5. 「因果応報」
先週、ネットフリックスでとても面白い海外ドラマを観ました。
「Sweet Tooth」
皆さんはもう観られましたか?シーズン3まであるのですが、あまりに面白くて、私は一気に最後まで観てしまいました。
ネタバレしないように詳細は割愛しますが、何も知りたくない!、という方は、この
noteはここまでにして、まずSweet Toothをご覧になってから戻って来てください。
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話の都合上、物語の設定だけお話させて頂きます。
時は現代、ある日突然、人類だけに感染する致死率100%のウイルスが世界中に蔓延し、人々が次々と倒れていく中で、更に同時に発生した現象として、生まれていくる人間の子どもたちが全て、誰一人例外なく、地球上の別の生物とのハイブリッドになるという、突拍子もない近未来・世紀末型SFです。
どうですか?これを聞いただけでもすぐ観てみたくなるでしょう???続きはぜひ、ネットフリックスでお楽しみください。
この物語のテーマがまさに、「因果応報」です。自分の都合だけを押し通して、わがままに際限なく地球上にはびこる人類への、強烈なアンチテーゼです。好き勝手に資源を漁り、森を壊して海を汚し、街を作り続けて、平気な顔をしている。地球上のありとあらゆる他の生命を絶滅に追いやっていても、一人一人の個人は「私は何もわかりません。一所懸命生きているだけです。」と知らぬふりで、資源の搾取と都市化を続ける人類。物語の至るところで、「やりすぎた人類に対する、地球からの天罰」というメッセージが出て参ります。
私がSweet Toothを観終えてまず驚いたのは、この「地球からの天罰で、地球が人類を造り替える」という発想が、キリスト教の国アメリカから出てきたことです。
キリスト教は有史以来、イスラム教やユダヤ教と同じく、人間は唯一絶対の神の創造物であるという立場です。そのため、神のお姿を、神の創造物である人間が勝手に創るのはけしからん、ということで、偶像崇拝は固く禁止されています。今でもダメです。ユダヤ教やイスラム教でも同じで、神の形をした偶像はこの世には一つも存在しない訳です。
ところが、形のないものを崇めろというほど、庶民にとってはとても分かり難いものはありません。空気を拝め、という訳ですから。そのためキリスト教会は考えました。少しでも多くの信者を獲得するために、イエス・キリストを神と同じように崇め、彼の偶像を作り、その前に跪き、讃美歌を歌い、大仰な儀式を行って、庶民にとって分かりやすく布教活動を行うことで、急速に権威を拡大させていきました。
ですが、唯一絶対の神を、キリストの姿を借りて実質、偶像崇拝してしまっている、という大いなる矛盾が解決しない限りは、異端となってしまいます。その矛盾を解決するため、キリストの死後、300年に亘って壮絶な神学論争が行われました。キリスト教徒の中に多くの宗派が生まれ、それぞれがキリストを実質、神と崇める教会の権威を保護するための色々な理屈を立て、議論を戦わせました。
この壮大な議論のターニングポイントが、三位一体です。325年に行われた二カイア公会議において、「三位一体=Trinity」すなわち、父(神)と子(キリスト)と精霊(精霊)は一体で同じもの、という説を標榜するアタナシウス派への支持を表明しました。
これにより、イエス・キリストは単なる預言者(神の代弁者)ではなく、神と一体となり、キリストを偶像崇拝する教会の権威が保護されたのです。
ですが、三位一体は非常に分かり難い。1つは3つで、3つは1つ、何のこっちゃ?ということですよね。そのため、それ以後も数百年間はこの曖昧な立場に対する議論は続き、時には意見の相違からキリスト教徒同士で血みどろの戦争にもなりつつ、800年頃にようやく現在の形に定着したと言われています(それでも、ユニテリアンやモルモンなど、異端派と呼ばれる一部の方たちは、現在も三位一体を否定し、偶像崇拝を禁止しています)。
神の創造主たる絶対性を、1000年近くかけて血みどろの論争を経て整理してきた彼らから、「地球が人類に怒って、人間の子供を皆ハイブリッドにしてしまう。」という発想が生まれたことに、素直に驚きました。
Sweet Toothの元ネタは、アメリカのDCコミック社という、マーベル社と並ぶアメリカの2大マンガ出版社が、2009年から4年間かけて連載したベストセラーマンガです。そして今回のドラマの制作総指揮を務めたのは、マーベルの大ヒット映画「アイアンマン」の主人公を演じた、ロバート・ダウニー・Jrさんです。正にアメリカン・サブ・カルチャーの、オールスターキャストと言っても過言ではありません。
翻って東洋を見れば、ヒンズー教や仏教の「輪廻」や、「業=カルマ」と言った考え方は、正しく今回のテーマである「因果応報」です。これは、私たちの倫理観に根深く染み付いている一つの教えです。日本人にとって、「地球に生かされている」「悪いことをすれば、巡り巡って必ず自分にも悪いことが降りかかってくる」という発想は、極めて自然に受け入れ易い行動規範です。我々の考える善が、マンガというサブカルチャーを通じて、世界の人々にも共通の善として受け入れられたような気がして、とても温かい気持ちになりました。
作品の中では主人公の少年が、人間の欲深さや自分勝手さに翻弄されながらも、その反面で人間の持つ優しさや素晴らしさに触れ、救われることで、それを信じて奔走します。仏教で言うところの利他の精神ですね。大好きなセリフはこれです。
“You got nothing to live for, until you got something to die for.”
僕も彼に負けないよう、周囲のお世話になったみなさんのために少しでお役に立てるようまた頑張ろうと、心から思っています。