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時が流れてもこのままで

英語をオンラインで教えている時に日本人の生徒でholidayの定義を分かっていない人が多いのにはびっくりした。日本ではどうやら「お休み日」という感覚の様で平日休みの人が、Yesterday was my holiday. などと返答をする。けれどこれは英語的にはholiday ではなくてday off と言う表現になる。では、holiday とは何かといわれると僕の定義は週末を含めずに3日間の連続した休みが続くこと。基本的には自宅にはいなくて旅行に行くことが多いが最近は家で過ごすという人もいるようだ。

ではなぜ日本人はこの感覚を持ち合わせていないのか。それは多分、有休をとるのが難しいという労働環境にあるのだろう。ロンドンに住んでいた時にサービス業に従事する僕の友達が土日を含めて6日間の日程で日本から僕の所に遊びに来たのだが上司にかなり頼み込んでやっと許してもらえたのだと言っていた。しかも会社の同僚には旅行の事は一切内緒で「病気だった。」という事にしておくように言われたそうなのだ。確かに有休があってもそれを使えない状態であれば日本人がholidayがなんであるのかを理解できないのは当然だろう。

ヨーロッパはこの点に関してはしっかりしている。イギリスは4週間(年20日)の有休を取れる。今住んでいるドイツはもっと凄くて6週間(年30日)、しかも労働者の権利強いドイツにおいては有休を消化させなかった会社は政府から罰金の制裁、最悪は懲役刑も課されるのだそうだ。そうなればみんなが長期旅行に行くのは当たり前で、ことにドイツ人はホリデーへの力の入れようは凄い。節約家で有名なドイツ人がなぜお金にケチなのかはホリデーのためともいえるくらいに彼らはホリデーを大事にしている。

とはいっても毎年6週間もあるのだから一回の旅行で3ヶ国とか、バスツアーで観光地だけを朝から夜まで回って終わりというものをあまり好まない。どちらかと言えば同じ場所に1週間、長い時は2週間滞在し、自分のしたいことに時間を割く。そんな感じだ。大事なのは忙しい日常の生活や仕事から解放されることで観光がメインではないのだ。

僕のパートナーはドイツ人で彼は家族との仲が良い。なので年に数回は家族で旅行に出かける。みんながいつも集まるという感じではなく、その時来れる人が集まる感じ。なのであまり強制的ではないのだけれど僕たち二人はほぼ100パーセントの参加率だ。

そんな去年の家族旅行はフランス領で地中海に浮かぶ島。コルシカ島は日本人には余り馴染みがないかもしれないけれど広島県ほどの面積を持つなかなか大きな島でブーツの形をしたイタリアの脛の高い位置にあると思っていただければよいかと思う。僕はこれ以前に一度も訪れたことはなく、僕の相方も子供の時に訪れて以来なのだそう。ただ、「本当にきれいな所だよ。」という事だけは出発前からしきりに言っていたので少しに期待はしていた。

ヨーロッパ大陸からはフェリーで渡れる。夕方にフェリーに乗って早朝にコルシカ島の東にある港に着く。僕たちが2週間滞在するのはその港とは全く逆の西側。その間には日本ではないかと思う位の山また山、そして山の風景。なので直線にすればそんなに遠くはないのだけれども実際は車で崖の横の狭い道をかなりの時間走ることになる。

山を登り、下り、また登る。そのころには小さな村や町はあるけれども都市の雰囲気はなく田舎の風景が主になってくる。森も豊かでちょうど栗の実が実るころで沢山道路に落ちていた。そしてその下にいるのは豚。最初は野生の豚を発見したと騒いでいたのだけれど逃げもしない。それどころかよく見るとあっちにもこっちにもいるのだ。もちろん柵に囲まれて飼われているわけではなく野放し。豚だけではない。牛も道を自由に歩いている。一番大変だったのは山羊。山羊は群れる習慣があるのかはわからないけれど150匹ほどの山羊が道を埋め尽くしていたのである。車で近づけばゆっくりとは道をあけるけれども車は物凄く遅い徐行を余儀なくされる。これがコルシカの時間の流れだと教えんばかりに。

地面堀に忙しい豚たち

もちろん、豚や牛は私有地と公共の土地の区別何てしらないから間違って僕らの泊まっているヴィラの敷地に集団で入ってくることだってあった。するとオーナーが何も驚くこともなく大声とゴルフカートを駆使して敷地外へと導きだしていた。ここでは動物が迷子で自分の土地に入ってくるのが当たりまえなのだ。

今回は4家族が参加した。ほぼ毎日ハイキング、その後に海辺で海水浴という日々だった。10月と聞くと日本ではもう海水浴という時期ではないのだけれど寒いドイツの夏を過ごしている僕たちにとっては気温が20度ほどもあるコルシカの10月の海は水は冷たいけれどまだまだ海水浴可能。冷たさがハイキングで疲れた体を癒してもくれた。

深海度数が高いので透明度が半端ない。

この上の写真の集落はとても美しく、砂浜だってある。だけど、ここに車で来ることはできない。車道から1時間半ほど徒歩で森の中の道を歩くか、船でしかたどり着くことができない集落。コルシカ島では自然がメインというう場所が多くあり、人間はその1部を借りて生活をしているという感じ。

海では晩夏の雰囲気を楽しめるのだが、山へとハイキングへと行くと標高が高いのでそこは秋の色に染められている。緑の葉でいっぱいの海沿いから1時間半をすると木々の色は一気に赤や黄色で彩られる。風も時には晩秋のような冷たさで吹く時もあった。

山肌の間に散らばった絵の具のような紅葉した木々は日本絵画のような印象を与える。

そしてこの山と海を繋げるのが川だ。山水が豊富でその水温はとても冷たい。人々はこれを飲み水にしてここに生活をしているのだという跡が色々とうかがえる。山から流れ岩肌を下り、小さな流れからその川幅を増して川は海へと流れていく。コルシカは自然の循環がハッキリと見え、その中で人間も共存して生きているという事を目の前で見せてくれる貴重な場所であるように思った。

清い水の流れと古い石橋
山から流れる水はとても透明でそして身を切るように冷たい

人間に必要不可欠な水。それがこの島の一番高いところから低いところまでを結んでいる。その間には人間の暮らしがあり、動物たちはのどを潤すために川辺を訪れその周りにはたくさんの木々が育っている。川はその景色の中をゆったりと流れていく。なんと平和的な島なのだろう。

これから世界がどんどん変化をしていってもこの景色はどうかこのままであってほしいと思い僕はまたフェリーに乗って日常の生活へと戻っていった。

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