナログの両方の可能性を最大に引き出す新たな生活空間の創造!無限の未来感に胸躍ります。
Humor Centered Design
そんな開発の手前、元々生粋の工業デザイナーである自分がいつも楽しく見つめている分野の一つがIoT。最近はIoE(Internet of Everything)なんて呼び方もあるようですが、中でも個人的には超アナログなものにデジタルやネットワークが居合わせたときのミスマッチな驚きが好きです。例えば、巻き尺のメタファを応用したデジアナメジャー”Rollova” 、オーディオアンプのダイヤルノブのメタファを模した骨伝導スピーカー”Humbird Speaker” 、銘柄に適した量の空気を混合するデジタルワインポワラー”Aveine”など。チャーミングなウィットと同時に「それ必要か?」的な知的冗長性も帯びる。
Human Centered というと人間中心設計、人間工学的な意味合いで捉えがちですが、より人の感性に寄り添い、その価値を最大化するような技術やサービスのことをそう呼び直しても良いでしょう。あるクライアントとのディスカッションでは ”Humanity” Centeredと呼ぶ意見もありましたが大いに賛成です。私はさらにその先へリードする価値創造の方角にHumor(ユーモア)を置きたい。ユーモアは人を笑わせる諧謔性と考えられがちですが、私にとってユーモアは人間本来の知性の頂点にあるものと捉えています。テクノロジーによって再発見されるユーモアという文脈に魅惑を感じます。
二律背反の両極を見つめ、両方を肯定する
ところで私には自分の全ての行動に適用すると決めているルールがあります。その一つが50%ルール。どんな事象、どんな事物にも正しさと間違いが50%ずつ存在すると考えることです。簡単な例は人。よく自分に合う合わないで人を区別してしまう人がいますが、それは自分で自分の人生を生きづらくしているように見える。どんな人の言うことにも50%の正しさと50%の間違いがある。自分の言うことにさえ必ずその両方がある(だからこそ言う時には気を付けるし責任を持つ)。そう考えると楽だし、実際そうだと思います。「これに関しては自分が絶対に正しい」などとは絶対に思わない。証明された科学理論でさえ何年か後には新説によって覆るのが世の常。ほんの一時の正義を妄信できる理由などない、というのが私の考え方です。
旬な話で言えば、ガソリン車にも電気自動車にもそれぞれに美点と欠点があるでしょう。どんな理由にせよ電気が絶対正義な訳は無い。こういう議論を聞いているだけで息苦しく感じてしまう。二律背反の両極を見つめ、常に両方を肯定すること。これは優柔不断とは違う。両方に公正に、正しさと間違いを適切に見出す。陰陽の図が示すように陰の中には陽が、陽の中には陰が常に同居している。私から見れば今世界中が騒ぎ、多くの人が恐怖し悲観するウィルス騒ぎや監視社会にさえ(企てる側の失敗も含め…笑)楽観できる要素を探すことが出来る。だから私自身は現下の騒ぎの渦中にあってもどこ吹く風で楽しく生きて居られる。デザイン思考なら何も恐れず、どんな暗雲の下にも光明を見出すことで常にエレガントに行動していくことができると思います。
強烈なコントラストの境界にこそ宿る創造の機知
遍くすべての事象に正誤の両方を嗅ぎ取ったり、背反する両極を肯定するのは昔からの私の思考上のクセですが、特にベイエリアに住んでその傾向はますます顕著になった。それは恐らくテクノロジーと共存するカリフォルニアの豊かな自然の存在が大きい。私自身デジタル技術の恩恵に与りつつも、一方で、対極にあるヒッピーカルチャーやサーフィンなど自然の恩恵にもドップリ浸かっている。テクノロジーと自然が織りなす眩いコントラスト。そんなコントラストの境界に身を置いているからなんだと思います。
例えば私達家族が愛して止まないサウスベイの海に面する街、カーメル。ハワイのカイルアビーチに似た海岸の超高級住宅地や、美しくも何処か可愛らしくもあるダウンタウン、そして俳優で今や名映画監督のクリント・イーストウッド氏が市長を務めたことでも有名ですが、実は、この街には信号が無い。信号が無くとも互いの順番をカウントして進行するルールがあるため皆、整然と通行していく。日本的感覚なら信号が無いと交通が滞ると思ってしまいがちですが、その時点で思考停止してしまう。人の感性や機知を伸長する環境に身を置くことは重要だと思います。
眩いコントラストの境界に身を置き、進化とレガシーの両方を肯定しながら、社会に流布される常識を疑い、何事も妄信しない姿勢を貫くことで、時より跋扈する不可解な出来事にも惑わされず、楽しく瑞々しく生きていける。難しいことはさておき、最も愛すべきは常に人を笑顔にすること。コレに尽きますね。