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(小説)うぐいすの館から、ホーホケキョ⓪「はじめに」
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はじめに
うぐいすの館は、高齢者が暮らす施設である。
正式名称は「介護付き有料老人ホーム・晩鶯館」である。命名の経緯や、建物の規模などは、この稿の終わりに、参考として記している。興味ある方はご一読下さい。
うぐいすの館の入居者は、配偶者に置いて行かれた独り者がほとんどである。従って女性が多い。
「お母様、素敵な所があります」と、長男の嫁がパンフレットを持ってくる。長男も、「いいところのようだ。見学に行ってみるか」などと、乗り気である。「私も安心して、仕事にいくことができます」と嫁が重ねて言う。
誘いに乗って、見学に行くと、いつの間にやら入居の契約の話となる。
堤 梅子(昭和2年生)は、このルートで入居した。
似たような経緯で入居した女性2人が加わって、うぐいすの館の3階食堂では、西側のテーブルに3人が陣取ることになった。
2人とは、金田 冨子(昭和13年生)と、今道 武子(昭和9年生)である。
武子は、夫の1周忌を済ませた後に入居したが、うぐいすの館に入居後、悲しみは吹き飛んでしまったらしい。テーブルは武子の参加で、急に賑やかになった。武子は、好奇心旺盛で新聞を隅から隅まで読んでいる。世界情勢から、もう忘れ去っているお笑い芸人の訃報まで次々と朝の食卓で披露する。
梅子も新聞を取っているが、見出ししか読まないので、武子の取り上げる話題を心待ちにして、時に詳しい解説を求めたりする。
冨子は寡黙でその横でいつも頷いている。
3人の共通点といえば
太平洋戦争が終わった時、小学1年生だった冨子と、当時、女学生だった梅子と学童疎開の体験がある武子、2人との体験の差は大きい。冨子の戦前の事情は、終戦までのわずかな期間しか記憶にない。
戦後の食糧難と物資不足の体験は3人の共通点である。
3人とも「もったいない」精神が徹底している。
高齢者3人の食卓での話題を中心に、「ホーホケキョ」と題してお送りする。「ホーホケキョ」の第1話は、「暗算が出来なくなった話」である。
梅子はソロバン1級の腕前を買われて、戦後、親類の家の米穀店の経理をまかされていたことがある。さて、どうなるのやら……?
(小説)うぐいすの館から、「ホーホケキョ」 #1 暗算が出来なくなった話
〈参考〉「うぐいすの館」の詳細
正式名称は、「介護付き有料老人ホーム・晩鶯館」。
以前、この地には梅林が広がっていたという。
梅に鶯の発想から、運営会社の社長が晩鶯館と命名した。
館の玄関に至る少し手前に、人丈ほどの真っ白い案内塔が建っている。〈晩鶯館〉の太い3文字は、社長の揮毫によるものである。
「晩鶯」については、事務所横の掲示板に説明文が掲示されている。
「春から夏にかけて鳴く鶯のこと」とある。
社長は、老人ホームにぴったりだと自慢している。
老鶯としなかったことを強調して、
「ホーホケキョ、と鳴き続けてほしい」と、入居者の長寿を願っている。
職員は、何度も聞き直されて面倒なので、晩を取って、平素は、「うぐいすの館」と言っている。いつの間にか定着した。
建物は、鉄筋コンクリート5階建てで、開業して10年目になる。
駅から歩いて8分の距離で、周辺には瀟洒な住宅が並ぶ。
運営会社は凸凹商事で、他に、有料老人ホーム3館を展開している。どの施設も盛況で、空室はない。
(オリジナル連載小説)うぐいすの館から、「ホーホケキョ」
をお読みいただきましてありがとうございました。
2024年10月26日#0 連載開始
著:田嶋 静 Tajima Shizuka
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