【小説】もう一つの起源 第三話
第三話
ナビゲーション「大気圏離脱完了。推力100%。軌道に乗せます」
ホログラフィックラボ(分析室)には、先進機器が整然と並び、薄く青白い光が室内を照らしている。その中でも中心的な役割を果たすのは、高度分析装置ヘリックスリゾーム。これは、未知の塩基をナノスケールで解析することができる高度な装置である。
「よし、これでいいはず。そこの点滅しているキーを押してもらえるか。塩基シーケンシングが開始される」
「それはどういうこと?」
「これは、ネブラ細胞から塩基を抽出するんだ。細胞にアクセスして、そこから細かく解析していく。簡単に言えば、物がよく見える機械だ」
「それからどうするの?」
「HDを見てみて。解析が始まっ……これは五重らせん構造だ。通常は一つなんだが、塩基対が四つ多い。加えて、未知の塩基配列が見られるな」
「私は五重の方がいいと思うなあ」
「そうか。僕もそんな気はする。エクソンリファインダーにかけよう」
「今度はなんだ、覚えきれない……」
「名前はどうだっていいよ。塩基がどのようにタンパク質を生成しているかを調べるものだ。これで全容がわかればいいが」
「あまり知りたくない気もするけど……はっ、いけない。私の悪い癖」
「うーん、通常より高度な修復メカニズム。これは、自己修復能力を示しているのか?そうだな、ネブラは自己再生能力を持っていると言える」
「それを腕の傷口に塗れば生えてくるってこと?」
「いいえ。五重らせんは意外だったが、設計図のピースがひとつ埋まった。最後の仕事だ、ネブラを保管ユニットに保存しておいてくれ」
「私たち、どのくらいの距離を進んだのだろうか」
「以前、球状の制限区域の話をしただろ。その真ん中辺りまできてる」
「じゃあ、340億光年くらいか。これからどこへ向かうの?」
「制限区域内では、あと二か所でサンプルを取得する必要がある。そこは基礎データがあるんだが、その後は未知の領域を探索しなければならない」
「最初は不安だったけど、何だかわくわくしてきたなあ。さっきの巨大なネブラとの戦いで、私にも出来るんだって」
「あれは戦いだったのか?おまけに溶かしてもらって」
ナビゲーション「フェニックスレルム小惑星帯に接近中」
「今度はどうした?」
「現在、僕たちはノクターナス星雲の中を航行していて、この星雲内に点在する小惑星帯の一部に近づいてるんだ」
「ほんとだ、何か沢山見えてきた」
「ノクターナス星雲は、変化と再生の活動が活発なんだ。ベニーが今見てる岩石群も、互いにぶつかり合っては姿を変えて、やがては巨大な惑星に育つのかも知れない」
「そうなのかあ、命を削って成長してるって、私みたいだ。うまく育つといいね。あのモヤモヤはなんだ?」
さり気ないベニーの言葉だったが、ジークは重く受け止めざるを得なかった。必ず取り除き、光に変えてみせると、今一度心に誓った。
「あれは色んなガスが集まってる状態で、再生の初期段階ではあるが、変化や再生のメカニズムについてははっきりしていない。そもそも、僕たちは宇宙空間に存在する物質の半分もわかってないんだ」
「見て、きらきらしてる岩石がある。ダリーかも知れないよ?」
「ははは、そうかも知れないが、十分採っただろ」
「うーん、どうも様子が違う感じだなあ……」
「どれどれ、これは希少鉱石の類じゃなく、デザインされたものだな」
「誰かが作ったってこと?」
「うん、間違いない。僕たちよりはるかに高度な文明が想定される。あの折れた柱のような残骸を見てごらん。原型の一部が残っていること自体が信じ難いことだし、ヒエログリフのようなものが見えるだろう?とにかくデータ解析してみるよ」
「その文明は壊れちゃったわけだよね。何だか悲しい気持ちになる」
「そうだね……何かが生まれたのか、あるいは移住してきたのか。文化が生まれ、文明が生まれ、あらゆる分野の進歩の果てを、僕たちは見ているんだ」
「私たちもだもんね……儚いなあ」
「そうだな。だからこそ進歩を目指すのかも知れないし、進歩によって破壊に至った可能性だって考えられる。これは難しい話だな」
「何かが居たということは、色んな思いがあったんだろうな。なのに、今は誰も知らないなんて」
「データ解析の結果だが、文明も構造物も不明。何もわからなかった。危険性はないと思うが、現段階でリスクは取り難い。調査はやめだ」
「うん、むやみに触っちゃいけない気もした」
「もう暫くすると、エンプティリアという領域に入る。そこは、何もない虚無の空間と言われていた領域だが、ひとつだけ恒星が確認されたんだ。その周囲を公転するいくつかの惑星のうち、砂の惑星が次の目的地になる」
青白い一筋の光が漆黒の空間を切り取っていく。空白の暗黒領域との明確な境界線はない。二人を乗せたライフシーカーは、星々の薄れゆく輝きを経て、唯一の光が射す方へと姿を消した。
ナビゲーション「エンプティリアに突入。全センサー正常、視界ゼロ」
「何だかパネルのキーが点滅してるよ?」
「それは、空間異常を検知してるだけだ。つまり、機械がびっくりしただけだよ、問題ない」
「じゃあ、このキーは?」
「それも問題……あるぞそれは!まずい、重力異常だ」
ナビゲーション「重力フィールドが微弱変動しています。センサーが正確に原因を特定できません」
「うーん、まてまて落ち着け。人工重力システムの再調整は…….ベニー!バランスに注意しろ。どこかに掴まれ。衝撃が来るぞ!」
ベニーは頭から滑り込んでジークの脚にしがみついた。間もなく、沈み込むような重低音が次第に船内を覆い始め、一秒ごとにマグニチュードが高まるような錯覚に囚われたが、わずかな衝撃とともにそれは止んだ。
ナビゲーション「重力フィールド、ノーマライズ完了」
「ふう、大したことなくて良かった。そうか、エンプティリアは重力が小さすぎる空間で、重力フィールドに相対的な問題を引き起こしたんだ。やっぱり机の上と現実は違うな……あれ、ベニー?」
ベニーは震えながらしがみついていたが、泣きっ面の頭を向けた。
「スクリーンを見ろ、中央に小さな光がひとつ。あれがルーミナソルだ」
「さっき言っていた星だね。ということは二つ目にもうすぐだ」
「うん、ルーミナソルの近くに砂の惑星があるはずだ。そこは惑星自体の重力が小さいから、宇宙空間の微粒子がパウダーの層になって地表に柔らかく蓄積されている」
「ということは、まずいね?」
「何がまずいかわかってないよな?例えるなら液体だ。一見すると砂の台地に見えるが、足を踏み込むと、どこまで飲み込まれるかわからないんだ」
「弱ったなあ、それじゃあ諦めるしかないのか……」
「僕も以前はそう思った。だから、あるものを用意した。待ってて」
ジークはそう言うと、舌を向けながら船内の奥へ消えた。
少しして、風を切るような音が聞こえてくると、ジークは小型のサーフボードのような板を足に装着し、ベニーの目前で華麗なブレーキターンを披露した。唖然とした目つきのベニーは、ジークの予想通りに言った。
「私のは……?」
背中に隠し持っていた板を手渡すと、彼女はさっそく装着し始めた。
「これは僕の研究成果のひとつで、グラビバイパーと名付けた。原理は小型の反重力ジェネレーターとスタビ……細かいことよりも、ジャイロセンサーという古代の技術を応用しているのが特徴だ」
ベニーは転げまわっている。
「全ては搭乗者の重心に応じて動く。少し慣れが必要だから今のうちに練習しておいてくれ。僕は砂の惑星の追加調査をしている」
ナビゲーション「降下シークエンス開始。スラスター微調整」
「この惑星は、わずかな重力しかないから着陸に安定感があるね」
「私はグラビバイパーの不安定感が不安だわ」
「船内で待ってても構わないって言っただろ」
「そうはいかないわ。自分の為の作業だし、わくわくするし」
ナビゲーション「サーフェスアンカーリング作動。最終安全確認」
「エンジン停止確認。ハッチ展開、スロープ出るよ」
「目標地点は真北方向、1キロ先にある穴ね!」
「うん、勢いに乗っていこう。僕の後についてきてくれ、行くぞ」
風もなく音もない薄茶色の世界。ルーミナソルの微かな光が、砂粒を照らし出して黄金色に輝かせている。ひときわ目を引く独特な形状の岩山には、小さなクレーターの痕が点々と残り、一面砂漠の地表には、蟻地獄を彷彿とさせる巨大なクレーターの痕跡が見られた。
「あっという間だったね。私は本番に強いタイプかも知れない」
「僕の方が不安だったことは知らないだろ?ともかく調査開始だが、グラビバイパーは不要。中は暗そうだな、ヘッドライトを忘れずに」
二人は、ごつごつした岩壁を確認しては手で撫でながら、窮屈な自然洞窟を注意深く進んでいった。
「徐々に下ってる雰囲気だから、この穴で間違ってなさそうだが」
「ジーク、ここでの目標ってなんだっけ?」
「下層に生息しているとみられる生物のサンプル採取。文献で知っただけだが、姿は植物という生物に似てはいるが、厳密には異なるものがいるはず」
「何だか壁の色が黒くなってきたなあ、変な臭いもするし」
「僕も気になっていた。テラエレメンターは持ってきたよな?この壁の組成を調べてくれ。センサーをかざして音がしたら分析完了だ」
「やってみる。うーん、早くしろ。主に窒素とリン酸、カリウムだ」
「やっぱりか。僕の知識と違う。変化しているんだな」
進むにつれて洞窟は狭くなっていった。時折、分岐点に差し掛かると、ベニーの直感に頼ったが、褒めたくなるほど行き止まりであった。
「残るはここだけだが、この先で何が起きるか予測できないし、帰りの為に目印を付けておけばよかったな。ベニー、覚えてるか?」
「ちょっぴり不安だけど、私は本番に強いタイプだし」
「この場合はちょっと違うんじゃないか」
見通しの悪い曲がりくねった洞窟を、身を縮めながら一列になって進んでいく。やがて、先頭を行くベニーの目に白く光る空間が映った。
「ジーク、あれは光?」
「うん、あの部屋にどこからか光が射しているんだ」
二人は広々とした部屋の入口に到達すると、その様子に立ち尽くした。ひび割れた黒っぽい壁には、半透明の管のようなものが蜘蛛の巣のように張り付き、光沢のある緑や黄色が部分的に密集していて希少鉱石を想像させた。天井にはいくつかの亀裂があり、光のカーテンが射しこんでいた。
「ジーク見て、天井の隅の暗いところ。何本も氷柱があるよ」
「あれは氷柱じゃないよ。ここはそんなに寒くないし、水もなければ重力も少ない。ということは鍾乳石でもないか……」
その垂れ下がったものから二人は揃って目を降ろすと、その直下に奇怪な物が蠢いていることに気づいた。
「ジーク、あれ見てるよね?あれは絶対触れちゃいけないやつだよ……」
「心配ない、僕は今考えている。あれが何を意味するのか」
「どっくんどっくんいってるじゃない……前みたいに触手とか伸びてこないわよね……ああ、もう私失神しそう。もうだめ、だめ」
「まさか、そんなまさかだが。ベニー、ひとつの可能性を考えてみた。その前に、上から滴り落ちているものを知る必要があるが、つまり……」
「……それ以上言わないでもわかるわかる。どっくんに近づいてテラエレメンターで分析する。よく見ると、どっくんに落ちてないあれ?」
「うん、何も付け足すことはない。そうか!わくわくするって言ってたのはこのことだったのか」
「ふうう……」
「大丈夫、僕も近くに行くよ」
その奇怪な物体は、壁から伸びた管の一部分とみられ、破裂しそうなほどに膨らみ、まとわりついた腫瘍のようなものが互い違いに鼓動し、上から滴り落ちた物質は吸収されているように見えた。
ベニーはゾウガメに負けるような足取りで、ほぼ密着位置に到達すると、これでもかと腕を伸ばし、顔を背けたままテラエレメンターをかざした。
「早くしてくれないかなもうこれ早く……ぺちゃって言ったよ、なに?」
「上から落ちた物質が手に当たっただけだよ」
「できたできた。向こうへ行こう、すぐよ、すぐ」
「少し採取もしていこう」
「結果。カルシウム、マグネシウム、アミノ酸……沢山出てくるなあ」
「やっぱり。僕は考えがあると言ったが、これは樹液に近いものだと思うんだ。そして、あの奇怪な物体が心臓に相当するとしたら……」
「もしかして、洞窟だと思ってたもの……」
「そう、生物なんだ。初めから目の前にいたんだ。岩山自体が生物だったんだよ。この樹液から細胞も採れるはずだ」
「傷つけないように静かに帰ろう」
「そうしよう、そうすべきだ」
ライフシーカーは静かに砂の惑星を後にした。はるか後方では、岩山の中腹から大きく突き出したものが、上下にゆっくりと揺れていた。