8年ぶり5大会目のオリンピックに向けて
元社会人野球選手のスポーツマーケターが、8年ぶりにオリンピックマーケティングを担当し、パリ大会の成功を目指す挫折と挑戦のお話。
挫折からのスタート
私がスポーツマーケターの道を歩むきっかけは、社会人野球選手後のキャリアの模索からでした。野球選手として、オリンピックを夢見ましたが、その夢は実現しませんでした。
引退という現実は厳しく、その挫折感は計り知れませんでしたが、全てを失ったと感じたこの経験が新たな道を切り開く原動力となりました。ビジネスマンとしてスポーツに、オリンピックに携わりたいと目標を設定して取り組みました。
オリンピックマーケターとしての第一歩
2010年のバンクーバーオリンピックで、スポーツマーケターとしてのキャリアが始まりました。初めてのオリンピック、最初の仕事はモーグル会場での映像撮影でした。
モーグル会場で感じた熱気と興奮は、スポーツとマーケティングの融合に対する情熱を燃え上がらせました。
続くロンドン2012では機器納入とオンサイトプロモーション。ソチ2014ではお客様招待プログラムであるホスピタリティも担当するなど、様々な経験を積み重ね、2016年のリオデジャネイロオリンピックでオリンピックマーケティング責任者としての役割を果たすこととなりました。
リオオリンピックでは、大小多くの課題に直面しましたが、チームと共にそれらを乗り越え、成功に導くことができました。特に、東京オリンピックに向けて、現場でたくさんの皆さんとの意見交換は大きな財産となりました。
2度目の挫折とアメリカでの挑戦
リオオリンピック後、私はアメリカに5年間出向することになりました。リオオリンピック閉会式後の深夜に伝えられたアメリカ出向への内示。
東京オリンピックプロジェクトから外れることに対する落胆は凄まじかったです。頭では米国出向は良い話だと思いながらも、心がついていかずその夜は涙したことを覚えています。
しかし、アメリカでの新たな環境は私にとって大きな挑戦であり、成長の機会でもありました。特に、2020年の東京オリンピックに向けた米国アスリートとのソーシャルグッド・キャンペーンは、私のキャリアにおける一つの転機となりました。
コロナ禍という未曾有の逆境の中で、アスリートやチームメンバーと共に試行錯誤しながら、オンラインを活用したイベントなどを行うなど、ソーシャルグッド・キャンペーンを継続し、成功に導くことができました。
この経験は、私にとって非常に貴重なものであり、マーケティングの力を再認識するきっかけとなりました。
日本への帰任と新たな挑戦
2021年に日本へ帰任しましたが、2年間はオリンピックに携わることなく、ブランド部門の戦略企画担当としての役割を担いました。
この期間はブランド担当役員のもと、部門運営業務で挫折の日々でもありましたが、同時に役員のもとマーケティングを学んだり、マネジメントを学ぶ貴重な機会でもありました。戦略企画の立案や実行を通じて、経営管理やマネジメントのスキルを磨くことができました。
パリオリンピックへの情熱と準備
2024年4月、8年ぶりにオリンピックの舞台に戻ることになりました。今の挑戦は、パリオリンピックでのブランドプロモーションです。この3カ月間は、これまでの経験を全て注ぎ込んで、無我夢中で取り組んできました。
パリオリンピックまで残り3日となった今日、パリに到着しました。パリの街並み、フランスの文化、そしてスポーツの魅力を最大限に活かしたプロモーションを展開するために、パリの現場でしかわからないこと、感じたことをもって最良の判断を行うべく努力します。
振り返ってみると、私のキャリアは挫折と挑戦の連続でした。野球選手としての夢を諦めたことが、新たなキャリアのスタートとなり、多くの経験と成長をもたらしました。スポーツマーケターとしての道を歩む中で、多くの仲間やアスリートとの出会いがありました。彼らとの絆が、私の原動力となっています。
そして、今、再びオリンピックという大舞台に立つことができることを誇りに思います。残り3日。パリオリンピックの成功のために、これまでの経験と情熱を全て注ぎ込みます。
スポーツを通じて世界中の人々に感動と喜びを届けることを目指し、さらに成長していきたいです。