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無駄ではない記憶。


毎日note更新も2週間となる。

毎度のこと、意地でも2000文字を書き切るものだから、頭の中から引き出せることも、そうそうなくなってきている。

それでもいざ書き始めると、なんだかんだで書こうと思えることが出てきたりする。不思議なもんだ。


こうやって、つぶさにタイピングしていて思うのだが、一向にブラインドタッチがうまくならない。
ブラインドどころか、少しでも早くタイピングをしようものなら、あっという間に誤字脱字の嵐である。
どうやら正しいタイピングのやり方があるようだが、自分は今までそのやり方を参照することはなく、全くもって適当にキーボードを叩き続けてきた。

おかげさまでこんな有様である。
こんな有様と言っても、これを読んでくれる人に見せることは不可能なのだが。
是非見せてあげたい。なんの得にもならんだろうけれど。




ところで、今日はいつもより静かな夜な気がする。


現在夜の9時である。

ここ札幌では観光シーズンということもあり観光客の数が増え、大通公園では一週間にもわたりビアガーデンが開催されていたりと、なんとも騒々しい。
なので、最近の夜のすすきのはたくさんの人たちで、意味わからんほどにごった返す。


しかしふと気づいたのだが、今夜はやけに静かである。
今住んでいるこのマンションはすすきのからそう遠くもないのだから、普段だったら遠くの方から騒がしい音が部屋まで届いてきたりするものである。
人の音以外にも救急車のサイレンや、たくさんの車の行き交うエンジン音とか、クレーン車の作業音、バイクの迷惑音などなどもある。

それでも騒音というには遠すぎる音で、静かすぎる環境が苦手な自分にとってはちょうど良い賑わいである。

そんなほどよい賑わいも、なんだか今日は小さい気がする。気がするだけだろうか。
あまり意識して聞いていなかったから、どれくらいの音だったか覚えていない。
流石に三連休も終わると、少しは観光客も落ち着いてきた頃だというのか。





以前住んでいた、幌平橋駅の近くのマンスリーマンションは、今住んでいるマンションと違い、静かすぎて薄気味悪かった。


幌平橋駅の辺りは、中島公園を沿うようにたくさんのマンションやホテルがあるのにも関わらず、いやにしんとしている。
中島公園自体はそれなりの人がいるはずなのに、異常な寂しさだった。

しかも飲食店やスーパー、コンビニがほとんどなく、閑散としていた。
それがいいと思う人もいるかもしれないが、自分は単純に不便で参った。
せっかくビジネスホテルなんかがあるのだから、何かしらの飲食店などを展開してくれたってかまわないだろうに。

それもあって、そのマンスリーマンションに住んでいたときは、いちいち他のエリアにあるスーパーに行ったりして買い物を済ましていた。

田舎に比べればまだマシではあるが、都会の規模で考えるとひどく不便な場所であった。
中央区と名乗っていいレベルではないと思っている。あの場所は。


セイコーマートまで徒歩10分。
イオングループが経営する小さなスーパーまで徒歩7、8分。


やっぱり遠い気がする。


都会といっても、場所によってはこんなものだろうか。

自分は色々な街で暮らしてきたものの、日本中の都会の利便性を知っている専門の者ではない。
リゾバはそれなりにしてきたのだが、どこもかしこも利便性は低いし、およそ都会と呼べないところばかりだ。


今まで住んできたところで一番不便なところは、おそらく長野県の野辺山だ。


コンビニまで歩いて30分。
スーパーまでは自転車を使っても到達不可能な距離にある。


しかも冬場は雪が積もって自転車すら使えない。

車の持っていない自分は誰か心優しき人に送迎してもらったりして、なんとか買い出しを済ませていた。

まあこれは極端な例である。
他の現場は何かしら徒歩圏内にローソンがあったり、ちゃんとしたスーパーやホームセンターがあったりして、生活に困ることはなかった。


ちなみに今まで色々巡って、一番利便性が高かったリゾバは鳥取県にある皆生温泉である。

徒歩5分くらいにファミリーマート、さらに奥に行けばローソン、ネカフェ、吉野家、そして自転車を使えばあらゆるチェーン店があった。

本屋もあったし、海水浴場は目の前、そしてスーパー銭湯は至る所にあり、かなりの天国だ。


なぜ自分はあそこでもっと長く働かなかったのかと、少し悔やまれる。


しかしそれももう5年ほど前の話だ。



とりあえずは今いるこの札幌市の恩恵を受けることにしよう。
別にここだって住みやすい街なのだ。

幌平橋のマンスリーマンションだって無事に退去することができたし、もうこれ以上の文句はない。

今は今いる場所で最善を尽くすことにしよう。


懐かしい記憶は全部持ったままでいるけれど、こうして要所要所で思い出して、
それがちょっと楽しかったりする。


愚かにもたくさんの放浪を重ねてきた。
それは無駄に思える行動だったかもしれないけれど、ふと思い出した時に、懐かしさが込み上げて、今を頑張ろうと思えたりするのだ。


記憶にある。ただそれだけで無駄でないと信じる。





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