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英語と日本型教育の話

ボストンの街はかなり冷え込んできて、今週末は最低気温が-10度。逆に室内はセントラルヒーティングでかなり暖かく、外と中の気温差に体力を奪われるという、日本の夏のような体験をしています(逆だけど)。ちなみに冒頭の写真はベランダからの風景です。子供が雪だるま作りに成功してガッツポーズしているのを見ながら書いています。

体は初めて生活する気候に徐々に順応しているところですが、学校の方は17日に秋学期が終わり、既に2年間のうち4分の1が経過。徐々に慣れていこうとは言っていられなくなってきましたが、一旦は長い冬休みに入ります。

さて、滞っていた更新をせねばと、何となく書き始めたら、教育手法の話になっていました。


多種多様な学生に何を教えるか

ケネディスクールにやってくる学生の共通項は、社会に公的な立場から何かしらの貢献をしたいというマインドを持っていること。おそらくこれが唯一の共通項で、あとは相当多様なバックグラウンドを持つ学生が集まっています。法律家、投資銀行、コンサル、政府、国際機関、NPO・NGO、ジャーナリスト、ビッグテック、インフラ、軍隊・・・。この学校に行きつくことになった人生のストーリーも十人十色で、友人と話していると驚かされます。

まさにこの多様性がケネディスクールの強みで、日々、他の学生との会話が自分の狭い視野を広げてくれるのですが、一方でそれだけ広範な目的意識を持った学生を抱えていることは弱みにもなるのかなと思っています。というのも、すべての学生に刺さるような授業を構成することが相当難度の高いことだからです。例えば、経済学や統計学の授業では、理論的・数学的な背景を深く学ぶというよりも、理論を現実社会に適用するためにはどうしたらよいかという実践的な側面に重きが置かれています。このため、教授が学生に問を投げかけて、考えさせたり議論させたりする形で授業は進みます。こうした議論から得られるものは多いのですが、理論的な学びを期待している学生からすると物足りなく感じると思います。まだ必修しか取っていないのですが、弱みだと自分が思う部分があれば、選択科目やクロスレジスター(学部やマサチューセッツ工科大学の授業が受講できるシステム)を使って、一つずつ潰していく必要がありそうです。

ちなみに、教授によってスタイルは異なりますが、一昔前に日本でも話題になったハーバード白熱教室(マイケル・サンデル教授)のような教学手法が基本ですね。ときどき凄まじくパッションに溢れた教授がいて、学びどうこうというより、どこからそのエネルギーが湧いてくるのだ?とその熱量に感心してしまいます。

英語と日本型教育の話

さて、最初の投稿のときは、英語力はまあ3か月くらいで何とかなるっしょとかなり楽観的なことを書いていたのですが、既に4か月が経過していました。振り返ってみると、急にブレイクスルーのようなものが訪れて成長を感じたり、逆に少し停滞・後退してしまったりというのを何度か繰り返しながら、少しずつ力がついてきた気がします。

例えば授業中の発言に関していえば、
・ノートに文章を書きだしてから手を挙げる。
・頭の中で文章を組み立ててから手を挙げる。
・頭にイメージが浮かんだら手を挙げる。
という成長段階があるとすると、第三段階まで秋学期のうちに到達したいなと思っていましたが、結局、その手前くらいで終わりました。

イメージが浮かんだ瞬間に手を挙げるのは、学生が70人いる教室ではまだ怖さがありましたね。純粋な言語的なハードルはもちろんありますが、心理的なハードルと混然一体としている部分があります。あとはそもそも発言内容の質が良いかどうかというのも。いま自分は言語的な壁を感じているのか、それとも、そもそも自分の能力・積極性が足りないのか、授業に限らず自問自答しています。

ブレイクスルーに関しては、以前よりも友人との集まりで皆の笑いが取れているなとか、しょうもないことで測っていますが、これはこれで結構大事だと思います。サッカー日本代表・長友選手の、母語以外の環境に飛び込んで輪の中心になってしまう凄さがよく分かりました(笑)

ちなみに、おそらく学校教育の違いはありますが、特に欧米の学生は、何かアイディアを思いつくまでのスピードと、それを発言するまでのスピードが相当速い人が多いです(英語力を抜きにしても)。だから日本教育がダメなんだというつもりはなく、初等中等教育で育てている能力が違うのだと思います。少なくとも自分が受けてきた教育では、即興力やディスカッションの能力よりも、じっくり問題に向き合わせることで深い思考力を育てようとするものが中心でしたし、それはそれで貴重な能力だと思います。別の米国大学院に通う日本人の友人は、日本の教育は深く考えさせる過程で、思考の体力(粘り強く考え続ける力)のようなものを育てているとも話していました。確かに。日本の公教育の良さは生かしながら、国際社会で当たり負けしない人材をどうやって育てるか。とりあえず、私はもう少し食らいついて、周りの学生の良いところを盗みたいと思います(笑)

PS 何人か翻訳してまで読んでくれている友達を発見して執筆欲が高まりました。


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