【小説】もう一つの起源 最終話
最終話
彼らか、その系統は、付近の真空の惑星に移り、灼熱と極寒のサイクルから逃れるための大気を創造した。彼らはクローンなのか、あるいはクローンが創った生物なのか。いずれにせよ、何がしかの子孫が文明を継承したのだ。
ベニーは品のないのろけ顔で目を覚ますと、きょろきょろしはじめた。
「あれ、私のダリーどこやった?」
「ラボにおいてあるよ。亀裂の中は未知の液体で満たされていて、彼らの塩基が閉じ込めてあったんだ。これの名付け親が目覚めるのを待ってたよ」
「うーん、ティア。散々泣かされたからなあ」
「美しい響きだ。相応しい」
「これで三つか。あと一つだね」
「実は、最後の一つは最初から持ってる。僕の塩基だ」
「えー、そうだったのか。私のもあげるよ、是非もらってくれ」
彼女の言葉は軽口のようだったが、真剣な眼差しが、できる限りのことはしたいという強い思いを語っていた。だが、ベニーの塩基は使い難かった。
「一つでいいんだよ。性別で違いは全くないんだから。そして僕の塩基にはもう名前が付いている。その名もベニーだ、ははは」
「私の名前が塩基の世界で活躍できますように。塩基が何なのか知らないけど。ところで、ジークはなにもらった?」
「僕が必要としていた恒星の、大きさと方位。彼らに知識をもらったんだ。スキャンにかけて絞り込んだよ。既に自動航行で向かっている」
「でも、何で色々してくれたんだろう。それを聞きたかったし、後からもっと色々聞きたくなってきたよ。なのに私は泣いてただけだったし……」
「僕たちは心の底まで覗かれた。それだけは確かだ。その中に彼らの利益や、共通する目的があったのかも知れないな」
「全てがうまく運んだら、また会うことがあるかも知れないね」
「そうだな、必ずそうなる」
ナビゲーション「周囲の環境をスキャン中。航行データを更新しています」
ジークは静かに操縦席を立ち、遠くを見るような目つきは放心状態のようだった。心配したベニーは彼にそっと手をかけた。
「具合でも悪いの?」
「あ、いや、制限区域を出たんだ。もう未知の領域に入ったんだよ……」
ジークの心中は、学者としての再出発でもあり、熱意と不安が交錯し、誰も知らない空間に自分がいることの誇りと恐怖とが渦巻いていた。
ベニーはスターフロウとネブラブリューを混ぜて差し出した。二人は長い間口も開かず、ただ寄り添っていた。
ナビゲーション「航路に銀河団を確認。アーカイブを検索します」
無機質な音声はベニーを目覚めさせ、スクリーンに走らせた。
正面スクリーンのひとかけらの光が、じわじわと重なりを解きながら近づいてくる。一つ一つの輝きが色彩を帯び始めると、数多の矮小銀河を引き連れて、華やかな雲に包まれ始め、やがて銀河団の実像が浮かび上がる。その広がりは何百万光年あるのだろう、壮麗な光景だ。
「ジーク……怖いところじゃない」
「これが新しい世界……」
「誰が作ったんだろう……ネブラみたいな形もいるよ」
「うん、芸術だ……描いたんだ。僕たちはこの中の一つに向かってる」
渦巻き銀河の力強い腕に向かってライフシーカーは進み続けた。まるで宇宙の舞踏会に招かれたかのように。
ナビゲーション「天体予測モデルと合致しました。惑星系のデータ収集を開始します」
観測データや軌道解析、スペクトル解析。正面スクリーンに情報が次々と描き出されていく。
「ついにここまで来たんだね」
「色んなことがあったけど、僕の真価が問われるのはここからだ。まずは恒星を周回しながらデータを集める。その後は塩基を組み立てる作業が待っている」
「私にできることは何でも言ってね」
「もちろんだ」
ジークは塩基配列を構築するための基礎データをエコシュミレーターで取得していた。
「構成要素が、主に水素、ヘリウムか。一般的な恒星の壮年期ってとこだ。惑星系の解析結果が……九つの惑星で構成され、岩石とガス惑星の半々か。生命反応はなしだな。そして、最低条件である水があるのはいいが……」
「今度はどんな惑星?」
「うーん、荒涼としてなんの変哲もない惑星だ。ただ、水が大量にある」
「水が必要って言ってたもんね。あとなんだっけ?」
「多くの条件が必要だが、残念なことに大気中に酸素がほとんどない。あるのは二酸化炭素や水蒸気、窒素その他だ。まずやるべきことは、酸素を作り出す生物を創ることからだ。バイオインキュベーターに行こう」
バイオインキュベーターは、異星生物のサンプルを培養や観察するための場所だ。完全に密閉されており、外部環境と切り離して安全に研究を行うことができ、多様な環境条件を再現できる。
「見慣れない文字が画面にいっぱい走ってるね……」
「ついに、僕の片腕と等価交換の設計図の出番なんだよ。今は各塩基の基礎データを読み込んでる。ネブラ、バイパー、ティア、ベニー。この四つを組み合わせることで、生命の最小単位を創り出せる」
「私も手伝えるもの?」
「うん、ベニーのセンスが光る仕事だ。ダリーでリングを製作したときと大差ない。基礎的な構築や再構成は機械がやってくれるから、僕たちの仕事の大部分はデザインをすることになる。それを終えたら、惑星に降りて解放するつもりだ」
「楽しそうだけど、私は考えちゃうからなあ」
「難しく考える必要はない。僕たちが動かせるのは、塩基配列のほんの一部でしかないから。それを自由に組み合わせればいいだけだよ。成長過程や成長した姿をシュミレーターで見ながらね」
「ということは子供を沢山創り出すんだね」
「うん、ベニーの病を治すためには知識が足りないんだ。知識を育てるには多様性が不可欠なんだ。その多様性を育むには環境が必要なんだ。以前も言ったように保証はできないけど、創造された生物の能力から、僕たちは知識を得ることができると信じている。これが僕の考えなんだ」
旅の始まりから、ベニーは自分の病のことなど考えもしなかった。ただ、ジークの熱意の支えになりたい一心だった。今、彼女の手は少し瘦せたように見える。だが、持ち前の元気は健在だ。
二人は種を創り出し、種を規定した。バクテリアのような微生物から霊長類に至るまで、これまでやってきたようなやり方で。それらは、変わりゆく環境に適応する過程で、様々な科や属に分かれ、固有の能力を磨いていったが、それらは決して、種の壁を超えて進化することはない。
数千年後。
一人の考古学者が、発掘作業の中で、刻印が施された指輪を偶然発見した。
それは知らぬ間に抜け落ちた、ベニーの探し物であった。
終