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7.You got nothing to live for, until you got something to die for.

先日、「5.因果応報」というエッセイの中で、ネットフリックスのドラマ「Sweet Tooth」を見て感動した、というお話をさせて頂きました。

その中に出てくる元NFLのスター選手だった、アフリカ系アメリカ人の大男が口にする言葉がこの、

「In life, you got nothing to live for, until you got something to die for.」

です。彼はこう言った後、自分とは縁もゆかりもない、見ず知らずの主人公の子供を、自らの命に替えてでも守り抜こうとするのでした。

実はこの言葉には、元ネタがあります。誰だと思いますか?
あの、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師です。彼は自らの支持者であるアフリカ系アメリカ人の平和的な非暴力差別抵抗活動を、こう言って鼓舞したのです。

「If you’ve got nothing worth dying for, you’ve got nothing worth living for!」

キング牧師の演説と言えば、1963年のワシントン大行進で、奴隷解放宣言100周年を記念して、リンカーン記念堂の前に集まった20万人の大観衆の前で行った「I have a dream!」で始まる一連の名演説が余りにも有名ですが、それ以外にも数多くの名言を残されており、これもその一つといえます。

キング牧師の提唱した運動は、徹底した「非暴力主義」でした。インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され、自らがプロテスタント・バプティスト派の牧師であったことも相俟って、一切抵抗しない、完全完璧な非暴力を貫き通しました。
キング牧師の非暴力運動は、単発的で弱腰な非暴力ではありません。それは大衆市民であるアフリカ系アメリカ人の「不服従」を強く促すものです。
1954年9月に端を発したモンゴメリー・バス・ボイコット事件では、ローザ・パークスさんという女性がバス内で白人に席を譲らなかったことで逮捕されたことに抗議して、(アフリカ系アメリカ人を収入源としていた)市営バスを382日間に亘って一切使わず、皆で自家用車などをうまく使い回して抵抗を続けたという、極めて実効性の高いものでした。またこの活動は、アメリカの公民権運動に大衆が始めて参加したという点でも実に画期的でした。その結果、1956年に連邦最高裁判所からバス利用に関する人種差別容認に対する違憲判決が出て、大成功を収めました。また、この運動の成功によって公民権運動はアメリカ全土に広がっていき、その中でキング牧師はリーダー的役割を果たすことになるのです。

さてここで質問です。皆さんには、自分の命に替えてでも守りたいと思うものがありますか?
即座に「ある!」とお答えになられた貴方は、おそらく私と同じくらい幸せ者です。なぜなら、キング牧師がおっしゃる通り、死を覚悟することと、生きることは、同じだからです。そして私にも、自らの命に替えてでも守りたいものが一つあります。それは私の家族です。
貴方の守りたいものは何ですか?守りたいものがあることは、素晴らしいことです。
一方、「ない。。」とお答えになられた貴方、大丈夫。貴方にもきっと見つかるはずです。焦らず周りを見渡して見ましょう。命に替えてでも守りたいものは、普段はあって当たり前、気をつけないと見過ごしてしまうような近くに、あるような気が致します。

キング牧師が自らの命に替えてでも守りたかったものは「自由」でした。1964年7月、ジョンソン大統領の協力もあり、公民権法(Civil Right Act)が制定、建国以来200年間続いた、法による人種差別が遂に撤廃されました。更に同年キング牧師は、アメリカにおける人種差別を終わらせるための非暴力抵抗運動の功績を讃えられ、ノーベル平和賞を受賞しました。ところがその4年後、1968年にテネシー州メンフィスのモーテルで、白人男性のジェームズ・アール・レイが放った銃弾が喉から脊髄に達し、39歳の若さでこの世を去ります。後のレーガン政権は彼の功績を讃え、彼の誕生日に最も近い1月の第3月曜日をキング牧師記念日(Martin Luther King, Jr. Day)として祝日にしました。

アトランタにある彼の墓標には、こう記してあります。

「Free at last, Free at last, Thank God Almighty I’m Free at last.」

39歳の短い生涯を通じて命に替えてでも守りたかった「自由」を、彼は遂に得る事ができたのです。

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