コンビニ人間を読んで。普通教の日本人
コンビニ人間という小説を読んだ。芥川賞受賞作らしい。すごい。
読んで思ったのは、日本人における「普通」ってまるで宗教みたいだな、ということだ。
「普通」を崇拝する「普通教」の人々にとっては、この作品の主人公は「異端者」であり、排除すべき人間なのだろう。
私はこうした日本の「普通」を求める風潮が窮屈で仕方なかった。大学生になると「普通教」に馴染めなくなり、社会に対して幾分反抗的な気持ちを持っていた。結果として大学卒業後は「普通」ではなくなってしまった。
今となって考えると、「普通であること」は素晴らしいことだと思う。高校→大学→社会人→結婚と何の問題もなく「普通」をこなせる人達を私は尊敬している。
ある意味宗教と同じようなものだと思う。だから私が周りの人から「なぜちゃんと就職しないの?」とか「恋人は?(あるいは結婚は)?」とか言われたとしても、「この人は「普通」を崇拝しているんだなあ。」と思って受け流すようにしている。
結局、「普通」に生きることが出来るのならそうすればいいし、「普通」に生きるのがしんどいのなら自分に最適な生き方を模索していくしかないのだ。日本社会も、「普通でない」人達をある程度許容する余裕があればもう少し平和になるかも知れない。
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