(2) 続、準備は着々と進む(2024.2改)
「うわ〜、広い道路だねぇ」
「はい、左右両車線合わせて20車線あります。ビルマ人は緊急時の滑走路として使えると噂しています。道路の表面はアスファルト舗装ではなく、コンクリートを使っています」
ヤンゴンの日本大使館員の黒岩 勲と運転手兼通訳のネ・ウィンが乗用車で走りながら話していた。2006年、ラングーン、現在はヤンゴンと呼ばれている元首都から移転して作られた街がこの「ネピドー」だ。
行政機能だけが備わった都市とも言われており、黒岩が数えた限りでは3つのショッピングモールは有ったが、レストランは20軒も無いとネ・ウィンが言う。首都移転して15年にもなるのに、各国の駐在員は軍事政権と閣僚・官僚同様に自炊を強いられているらしい。そのため、日本大使館を始めとする各国の大使館と、中国、日本の商社や企業などの駐在員の多くは経済の中心であるヤンゴンに留まったままだ。
首都移転の表向きの理由はヤンゴンの一極集中を回避する為としているが、ヤンゴンの経済機能を移行させずに留めているので、今でも行政機能しかない。
一説によると、軍事政権は都市部の市民を恐れていると言う。欧米で高い教育を受けた人々が帰国し、ヤンゴンに多く住んでいる。軍事政権に反対し、民主主義を唱える市民運動も活性化している状況を軍事政権は危惧している。
アウンサンスーチーが英国からの移住後、政党を打ち立て、選挙で大量票を獲得して旗頭に奉られた実績があるだけに説得力がある。
実際、軍事政権がスーチーを軟禁化すると、欧米各国は政権批判を声高に主張した。その呼びかけに留学生と帰国者が呼応し、反体制派としての勢力が増長したのが、仇となってしまった。
仮にヤンゴン、マンダレー等の都市部で革命が起こっても、政権中枢をネピドーに集中させて影響を受けにくい状態を保ちつつ、ネピドーの国軍総司令部から250キロ離れたヤンゴンへ軍を派遣し、早期鎮圧できる体制を整えている。
遷都には国会や議員宿舎、軍総司令部と治安維持部隊の駐屯地などの建設が伴ない、莫大な資金が掛かったが、高騰し続ける天然ガスの輸出に支えられた。
隣国の工業化が軌道に乗り、タイへのガス輸出が堅調に伸び、移転に必要な財源が確保できた。
ミャンマーは火力発電用の燃料には事欠かない国でありながら、ネピドーの電力だけが極めて潤沢で、ヤンゴン、マンダレー等は停電が日常茶飯事のままだ。国全体を潤さず、地下資源による利益を軍が独占し、軍事政権が維持出来ればそれで良しと言うスタンスだ。
「あれが、海外からの来賓用のホテルですね。バンコク、インドのインパール、中国の昆明と3路線ネピドー空港と繋がっているので、3カ国の人達しか利用していません」
「勿体ないよね・・」
「タイにガスを売って、兵器を中国から買うだけで、軍は食っていけるんです。それ以外の国と真正面から交渉すれば、外国から民族人権問題やスーチー軟禁で騒がれるだけです。
また、ネピドーの行政区域は一般人は立ち入り禁止で、商人は商業地区に隔離されています。軍の司令部なども政府庁舎とは離れた場所にあります。軍事政権は首都を発展させようとは全く思っていないので、ヤンゴンとマンダレーに一般人と経済を集中する流れは一向に変わっていません」
「あのさ、今は車の中だからいいけど、街に出たら余計な事は言わないでくれよ。警官にしょっぴかれたら、目も当てられないからね」
「分かってますよ・・
黒岩サン、あれが国会。どう?日本の国会なんて目じゃない大きさでしょう?」
ドーム球場の70個分とも言われる国会議事堂は2010年6月完成。2011年1月に実に22年ぶりの連邦議会がここで開催された。
「社会主義の名残り・・中国の全人代みたいに、全国からお偉いさんが集まってくるんだよね?」
「軍人が議席の4割を占めるのは憲法で決まってますから、議会は軍に牛耳られてます。誰も反対できません。社会主義というよりファシスト体制ですね」
「あぁ、そうだったね・・」
「それより、ランチにしませんか?今、ネピドーで話題になっているテイクアウトの店があるんですよ。テイクアウトとデリバリーが主体ですけど、イートインコーナーもあるそうです」
「そうなんだ・・」黒岩はビルマ料理に興味が無かったので、曖昧に応じた。
車が商業区域・・といっても小さなものだが・・に入って、店舗に隣接する駐車場に入った。「Pizza&Sushi」とあるので悪寒を黒岩は感じた。
駐車場は高級車ばかりで官庁街ならではの光景で、ほぼ満車で賑わっているのだが、東南アジアの寿司はガッカリで嫌悪していた。しかもネピドーは内陸地だ。全く期待できない。ピザにしようと半ば諦めた顔でネ・ウィンに付いて店内に入ったら驚いた。
客の大半が食べているのは立派な寿司で、美味そうに見えた。ピザも本格的で、ピザトーストを想定していた黒岩は何度もジロ見してしまい、食べている客から睨まれる。
今は無きアンナミラー〇のようなコスチューム姿の店員さんに席を案内され、渡されたメニューが日本のファミレスのような大きさの本なので、驚く。見開くとカツ丼、親子丼と天丼もメニューに載っていた。写真で見る限りは見事な盛り付けだが、実物はどうだろう?と周囲を見るが、皆、寿司とピザで丼ものを食べている客が居ない。
「黒岩サン、これ見てよ」
ネ・ウィンがスマホを押し出してきた。SNSに投稿したカツ丼や天丼の写真で、ネ・ウィンの笑顔が眩しかった。
「カツ丼定食下さい!」黒岩は思わず日本語でオーダーしていた。
***
「なぜ、人の多いヤンゴンに無いの?」
「普通のビルマ人には少し高いのかもしれない。それとも、一応首都だから?」
食べ終えた2人は非常に満足しながら、打合せを終えた夕方も寄って早い晩飯にしようと誓い合っていた。
黒岩達が気づかなかったモノが2点ある。
店からピザと寿司の配達に次々と出る3輪スクーターは、プルシアンブルー製だったし、車のフロントガラスに見える着陸体制に入っている機体はサザンクロス航空のB747輸送機だった。
バンコク・ドンムアン空港の次にネピドー国際空港にやってきたのだろう。
ーーー
東南アジアの主要都市に店舗を持つスーパーとネットスーパー「PB Mart」とカジュアルウェアの「PB」家電・IT製品販売の「プルシアンブルーショップ」の昨年末までの2020年までの売上が公表された。
3店舗がASEANでオープンしたのが10月中旬なのだが、日本から進出しているスーパーやユニクロ、無印良品などのアパレルに加えて、ア〇プル、サム〇ンを年末は完全に閑古鳥に追い込んだと報じられ、日本のスーパー、アパレルはASEANからの撤退を検討していると言う。
例えば、シンガポール・クアラルンプール・バンコク・香港・台北でオープンしたスーパー「PB Mart」を例に上げると、日本の店舗と全く同じ価格で商品が提供されている。
日本の食品を輸入品として販売したので、商品価格が1.5倍〜2倍以上するのが相場となっていた。カップラーメンや菓子類までもが2百、3百円で販売していた所へ、日本と同じ価格百円以下で販売するのだから、従来店舗の客足が遠のくのも当然とも言える。
従来のスーパー・チェーン店は、全店舗の仕入れ量を基準にして製造会社、卸売会社と仕入れ価格の交渉をする。
PB Martの場合、日本の店舗とネットスーパーでは東南アジア製品を現地とほぼ同じ価格で提供し、東南アジアの店舗とネットスーパーでは、その逆、日本製品仕入れて日本と同じ価格で提供する。現地法人製造、日本法人製造の違いはあれども同じ企業製品の仕入れが商品の6割強を占める。PB Martは店舗数で売上増を計らずに、ドローンとAI navi搭載車両を使ったネットスーパーによる売上を上げて行く方針を掲げているので、店舗運営費と人件費が限られているので、薄利多売が出来る。
また、価格交渉の主導権をスーパー側が握る従来型スーパーに対して、集客力のあるPB Martで扱っている商品に参入する為には価格以上に「質と量」が求められる。
従来型スーパーでは「安価」を追求するあまり、商品を購入した消費者が「2度と買わん!」と怒り、ガッカリする事も少なくないが、PB Martはバイヤーが納得した商品しか棚に陳列しない。
また、バイヤー達が世界主要都市を旅していたCAさん達なので、採用基準が偶々世界標準になっている。大手スーパーのプライベートブランドの類は言語道断で、採用基準に値しない。 質の良いものは価格相応の値付けで販売する一方で、東南アジア製の格安商品も店内には多数陳列、カタログに掲載していているので、消費者の多様なニーズに応えられる様になっている。
日本からPB Martのバンコク店を視察に来ていたプルシアンブルー社副社長の山下智恵は、盛況な店内でタイの人々の店内での動線に注目していた。
食品で好評なのが、寿司やピザをはじめとするテイクアウトやネット配送に向いた惣菜の数々だった。回転寿司や揚げ物店などで導入されているロボットが寿司を握り、カツや天ぷらをフライヤーロボが揚げるのだが、パック売りされた寿司が異常に美味いと評判になっている。
寿司職人の握りをAIに学ばせ、ロボットの両手で職人の技を再現できるようにしたからだ。鮮魚コーナーにはチルド、冷凍で運ばれた岡山漁連と茨城漁連、富山漁連とロシア産の魚が店頭に並び、寿司ネタにも使われている。シャリはタイ中央部とベトナムメコンデルタで収穫されたジャポニカ米「美ら錦」が使われている。
スーパーの寿司と一緒にしてはいけないと口コミで広がっている。現に日本から東南アジアに進出している寿司屋が、軒並み閑古鳥状態になっているので分かるだろう。
ネットスーパーでも寿司人気は凄かった。「パーティーバレル」という回転寿司のファミリー用の持ち帰りセットと同じものが「宅配寿司」のように買われていった。一戸建てのお宅にはドローンが無人配送するので、巣籠り需要にハマったようだ。
ピザ用ロボットも複数の工程で活躍している。
生地を叩いてコシを強くするロボット、遠心力で生地を回して伸ばすロボット等、役割を分担して人力に頼らずに均一な商品を作り出す。
それでアメリカ系のピザチェーンを遥かに凌ぐとも言われると、開発に携わった者達には勲章となる。
プルシアンブルー・エイジア社、社長の志木佑香は、寿司の旨さの理由をバンコク店に取材に来たメディアに説明してから、
「無人AIが栽培した無料のジャポニカ米をAIロボットが握り、AIナビが装備されている車両、もしくはAIドローンが配達しているので人件費が殆ど掛かっておりません。それ故にこの値段でご提供できるのです。プルシアンブルー社では調理可能なロボットと全自動レジを開発していますので、近い将来弁当類もお安く提供でき、費用精算もスムーズになると考えております」と述べた。
バンコク、クアラルンプール、シンガポール、ジャカルタ、バンダルスリブガワンの各店舗の同じロボットと同じ食材が、ミャンマーの首都ネピドーでも使われていると知っている者は限られていた。
PB Martではなく、日本・シンガポール資本でもない、ウズベキスタン資本の「Pizza&Sushi」ネピドー本店として登録されていた。
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少々値段の高い・・と言っても一泊2千円しない・・離れのコテージを持つゲストハウスに投宿していた。ゲストハウスは貸切状態だったのでチップを弾んだ。ベッドメイクでご迷惑をお掛けしているのもあるのだが・・
チェンマイでは旅行者を見る日もあったが、流石に地方まで訪れるほど渡航者も居ないのだろう。メーホーンソンでは旅行者を見なかった。
メーホーンソンに移動してからは滞在が伸びる可能性もあるので、ビルマ人の多い当地でビルマ料理を食していた。
メインは女性2人の調整に徹していた。カナダでアンブッシュを徘徊した経験から基礎体力があるのは分かっているのだが、乾季の北部で朝晩は冷えるとはいえども、日中は30度を超す熱帯圏だ。晩秋のカナダとは条件が全く違う。
トレーニングは早朝と夕方の2度。数日間借りているレンタカーで山間部へ向かう。メーホーンソン入りしてからは、旧ソ連ジョージアのパスポートを使っている。
周囲の山は嘗てはカレン族やモン族等の少数民族のテリトリーだったので、今でもトレイルの跡が残っている。ベトナム戦争時にCIAがタイとラオス国境の民族をゲリラ組織とした訓練施設の跡も所々に残されている。
陽が昇り出した山のトレイルの跡を、蚊除けのネットを頭に被った、バックパックを背負った3人組が一列になって歩んでいた。現時点での武器は米軍から支給された拳銃1丁だけだ。
翔子と由真とで適時先頭を代わり、殿をモリが歩いていた。
乾季入りしているミャンマーとタイ北部の国境周辺は湿度も無く朝晩は20度を下回り、雨も殆ど振らない。観光目的ならベストシーズンと言える。
1時間置きに小休止するのだが、翔子と由真は顔を覆っていたネットを既に外していた。
熱が篭もるからなのか?と思っていたのだが、「藪蚊もアブも居ない」と言うのでモリもネットを外してザックに仕舞った。
「やっぱり、日本の山中に雰囲気が似てますね・・」由真が周囲を見ながら言うと、2人が頷く。
「ネピドーはこの場所とほぼ同じ緯度なので、この時期の朝晩は、冷房は不要です。だから首都にしたとも言えます。幹部連中はどうせ住むなら、避暑地で暮らしたかったんでしょう」
「ネピドーはカレン、シャンなどの少数民族の人達の多い州に近いので、軍が牽制しやすいし、治安維持に向いているとも言われてますよね?」
「そうなの?昨日夕飯を食べたレストランのビルマ人オーナーは、今の国家元首のお抱えの占い師が元首の軍人に首都移転を勧めたからって言ってたよ?」
翔子が「学」を見せると、由真が「俗」を語る。
「首都移転ですから、理由はいろいろあるんでしょう。ラングーン・・あ、今で言うヤンゴンですね、飽和状態でパンク寸前というのもあるし、軍の専制を欧米から批判されているミャンマーが湾岸戦争みたいに米軍主体の軍隊の侵攻作戦を受けた場合、海に近いヤンゴンは占領しやすいけど、内陸地のネピドーならある程度持ち堪えて、易易とは陥落しないだろうっていう読みとかあったり・・フゴっ」
由真が突然口を封じてしまうので何も言えなくなる。右隣の翔子が啞然としているので右目で不可抗力を伝えていると、由真が開放してくれた。
「誰にも出来ない1300メートル離れた場所から的を狙える先生には、体制を変える能力がある。
それも私達の加護、絶対的な安全圏を保ったまま狙撃地点から脱出できる。
ヤンゴンだったら大変だろうけど、民衆が少ないネピドーなら狙いやすい。相手もまさか狙撃されるとは思っていないだろうし・・ホントに凄いです・・」
「ちょっと、由真・・」また口を封じられたのでアタフタしていたら、翔子が助けに動き出した。
「お姉さんは朝鮮半島から毎晩だろうけど、私はまだ数日だよ、我慢出来ないって・・」
「能力」を使うと「その気になる」のは知ってはいるのだが、昨日と同じ場所でしなくてもいいだろう?と言おうとすると翔子が被せてくる。
「よし。次の休憩ポイントにしよう。小さな原っぱがある場所があったでしょ?こっちの方が良かったなって思ったんだ」
「乗った! じゃ行こっか」
2人が笑いながらザックを背負って、見捨てたまま歩き出してしまうので、仕方がなく立ち上がって、ゆっくりと後を追う。
昨夜も奉仕させられたので「まだ放出不可」なのかもしれないのだが・・
(つづく)