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逆襲の飯山あかり(4)「マキャベリに学ぶ鷹揚さと吝嗇」

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

おお、友よ、このような調べではない! 
我々はもっと心地よい歌を歌おうではないか
もっと歓喜に満ち溢れる歌を。    
   
      ベートーベン 「交響曲第9番」より


私がこのシリーズを書き始めたきっかけは
「飯山さんの主張に、より合理性がある」と思い
飯山さんを応援する為だった。

けれども前回までは、その思いに反し
自らの考える「①日本保守党の評価すべき点」について
縷々、述べさせて頂いた。

その理由は、批判をする上で最も大事なこと
できるだけ公平で、客観的な視点を持つ事だからだ。

客観的な視点を失ってしまえば
ただのポジショントークにしかならず
批判そのものの説得力もまた、失われてしまう。

だからこそ、「日本保守党の評価すべき点」についても
公平性の観点から、述べさせて頂いたのだが・・・

本当は、今回からの内容こそが
私がここで、最もお伝えしたい本題となる。

ここからは「②日本保守党の問題点」について
前回と同様、マキャベリの「君主論」に学びながら
日本保守党にどのような問題があるかを考えたい。

■君主たるもの「 鷹揚おうようさと吝嗇りんしょくを使い分けるべし」


「現代にあっても、わたしたちが見聞したところでは
大事業はすべてけちと見られる人物の手によってしか
なしとげられていない。
ほかの連中はみな滅んでいる」

マキャベリ 「君主論」 第16章

マキャベリは「君主論」の第16章において
鷹揚おうようさと吝嗇りんしょくというテーマで
君主のあるべき姿を説いているのだが・・・
私はこの言葉を目にした瞬間

「これは正しく、百田さんではないか!?」

と感じたものだった。

表現が少し堅苦しいが
鷹揚おうようとは、大らかにゆったり構えているさま
吝嗇りんしょくとは、「ケチ」であることを意味している。

百田氏がよく口にする言葉

「だいじょ〜ぶや。だいじょ〜ぶや」


その「開き直り」にも似たような鷹揚さ
私は常日頃から百田氏に感じていたし
その一方で、百田氏はベストセラー作家でありながら
吝嗇(ケチ)な一面を匂わせるエピソードがいくつもある。

例えば、百田氏は過去に
このような下卑たポストをしている・・・。

これを平然とポストする神経まで含めて
まともな大人がする事とは思えないが・・・。


百田氏は誰もが知るベストセラー作家であり
当然、それなりの資産をお持ちであるはずなのだが
私にはどこか、百田氏が「お金に厳しい」という
吝嗇のイメージがあった。

その事を如実に感じ取ったのは
ある日の「ニュースあさ8」の
有本氏と百田氏の会話の中でのこと。

その頃はまだ、日本保守党が選挙に備えて
事務所を借りたり、選挙カーの手配をしたりと
準備を整えている真っ最中だった。

選挙を戦うには選挙カーがいるのはもちろんだが
そのカーラッピング(広告塗装)には
かなりの金額がかかってしまう・・・。

有本氏は、こう思っていた。
普段、何を買うにもお金を出し渋る百田氏の事だから
カーラッピングに関しても、無下に断られるのだろうと。

しかし、その予想に反して
百田氏は、選挙カーのカーラッピングには
必要なお金を出していい、と首を縦に振ったので
有本氏は非常に驚いていたのだ。

ただ、そこで有本氏が強調していたのは
カーラッピングを承認してくれた百田氏が
「いかに太っ腹であるか」という事ではない。

逆に、普段はそれ以外の出費に関して
百田氏がどれだけお金を出し渋るか
いかに吝嗇であるか、という事だった。

つまり・・・有本氏が感じたのは

「普段、何にでもお金をケチる百田さんが
カーラッピングに、そんなにもお金使うの!?」

という驚きだった。

有本氏は、雑用のできない百田氏の代わりに
選挙事務所や選挙カーの手配など
その一切を任されていたのだが・・・
具体的な契約の金額について
その都度、百田氏にお伺いを立てても
いつも、「高すぎる」と却下されていたようで
その事を、ボヤきにボヤきまくっていたのだ・・・。

百田さんの言い分としては
「事務所なんて、裸電球と作業できる机があればいい」
「自分は昔、クーラーもない事務所で汗かきながら仕事してたんや!」
その様な、時代錯誤とも思えるような意見だったのだが
そこには「党員から預かった浄財を一円も無駄にしない」という
尊い思いもあるようだったので、私も納得していた。

ただ・・・「言うは易し、行うは難し」
必要な条件が整った上で、更に
金額が安く収まる理想の物件を探すのは大変なことだ。

しかも、百田氏は自分の足で物件を探しに行く訳でもなく
実際に足を使って探しまわるのは有本氏なのだ・・・。

百田氏は、煩雑な事務仕事の一切を
有本氏に放り投げておきながら
「とにかく、一円でも安く収めろ」という指示を出すだけ。

「契約する事務所は最低限のものさえあればいい」と言っても
百田氏自身は、その事務所で毎日働く訳でもない。
苦労するのは、日々、そこで働かなくてはならない人たちだ。

百田氏の考え自体はストイックで素晴らしいかもしれないが
それを他人に強いる時、周りは迷惑を被る事になってしまう・・・。

私はそこに、「パワハラ上司」の片鱗を見たようで
「有本さんも大変だなぁ・・・」と
同情を感じたものだった・・・。

■□■ 偉大な君主はみんな吝嗇

マキャベリは「君主論」の中で
吝嗇であることは、必ずしも悪いことではなく
むしろ、吝嗇であることが「重要である」
とすら説いているのだ。

マキャベリは吝嗇だった君主の良い例えとして
フランスのルイ12世を挙げている。

ルイ12世

フランスのルイ12世はイタリアに対して野心を持っており
度々、イタリアに攻め入っているのだが
その戦費は倹約することによってまかな
決して国民に重税を課さなかった。

つまり、その吝嗇が広く国民のためになるのであれば
それは称揚しょうようされて然るべきだと
マキャベリは言っているのだ。

因みに・・・古代ローマの哲人キケロも
これと同じようなことを言っている。

節約は大いなる収入である。     
      マルクス・トゥッリウス・キケロ

このようなことから、「吝嗇である事」
君主にとって必要不可欠な要素と言えるだろう。

その様に考えると・・・

ビジネスホテルでエロビデオを見るため
たった100円をケチる百田さんは
正に、君主にふさわしい人ではないかぁぁぁ!!


・・・と、勘違いしてしまいそうになるのだが
それはいささか、早合点が過ぎるのである

■□■  吝嗇も大事だが、鷹揚さも大事!


マキャベリの説く「鷹揚さ」というのは
「だいじょ〜ぶだぁ〜」とか
「変なお〜じさぁ〜ん」みたいな
そんな事を、常日頃から言っていたら鷹揚である
という、単なる「心構え」だけの話ではない

ここでの「鷹揚さ」とは
もちろん、経済的な意味での「鷹揚さ」を示している。

そしてマキャベリは
吝嗇に努めて、民に負担をかけない事と同時に
目を見張る働きをした部下には
応分の褒賞を支払うだけの気前の良さ(鷹揚さ)もまた
必要であると言っているのだ。

「身に余る栄誉を与えて
それ以上の名誉を望まないようにすること。
望外の財産を与えて、それ以上の富を望まないように
過ぎた職責を与えて、変革を怖がるように仕向けること」

マキャベリ「君主論」第22章

つまり・・・君主たるもの

ケチなだけではダメなのだっ!!


大事なことは
「ケチ(吝嗇)」と「気前の良さ(鷹揚さ)」の間に
上手くバランスを取る事であり
部下に褒美を与えなければならない時には
しっかり気前よく与える、という事もまた
君主として必要な態度なのである。

その様に考えると
はっきり言って百田氏は・・・

あまりにも吝嗇(ケチ)が過ぎている!!

と、私は感じている。

今回の、飯山あかりさんとの揉め事についてもそうだ・・・。

少なくとも、以下の2つの問題において
百田氏の「行き過ぎた吝嗇」こそが
その大きな原因だったのではないかと
私は推測している。

①飯山さんの警護要員をすぐに雇わなかった問題

②寄付金控除の件で、税理士をきちんと雇わなかった問題

次回はまず、一つ目の
「警護要員をすぐに雇わなかった問題」について考えて行きたい。




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