コミュニケーション上手とは「美味しいまんじゅう」である
こんにちは。最近はもっぱら甘党の双耳です。
お酒を飲まないと甘党になる体質らしい。
坂川栄治さんの名言
ところで先日、こんなツイートをしました。
まずすみません。謝らせてください。「いきなりまんじゅう」ではなく「いきなり団子」の間違いです。
「そこ間違えちゃいかんだろうというところで間違えた罪」で恥さらしの刑に処されます。すみません。
コミュニケーション上手の秘訣
坂川さんが言われているとおりですが、他者と円滑なコミュニケーションを図れる人というのはまんじゅうの皮と餡のバランスが優れています。
いうなればまんじゅうの皮は外面で餡は内面。
内面である自分の思想や信念、家庭の事情や自信の健康衛生についてなど核となる餡をうまーく外面という皮で覆うのです。
この皮がうまく機能することで、本来ぶつかりがちな思想や信念をうまいこと隠しながらコミュニケーションをとることが可能なのです。
また、いざ実食、となったときに甘すぎる餡をマイルドに中和してくれるのがこの皮なのです。ふわふわだったりぱりぱりだったりカリカリだったり、質感は人それぞれですが、他者が触れてもあたりさわりない部分です。
皮と餡のバランスがいいまんじゅうなんて、食べたら絶対おいしいそう。
皆から愛され、求められ、ひっぱりだこで行列ができます。
他者からみて「おいしそうなまんじゅうだ」と思われるように計らうことも、重要なコミュニケーションスキルです。
コミュ障は皮と餡のバランスが悪い
お察しの通り、この世にはバランスのいい人間だけではありません。バランスが悪いゆえに一緒にいると辛く不快にさせる人間がいます。
極端ではありますが、例をあげてみましょう。
「皮だけ人間」
中身のないぺらぺら人間です。
良くも悪くも「飄々としている」などと言われることもあります。
そして皮だけ人間には2タイプあります。
1つは自分の中身がないため他者の餡に触れることができず、表面だけの付合いしかできないタイプ。
地味に幼少期にトラウマを抱えている人も多いです。
自分を受け入れてもらえなかった悲しみから、自分の個性を認識しようとしないケースがあります。
もう1つは、人の皮を平気で破って餡から食べようとする人間です。
こちらの皮だけ人間は後生大事にしておきたい核のような部分がもともとありません。そのため人のデリケートな部分にずけずけと土足で踏み込んだりを平気でします。
「立ち入ったことを聞いて悪い」という概念は人に指摘してもらわないと考えつきません。
いわゆるデリカシーのない人で、気づかいの心は皆無と言ってよいでしょう。
静かに嫌われて周りから友達がいなくなるタイプです。
またはサイコパスのように強烈に人をひきつけて地獄に落とします。
「餡だけ人間」
メンヘラになりやすい人々がこのグループ。
まさにスーパーで陳列されている鶏もも肉のようなむき出しのメンタルです。
非常に傷つきやすくて弱いところをさらし過ぎなんです。自分の大切な部分を外部から守る皮が存在しないので、どんどん餡がこぼれだします。
こぼれだしていることに気が付いても止められないのです。皮がないから。
そして餡丸出しのくせに「自分の餡という大切な部分を見ておいて私のもとから立ち去るなんて」と捨てた人間を恨みます。
そしてできるなら他者の餡と混ざり合ってしまいたい、という自己同一性が保てないようなメンタルになっています。
俗にいう「ボーダー」はこんな状態に陥っていると考えると分かりやすい。
ボーダーとまではいかなくとも、精神の露出趣味が強い人はプライベートでも見かけるものです。
家族・宗教・政治・病・信念・思想といった類のデリケートな話題は、人に話さなくていいのです。自分だけの秘密にしておけば傷つかなくてすむのです。
または開き直って餡をさらけ出して投げ銭をもらいましょう。
「まずいまんじゅう」は芸術・芸能向き
実はおいしいまんじゅうは誰からも求められて愛される人間なのですが、際立った個性というものは持ち合わせておりません。
ゆえに、憧れから「まずいまんじゅう」の不器用な生きざまを求める傾向があります。
不細工な形が、あまりにできあがりすぎている自分の形へのコンプレックスを引き起こすのです。
これは「ゲテモノ好き」も然りです。
社会での役割
大体、割合的には
「うまい」:「ふつう」:「まずい」が「2:6:2」くらいじゃないですかね。
「まずい」「バランスが悪い」「不安定」であることは「当たり前」と思われている今の既存の社会やシステムを破壊しかねない大きなエネルギーのように見えます。
「まずいまんじゅう」が生きやすくなるには、「ふつうなまんじゅう」を目指すか、通常のコミュニケーションは諦めて、いっそのこと振り切れたほうがずいぶんラクになります。そのための手段が「芸術や芸能」なのです。
不安定で爆発しかねないエネルギーを破壊と創造に用いるのです。
決められた形にしか生産されないまんじゅうを新しいまんじゅうに変えてしまうのです。
皮肉にも、それが「他のまんじゅう」とコミュニケーションを図る最良の方法なのです。
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