たじま

たじま。俳句を作ってます。 結社「炎環」同人、同人誌「豆の木」「オルガン」に参加。 句…

たじま

たじま。俳句を作ってます。 結社「炎環」同人、同人誌「豆の木」「オルガン」に参加。 句集『ただならぬぽ』(2017年刊行) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%81%A5%E4%B8%80

最近の記事

すべて書き出して

やりたいことや、 いまやっていること、 ほしいもの、 いつかやりたいこと それらを、全部書きだした。 書き出してみると、 わかったことがあるのです。 どれも、少しずつ、すでにやってたり、 手に入れてたりしていて、 そして、どれも完結していない。 やりかけで、 もてあましていて、 なんとなく知っているけど、 すごくよく知っているわけではない。 気づかなかったなぁ。 だから、ひとつずつ、ケリをつけようと思う。 いくつかのことをいくつも並行して進めて、 納得のいくとこ

    • カレーを食べに

      今日も暑かった。 夜になって急にカレーがたべたくなって、 多摩川を渡った向こうにあるカレー屋さんまで歩いて行くことにした。 気温は29℃。 日中、36℃とかあったので、29℃ならむしろ涼しいくらいだ。 カレー屋さんまで徒歩で15分くらいかな。 バターチキンカレーを美味しくいただきました。 ちょっと食べ過ぎたかも。 行きは空腹なので、わくわくしながら歩いたけど、 帰りはお腹いっぱいで、帰るだけなのでちょっとしんどかった。 夜の多摩川は静かでね。 せわしない週末が終

      • スケジュール

        自分のiPhoneにカレンダーアプリを入れて、 自分のスケジュールを入れることにした。 これまでは、時間に縛られるのが嫌で、 自分のプライベートの予定表なんて作ったことがなかった。 でも最近、少し自分を忙しくしてみたいと 思うところがあって、自分のスケジュールを 見れるようにした。 そして積極的に自分の予定を入れていこうと思う。 ところで予定を入れた自分のスケジュールを眺めてみると、これこそが自分そのものなんだなぁ、と改めて感じる。 ニュートラルに自分の体や心が自分

        • 灼熱の

          毎日、暑い日がつづいている。 仕事の疲れもたまるので、肩こりがひどい。 なので、仕事に出る前に肩こりの薬をたっぷり塗ってから出勤してる。 で、その薬ってのが、いわゆるエタノールなのね。成分が。 使用上の注意を読むと、火気厳禁、って書いてある。 だから、通勤で灼熱のなかを駅まで歩いていると、 薬を塗った肩から、火を噴くんではないか、と思うくらい熱くなる。 熱く、なるんです。 これって、危険なのかな。 やけど、しちゃう? いろいろ心配になる。 とはいえ、今日も肩こ

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          スーパー

          近所のスーパーのこと。 以前は、地域密着型の普通のスーパーだったのだけど、 数年前に別のスーパーに中身が入れ替わって、 すっかり様相が変わってしまった。 肉や魚は、大人数向けの大量販売みたいな感じで、 生活用品や少しだけ置いてあった雑誌などもなくなってしまった。 一人分の肉や鮮魚が欲しくても、どれも量が多すぎる。 休日になると、隣町から車で買い出しに来る家族が増えた。 遠くからやってきて、BBQでもやるのか?というぐらい 大量に買い込んでいく。 地域の人たちに、とい

          体重が増えている

          体重が増えている。 自分の経験によれば、体重が増えるときというのは、 「食べること」と「からだ」とが乖離しているときだ。 「からだ」が空腹を感じて、それから「食べる」のであれば、 それほど体重は増えない。 もちろん腹八分目という言葉があるように、 食べる量は適度でないとならないけど。 腹八分目を、腹五分目ぐらいにすれば、 「からだ」はゆるやかに痩せていく。 でも、「からだ」からの信号を受け取れなくなって、 日常が「あたま」の働きばかりになると、 なぜか「あたま」は「

          体重が増えている

          やる気、とか

          忙しくて時間がないときは、 時間ができたらあれをやりたい、これをやりたい、と思っているのだけど、 いざ休日になって時間ができると、 何をやったらいいかわからなくなる。 なんでだろ。 外出してひろびろとした空のしたを歩いていると、 あれもできそう、これもできそう、 と自分の可能性にわくわくするときがあるのだけど、 家に帰ってくるとまるで風船がしぼむように、 なーんにもやる気がなくなったりする。 なんでだろ。 ななな、なんでだろ。

          やる気、とか

          少しだけ

          休日。 少しだけ良くなるための、次の行動って何だ? と思う。 部屋の隅に置いたいらない段ボールを捨てよう。 たまったペットボトルも袋にまとめておこう。 昨日買った新しい本を本棚にならべよう。 よく着る服をまとめよう。 あまり着ない服はしまってしまおう。 少しだけ良くなることをして、 少しだけ気分がよくなる。

          目覚め

          最近、とんでもない時間に目が覚めてしまう。 歳をとったからかな? 朝の3時に目が覚めて、そこから眠れなくなってしまう。 仕方ないので、スマホでSNSを眺めている。 朝の静けさというのは不思議で、 ほんとは眠いはずなのに、気持ちが走り出してしまう。 休日ならいいのだけど、平日だと大変だ。 午前中は元気だけど、さすがに午後から疲れがでてくる。 朝の3時から起きてるわけだから。 身体のリズムがくるってるんだろうね。 というわけで、本日は日曜日。 すでに目が覚め

          学びはタイミング

          知識って、知りたいときに、知りたいこととタイミングよく出会わないと、なかなか記憶に残らないものだ。 本を読んでいても、そのときは「なるほど」と思っても、さほど興味のないことは忘れてしまう。 ちょうど、そのときに自分の関心があることは、記憶に残るのよね。 だから、本というのは何度読み返しても学ぶものがあったりする。 最初に読んだときには関心がなかったことが、時間がたって興味が湧いてくると、それまで記憶に残らなかったことが、記憶に残りはじめる。 経験的に、わかりやすい本

          学びはタイミング

          椅子が

          椅子がね、椅子が、壊れる。 体重が重いせいか。確かに、重いのだけど。 椅子クラッシャー。 自宅で仕事のとき使う椅子が、壊れてぐらぐらになっている。 まるでバランスボールのようだ。 健康にいいのか?そうなのか? というわけで、壊れた椅子の部品をアマゾンで取り寄せ中。 椅子が安定していないと、気持ちも安定しない。

          行動力と頼もしさ

          行動力は大事だと思う。 一方で、世の中にはさまざまな事情で 行動できない人たちがいることも事実だ。 それは、ただ行動しあぐねているだけなのかも知れない。 でも、誰もが思うままに行動力を発揮できるわけではないだろう。 だから、そうして行動できない人たちに対して 手を差しのべることも大事だと思う。 それだって、行動だ。 行動力はもちろん大事、それと一緒に包容力も持ちたい。 大事なのは「頼もしさ」。 行動力があることと、行動力がないことが断絶してほしくない。 でき

          行動力と頼もしさ

          できること

          なんとなく自分がやってきたことや、 そんなこんなで自然とできるようになったこと。 どれも小さなことだけど、 整理してみると、できることが何もない、というわけでもない。 それなりに長く生きてきているので、 できることや、知っていることがある。 その「できること」のまわりに、 自分のあたらしい興味をかき集めて、 シンプルな拠点をつくっていきたい。 そう考えると、いくつになってもワクワクできることはあるものだ。 惜しむらくは、日々の生活で時間がとられていること。 どうすれ

          できること

          俯瞰

          日ごろ、些事に煩わされているが、 ときには大きな視点で俯瞰的に自分を眺めることが大事だと思う。 いま行き詰っていることや、気鬱なことが、 視点を変えると、なんて事はない大きな風景の小さな影でしかないことに 気づいたりする。 そういうことに気づくのには、なかなか時間がかかるもので、 若い頃は勢いとエネルギーで乗り切っちゃうんだよね。 自分にとってほんとうに価値があるものが何なのか、 見失っている人は、とりあえず早く寝て、たっぷり寝て、 あらためて大きな視点で自分を見直して

          忘れ物

          最近、1日にひとつ必ず忘れ物をする。 一昨日は会社のパソコンの電源ケーブルを持たないまま出勤し、昨日はいつも持ち歩いている喉の薬を忘れた。 そして今日は、財布。 なんでこう毎日毎日忘れ物をするんだろう。 歳のせいか、はたまた、仕事のストレスか。 もっと落ちついて、気持ちに余裕をもって日々を過ごさなきゃね。

          文体

          本を読むと言う事は、 そこに書かれた情報に触れると言うだけではなく、 場合によってはその文体そのものになる。 好きな作家の本を読んでいるときに、 自分がまとまった文章を書くと、 ついその作家と同じような文体になってしまう。 つまりそれは、 読書というものが、その著者そのものに 触れるということなんだろう。 もちろん、 自分のオリジナルの文体を持ちたいと 思ったりはするけど、 そんなオリジナルが天から与えられるわけではない。 さて、 今書いているこの文章は、 一体誰の文