たった一人の「良き」
たかが毎日noteを書くだけというアクションが日常に挟まるだけで、一日の時間の使い方は大きく異なっていく。本来ならば別のことをしているはずの時間を差し置いてこれを書いていることになる。本音を言うならば晩御飯を作り始めておきたい時間帯でもあるし、机の上を整理整頓したいのである。読みかけの本も全然読めていないので内容を忘れないうちに読み進めたいし、全く手につけていない小説もいい加減に書きたい。もはや小説を書きたいなんてことはこの毎日noteの中で言い続けているのだが、もう本当に書きたいのである。一秒でもいいから書きたい。でも書けない。
小説を書けないことを、毎日noteを書いていることにより時間が取れないからだと言い訳にしている節がある。これは大変見苦しい言い訳の類である。なんでそんな言い訳をするのだろうか。別にこの日記を書いていようとも書いておらずとも、おそらく自分は小説に向き合うこともできていないであろうくせに。といえば少々辛辣か。
しかしそんな言い訳を心地よく思っている。暇でだらだら時間を食い潰すよりかは遥かにマシだと思っている。暇を持て余すときっと自分はいろいろとネガティブな考え事が爆発して病んでしまうに違いない。だから心身を壊さない程度に忙しくしておく必要がある。
執筆は自分が病んでしまわないための予防なのだ。
以前2日間ほどの休暇をもらったのだが、これがまた病みに病んだ。さざなみ日記の8月12日あたりだろうか。ついこの前の出来事であるが、その辺の自分は果てしなく病んでいて、文章もまともに書けないメンタルであった。一行も書きたくないくらい、書くのが億劫であった。その時を思い出すのも嫌になる。
しかしそれでも、気合なのか何なのか分からん力で2000文字書き切ったのだから我ながら大したものである。その時のことを振り返るのは苦痛だけれども、今の自分に自信として繋がっているのもまた事実である。忍耐力もまともになく、何かを成し遂げることのなかった自分が、半月経った今でもnoteを更新し続けている。これは一体どういうご了見、といった話である。
漠然すぎて説明のつかない話ではあるが、こんなささいな日記でも誰かには見てほしいのである。それは閲覧数多ければ多いほどいいものでもないし、かといって誰一人見てもらわないのでは意味がない。一人いれば大したものである。もっと厳密に言うと、一人が「良き」と思うのが大事なのである。
このたった一人の「良き」がなかなかに難しい。
なんなら100人にとりあえず自分の作品に目を通してもらうだけよりも難しいことだと思っている。
100人だろうが1万人だろうが、ただ自分の書いたものに目を通してもらって、何も覚えてはくれないような、そんな状況よりも遥かに価値のあることだと考えている。
「良き」、これは一体なんなんだろう。自分の中では答えが確立されているが、説明するのが難しい。
昨今では「いいね」や「高評価」「good 」などなどさまざまな表現で示されるボタンなるものがインターネット上のコンテンツに仕組まれている。このnoteにだって「スキ」ボタンがあってみんな面白い記事があればポチポチ押していることだろう。
それはそれとして大変ありがたいものである。しかしこの話をしたいのかというと少し違うと思う。
何が違うのかというと難しいのだが、「良き」は数の問題ではないと漠然と考えている。
音楽なり小説なり絵なり映画なり、まあなんでもいいのだがそういった創作物に触れて、感じていくことに、「いいね」一つで収まるものではない感動だって存在する。
そしてそれが持続することだってある。
好きなミュージシャンは何歳になっても愛おしいものだ。
好きなアニメのキャラクター然り、好きな映画然りと、好きなものはその好きな気持ちが長々と持続していく。
そうやって好きの気持ちが延々と続いていくような期待感、そう続いてくれたら嬉しいと思えるもの、それが「良き」というものなのではないか。
そういったものを創っていきたいと思っている。
昨今のネット界隈では、とにかくフォロワー数やいいねの数で競いすぎだ。
フォロワーの少ない自分が言うと卑屈に聞こえるかもしれないが、数なんてものは多分あんまり意味はないと思う。
というより、意味を持たせると怖いと思う。
好きという気持ちには宇宙とも言えるべき世界の広さがあると思う。
いろんな色があって、いろんな方向がある。形がある。
だから宇宙のようだ。
人の気持ちは宇宙なのだと思う。
その広大な好きの気持ちを、単なる「1いいね」に換算して本当に大丈夫だろうかと心配になる。
「たいして好きでもないけれど流行っているから」の「いいね」も
「めちゃくちゃ大好きでこれからも応援したいです」の「いいね」も
全部同じ数に換算されてしまう。
それはとても怖く、虚しいものだと思う。
だから自分はたとえ「1いいね」でいいから、その「1いいね」をしてくれた人が本当に「良き」と思えるものができたら、悔いはないだろうという話。
そんな話でした。
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