(小説)#12 「Re, Life 〜青大将の空の旅」
第3章 航と志津子の名古屋暮らし①
航の転勤
3月に入ったある日、いつになく航が早く帰宅した。
「何かありましたか?」
「今日、転勤の内示があった」
航は、この10年余り、神戸と大阪の支店を交互に転勤していた。
「今度は何処ですか?」
「名古屋支店」
「遠いですね」
「単身赴任になる」
「 …… 」
「3月末に引き継ぎに行く」
「ハイ」
「今いる人も単身赴任や」
「 …… 」
航は、その夜、両親に転勤を報告した。
夕食の片付けが終わった頃、志津子は姑のフクから呼ばれた。
(何でしょう)
両親の居間に行くと修造もフクも明るい表情をして待ち受けていた。
「タイミングとしてはいいお話だと思いますよ」とフク。
「支店長、栄転だね」と修造。
(航さんは、肝心なことを言ってくれない)
志津子は、航の胸中を図りかねた。
「志津子さん、もうあなたは好きにしていいのではないかしら」とフク。
「?」
「海斗も翔太も彩果も花子も大きくなりました」
そういえばいつの間にか、纏わり付く子たちはいなくなっている。
時折、
「志―ママ」と言って、学校のことなど報告はしてくれる。
「2人して名古屋に移り住んだらいい」と修造。フクも頷いている。
「明がよく働いてくれています。竜子さんも要領よく大学の研究と北村の家のことをこなしてくれています。志津子さんの抜けた大穴は、又、女衆さんにお願いしましょう」
修造とフクは、遠からずこの日が来ることを承知していたかのようである。
「志津子さんには、北村の家の台所廻りのこと、甥や姪の世話と随分と働いて貰いました。ありがとう」
舅・姑は、志津子に礼を言い、頭を下げた。
(まるでお別れのよう…… )
果たしてこれは、舅と姑からの志津子への決別の第1弾であった。
航は、4月1日に名古屋支店に着任した。
支店のある栄の地から少し離れた処に住まいを確保した。
10階建てマンションの5階部分で3LDK。1階と2階が商業施設になっている。
5月の連休明けに志津子もそこへ合流することになった。
引っ越し準備があらかた終わった時、フクに呼ばれた。
「志津子さん、お伝えしたいことがあります」
(今度は何かしら…… )
これが第2弾である。
「志津子さんは、察しておいでかもしれませんが…… 」
とフクは、切り出した。
「航と明たちとは10歳、離れています」。
「ハイ…… 」
「私と主人が付き合いを始めていた頃のことですが…… 」
フクは、少し言いよどむ。
「北村家の長男夫婦に子供が生れました」
「ハイ」
「義姉は、持病があったのですが、命がけで航を生みました。そして出産直後に亡くなりました」
( …… )
家業のパン製造は、北村家の先代が元気で、長男の健吾とその妻 菊枝は、見習いという形で家業に加わっていた。
しかし、健吾は、パン製造に積極的ではなかった。連れ合いの菊枝も朝起きが重荷にで、何時しか持病が悪化していた。
「キツイ家業の中での妊娠・出産です」
志津子は、(ひとり生れ、ひとり去っていく)と思った。
「それで、家族会議が開かれ、生まれた赤子をどうするか話し合いをしました」
「 …… 」
「義姉には親、姉妹がありませんでした。私たちが育てることになりました。航と命名しました」
「ハイ」
「航は、正式な手続きをして、主人と私の子供になりました。兄は、妻の死去を機に家業から離れ、運送業をはじめました。代わりに私たちが家業を継ぐことになりました」
「 …… 」
「航が2歳になった時、兄は交通事故の巻き添えで亡くなりました」
修造の声は、重苦しい。
( 又ひとり、神さまの御許へ …… )と志津子。
志津子は、北村の家のことを何にも知らないことに気づいた。
ボンヤリしていた。
「2年位して両親が相次いでなくなりました。
私たちは、必死で家業を継続させ、航を育てました」
「 …… 」
「私たち2人の間に子供を授かったのはようやく10年後でした」
志津子は、修造とフクの長い苦労を思いやり、頭を下げた。
「出産直後からもらい受けましたので、航は、私たちの子供なのです。このことは航が14歳になったとき事情を話しました」
「 …… 」
「貰い受けたときから、14歳の誕生日が来たら、話すことに決めていました。兄と姉の遺影は、仏間に掲げています。14年間かけて、知らせ続けた積もりです」
航は、実の父と母のことを聞いた後は、しばらくは黙り込んでいたそうだ。
が、数日後、
「今まで通りお父さん、お母さんです」と、ぶっきらぼうに2人に告げた。
その後は一切、パン製造の作業場へは出入りしなくなった。
(航さんは、家業については、早くから決心していたということなのね)
志津子は、やっと、パンの会社を継がないという航の気持ちが理解できた。
( 明さんが4歳、博さんが3歳、後継者はいる、と考えたのかしら )
航は、高校を卒業する頃から、かたくなな態度は見せなくなったが、自分は、この家の正当は後継者ではないという態度を常に出し続けた。極端に口数が少なく、はっきりした物言いをしなくなったのである。
「航は、名古屋に転勤したら、もう大阪には帰ってこないと思います。私たちは、航に実の親ではないと打ち明けた時から覚悟していました。志津子さんもそのつもりで添い遂げてくださいね。名古屋転勤がなくても、いずれその時は来ると思っていました」
フクは淡々と話した。修造も横で頷いている。
(何という航さん、何というご両親)
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