風に舞う、遥かな夢。イカノボリ
(あらすじ)長崎のハタ揚げと俳句の情景 春風に乗って舞う『ハタ揚げ』。長崎の風景を彩る大人たちの遊び。長崎の伝統的なハタ揚げの文化と、イカノボリに関連する俳句の描写を含んだエッセイをお届け。
長崎のハタ揚げの魅力を語る
イカノボリ(凧揚げ)の話です。
長崎では、ハタ揚げという。
古くからある大人の遊びである。
長崎のハタ揚げ大会は、風頭公園や唐八景公園の地で行われる。
5月ごろ、天候がよく、適度な風が吹き上がってくるとハタ揚げ日和となる。
私は、遠足などで風頭公園に来てハタ揚げに興ずる人びとを何度も見た。
公園に樹木はなく、足元は、手入れの行届いた芝であった。
ハタ揚げに興じるのはもっぱら父と男の子であった。
父親が糸を繰り出すと、少年は胸の前にハタを抱いて、丘陵を横歩きしていく。ほどよい距離になると「放せ!」と、声が掛かる。
丘の中腹から下に向かってハタを手放すと、すぐ、谷底からの風でハタが舞上がる。
父は糸を引いたりゆるめたりしながら、ハタを空高く揚げていく。
少年は、父の手元の糸さばきと、空中をキリキリと舞うハタの動きとを交互に、しっかり見て学び取っていく。
ハタは遙か上空に達すると静止する。
幾つものハタが空高くに止まって、しばらく静かな時が流れる。
ハタ揚げが大人の遊びと言われるのは、糸の仕掛けにある。
ビードロ(ガラスの古称)を砕いたものを糊で固めて糸に付け、他人のハタの糸を切りに行く。
糸を上手に操作して、空中を逃げたり、攻撃したりするので、ハタ合戦といわれる。
糸が切れてハタが舞い落ちると、ハタは拾った人の物になる。
少年達は、切り離されたハタを必死で追っかける。
丘の中腹から谷底へ向かって転がるようにハタを追いかけて行く。
ハタの骨組みは十字形、菱形に紙を貼り、糸が結び付けられる。
文様は色々あるが、一番なじみ深いのは、阿蘭陀の国旗の色と同じ、青・赤・白が横に入った模様である。
私が卒業した高等学校では、同窓会のとき、中央壇上にこのハタが飾られる。東京など、各支部の同窓会でも同ようにハタが飾り付けられる。
ふるさとを離れていても、ハタを見ると、長崎に戻った気分になる。
長崎を出てから、他所ではハタ揚げという言葉が通じないことを知った。イカノボリとか、凧揚げというらしい。
イカノボリを詠んだ句との出会い
「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著のページを繰っていると、続けて2句、イカノボリを詠んだ句に出会った。
イカ切て 白根か嶽を 行衛かな
加賀山中 桃妖 「猿簔」 巻之四 春
露伴は句を次のように評釈をしている。
「白根はすべて、雪の積もっている峰をいう言葉である。この句では加賀の白山である。イカノボリが、青空に高く翻って、切れてしまった様子を言い表している。イカノボリ、今は、お正月の子供の遊びであるが、ここでは、2月の季節の行事で、以前は若者達が大きいイカノボリを揚げたものだ」
2句目は、少しややこしい。
『いかのほり』と『にはたづみ』の詩的な表現がある。
いかのほり ここにも すむや |潦《にはわつみ》
伊賀 園風
露伴はこの句を、次のように評釈をしている。
「にはたづみは、雨後の水溜まりのことである。イカノボリノの影が、「にはたづみ」の中にもある。雨があがり、晴れて暖かい様子が見え、ここで一句を得たようだが、背景がなかったら、|談林調《だんりんちょう》のつまらない句となったかもしれない」
露伴の評釈にはいささか当惑した。
私は、にはたづみと|談林調《だんりんちょう》という言葉の意味がよく分からない。
ウロウロと、迷い道を行くことになった。
談林調とは何か
色々と調べる
次は、「にはたづみ」
手持ちの電子辞書に当たる。
電子辞書を叩いていると、ずっと以前、田辺聖子の「文車日記」* で、すでに、「にはたづみ」に出会っていることに気付いた。
すっかり忘れ去っていた。
その本に、「庭にたまる雨水のことを、『庭たづみ』と言います」と記載されている。
田辺聖子の「文車日記」によると、にはたずみについて、古事記に、「庭潦」という漢字表現で載っているという。
田辺聖子は、仁徳天皇の皇后磐之媛伝説を取り上げている。口子ノ臣という若者が、にはたづみに腰まで浸かって、天皇の言葉を磐之媛に伝えようとする場面を描いている。
更に、日本書紀に伝わる大クーデターを取り上げている。
「京極天皇の4年6月12日、庭たづみは、入鹿の血によって朱に染まった」とある。
にはたづみは、古い言葉であるらしい。
思いがけなく、古事記と日本書紀の一部をさまようことになった。
「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著の俳句に戻る
上記俳句の1つ目は、石川県の白山上空を舞うイカノボリを詠っている。
(イカ切て 白根か嶽を 行衛かな)
2つ目は、雨が止んで、地上に溜まった水に、イカノボリノの影が映って泳いでいる状態を詠んでいる。
(いかのほり ここにも すむや 潦 )
白山の空に翻るイカノボリは美しい。
後の句は、たかだが水溜まりに何かが映っているというだけの句ではないか。私の見方は大雑把である。
俳句を詠む人の視線は、思いがけないところに向くらしい。
私は、雨後の水溜まりに映る影までが、句の世界になるのかと些か驚いた。
私には思いつかない視点である。
俳句は、幾多の変遷を経て、現在も新しく視野を広げ、面白い句が誕生しているようである。
長崎のハタ揚げを詠んだ俳句には、まだ出会っていない。
次は鳥刺しを語る。メジロ取りの話である。
(田嶋のエッセイ)#11
「猿蓑 の 寄り道、迷い道」
第8章「イカノボリ」
2024年5月20日
著:田嶋 静 Tajima Shizuka
をお読みいただきましてありがとうございました。
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