【小説】もう一つの起源 第四話
第四話
サンプルを持ち帰ると暫くの間は船内が騒々しくなる。ホログラフィックラボはフルタイムで稼働中だ。
「……六角形の細胞膜。全体的には雪の結晶のようだな。核から放射状に伸びるこれは何だろう。植物という生物の根の部分に似ているが」
ベニーがグラビバイパーに乗ってやってきた。上手になった様子だ。
「ずっと研究してるね」
「うん、推測ではあるが、壁に張り付いていた半透明の管は、植物の根が成長したものかも知れない。そうだベニー、こいつに名前を貰わなくちゃ」
「そう聞かれると思って。この板がなければ入手できなかったから、功労賞としてバイパーの名を授与してあげよう」
「いい名だ、僕も誇りが持てる。では、バイパーを保管庫までお願いするよ。これもいずれは培養することになる」
ナビゲーション「量子波の異常を感知、クロノメーターを確認中」
ベニーは壁に激突した。
「ちょっと、なに?」
「慌てることはない。このエンプティリア領域では、粒子と波動の境界が曖昧なんだ。つまり、物質の振る舞いが通常とは異なるんだよ。もっと単純に言えば、時間が歪んでいるんだ」
「全然わかんない……じゃあ、何でさっきまでは平気だったの?」
「良い質問だ、調べてみよう」
正面スクリーンに可能性が指摘されはじめる。即座に数万の近傍天体が序列化されると、原因の要点から十分条件が導き出され、最終的結論として仮想モデルが描かれた。
「これはマグリスだ。近づいてるんだ。いいかいベニー、これは大きな質量の星が、自らの力によって爆発した過程で生まれた中性子星だ」
「その星が悪いやつなのかあ」
「生物によっては生理的リズムに多少の影響はあるだろう。しかし僕たちは平気だ。これもライフシーカーの力だよ」
「まだ見えないけど、見てみたいね」
「マグリスは直径20キロもない小さな星で、単独で高速回転して強力な磁気を発しながら輝いているはずだ。では、遭遇に備えてクロノメーターを調整しておかないとな」
「ところで、三つ目のサンプルはどんな場所?」
「これからエンプティリア領域を抜けて、トリノスフィア領域に向かってる。詳しくは後で説明するが、その領域内にある岩石惑星だ。大気の状態が不明だからエクソスーツを着用しないとな」
「今度も変な生物から採取する?」
「それがね、複雑な話なんだ。はるか以前には生命体がいたのは確かで、サンプルを取得できた。ところが現在は、その当時の生体反応は確認できないんだが、何かが関与していないと起こり得ない現象がみられる」
「例えばどんな様子?」
「その惑星も恒星を公転しているんだが、極端な楕円の公転軌道をとっている。そうすると、本来であれば灼熱と極寒を繰り返すはずなんだが、焼かれもしないし、凍りったりもしていないことが現在の解析結果なんだよ」
ナビゲーション「量子波の異常を感知……」
「まったく、さっき調整したはずなんだが……」
どす黒い正面スクリーンに、小さな光が目を引いた。
「ジーク、あれがマグリス?」
「うん、小さい星だけど、強大なエネルギーを放射してるんだ」
「ああ、もう行ってしまうのか……」
「ははは、この船が早すぎる」
彗星のように去っていくマグリスの光。その薄れゆく輝きが、ジークの心にベニーを重ね合わせた。ふいに襲ってきた信念の揺らぎが、彼の握る操縦桿を震わせ続けていた。
ナビゲーション「新しい航行データを取得しています」
ライフシーカーを包む青白いプラズマシールドが、放射線の影響でやや暖色を示し始めた頃、ベニーは正面スクリーンで作業をしていた。
「ところでベニー、何やってるんだ?」
「窓ふきだよ?」
「そうか。汚れに見えたものは、はるか前方に点在するガスの塊だ」
ベニーはしゃがみ込むと両手で顔を覆った。
「トリノスフィア領域に入ったようだ。目的地はここからそう遠くない」
「待ってたよ、私のトリノスフィア……」
「そうだったのか。説明に移るが、簡単に言うと放射線密度の高い領域だ。その根源は恒星の核融合反応だ。面白いものも見れるよ、ほら、向こうの窓に」
「あれはなに……すごくきれいな」
エメラルドグリーンの光が、一部の空間をオーロラのように柔らかく包み込みでいた。その中には淡い紫の霧が漂っている。まるで巨大な宝石が砕け散り、その破片が光となって舞っているような光景だ。
「本来は見えないものなんだよ。放射線のスペクトルシフトという影響によって、通常は見えない波長が可視化されてる。赤外線や紫外線などがね」
ベニーは口を大きく開けて見とれていた。
「ベニー、こっちだ。反対の窓に注目」
「なんなのこれー!あっああ……めまいがしたわよ」
金色の閃光が突如として現れ、空間全体を一瞬で照らし出す。黄色とオレンジの光が重なり合い、まるで光のシャワーが降り注ぐような光景だ。
「これも同じ理由だ。幻想的だね……」
ベニーは全てを見逃すまいと、三か所の窓を走り回っている。
「ああもう、私はめまいの中で一生を終えたい」
「ははは、それは身体に悪い。こっちに来て。ほら、こうしているうちに目的の惑星が見えてきた。しかし、あのリングは変だな……」
「真っ白なボールに虹のリング!が付いてる……」
「本当だ……おかしい、調べではこんな姿じゃなかったはずだが。よし、ベニー、装備と降下準備だ」
ナビゲーション「重力場、大気組成解析中。最短降下ルート計算中」
二人はエクソスーツを装着した。熱や放射線耐性に特化した惑星探査用スーツだ。外観は黒のメタリックでフィット感のある曲線的なデザインだ。呼吸器系の細いチューブが目立ち、重厚さを醸し出している。
二人は降下ハッチ前で準備をしていた。
「ふうう、緊張するなあ。練習しなくちゃ、こんにちは?どうもどうも」
「わくわくするんじゃなかったのか」
「だって、何がどんな姿でいるのかわからないんでしょ」
ナビゲーション「大気組成不明、表面スキャンに失敗しました」
「ほら、あんなこと言ってるし」
「強い放射線の影響だろう。前回だって知らないことの方が多かっただろ。そういうものなんだよ。ただ今回は、アーカイブデータの着陸地点が参考にならない。よって、山岳地帯の盆地に決定した」
「じゃあ、そこからどこへ向かえばいいのかわからないんだね」
「そういうことになるが、周囲を観察すればヒントは見つかると信じたい」
ナビゲーション「着陸地点、最終確認。降下シークエンス開始」
「何かに出会ったとして、突然襲われたらどうすればいい?」
「エクソスーツにも確かに限界はあるが、僕の知る限りでは、好戦的な生物は確認されていないんだ。何か異常をきたしている場合を除けばね」
「だから武器を持ってきてないんだね」
「うん、必要なのは武器じゃなくて知識だ。仮に襲われたとしても、走って逃げるだけだ」
ナビゲーション「サーフェスアンカーリング作動。最終安全確認」
真っ白な砂粒大の粒子が、煙のようにライフシーカーの周囲に上った。
「エンジン停止確認。行くよ」
ベニーは我先にと、滑り台のようにスロープを足から滑っていき、勢い余って頭から地面に着地した。
一粒の白い粒子を手に取ったジークは、強い関心を示して観察すると、非常に軽い物質であることを確認した。辺りを見回すと、その粒子で一帯が覆われ、地面を構成するものであることが明らかになるとそれを捨てた。
「見てジーク、空が虹になってる……」
ジークは上空を見上げると、時間が止まったように感じた。その幅だけでも1万キロはあるだろう。視界に収まらないほどの巨大な虹のリングの一部が、長細い雲を伴って、くっきりと浮かんでいた。
「不思議だ。この惑星で僕がわかることは、わからないことだけかも知れない。全てが作られているとしか思えないが、作れるはずがないんだ……」
「えーそれは困るよ、何がわからないの?」
「ベニー、聞いてくれ。僕たちは、エクソスーツの内部に循環する空気を利用した音声通信システムで会話している。もちろん、外部の音もキャッチして伝わる仕組みなんだが、自分の足音が聴こえないだろ?」
「うーん、外には大気がなくて真空ってこと?」
「その通りなんだよ。音を伝える物質がない。いつの間に学んだんだ?」
「ジークが寝た後に時々ね」
「では、僕はもっともっと寝る必要がある。話を戻すが、真空だとすると、なんであそこに雲が浮いているのか不思議になってくる」
「うーん、考えるのはよそうじゃないか」
「うん、ベニーに賛成だが、学者の魂が僕の口を勝手に動かすんだ。僕は降下中に地表の様子をを観察したんだが、一面真っ白で何一つ見えなかった。要するに、上空には未知なる大気の層があるという仮説が立つんだ」
「じゃあ、地表の近くだけが真空?」
「そういうことになる。今、僕たちは山岳地帯の盆地にいる。だから見晴らしのいい場所にいこう。地表の本当の姿が見渡せるかも知れない」
「それなら頂上を目指した方がいいね。そこまで真空であればだけど」
「賛成だ。頂上方面は白い岩石のような構造があちこち突き出してる様子だ。険しそうだがグラビバイパーで進もう」
頂上は水平に刃物で切り取られたように完璧な平面だった。遠くを見回すと地平線の境界がはっきりしていない。それよりも、唖然とする光景を二人は見つめていた。
「高度文明だ」
「ベニー、あの柱が見えるか?」
「うん、見た記憶がある」
「僕も記憶がある。ヒエログリフ……滅んだはずのものだ」
中央には巨大なオベリスクを思わせる構造物がそびえ立ち、それを中心にして波紋のように幾重にもドーム型建造物が輪を作っている。乗り物や人影は一切見えず整然としていたが、曲線と直線の秩序立った造形美に心を打たれ、ベニーは座り込んで涙を流していた。
「ベニー、僕たちは挨拶をしに行かなければならない。行こう」
『挨拶は必要ありません。貴方たちが来ることを知っていました』
二人は、互いの心に何かが届いていることを、目を見合わせて確認した。
『貴方たちが目にした"欠片"は、私たちを創った者たちが所有していた物です。私たちは、欠片を通じて貴方たちを観測していました。私たちが尋ねたいことはひとつだけです。貴方たちの目的は何ですか」
二人は言葉を失うも、言われるがままに自分の心に強く言葉を託した。
『分かりました。そして、貴方たちが何を知らないかについて、私たちは知ることが出来ました。貴方たちに会う必要があります。私からそちらへ向かいます』
「ジーク……」
「ベニー……」
平らな頂上の淵に、滲み出るように真っ白な人型が現れる。目は二つ、鼻も口も耳もある。生物なのか機械なのか判然としない。高度なホログラムかも知れないが、実在している感が強い。真空にわずかな歪みを感じる。それは、視線を真っすぐに保ったままこちらへと向かってきた。
二人はただ涙を流すだけだった。
人型のものは、二人の目の前で立ち止まると、腰を落として、まるでスローモーションのように右手をベニーに向けて差し出した。
『これを』
手渡されたそれは、内部に亀裂状の空間が入った小さなダリーだった。すると、人型のものはジークへ向き直した。
『貴方たちが知らないものを貴方に』
瞬間、ジークは胸を一瞬揺らした。彼の脳裏に、行うべき"知識"が焼き付いたように感じた。すると、人型のものは数歩後ろに下がった。
『貴方が必要な場所と私たちの全て。また会えることを望みます』
人型のものは、視線を保ちながら真空の歪みに飲まれていった。
二人はその後も黙っていた。また突然に声が届くんじゃないかと二人は願い続けていた。暗闇が覆い始めると、ジークはグラビバイパーで滑り出した。立ち上がれなかったベニーを背負い、涙を散らしながら。