12章 怒涛の1年 (1)秘書達の判断で、私は何も知らない、の巻(2024.1改)
12月16日 先月30日から続いた第3回都議会が終わった。今年の最終日だからか、議場から出てくると記者達がモリを囲む。
「都知事選に本当に出ないのですか?」
いきなりマイクを突きつけられて、思わずムッとした顔をしてしまう。不躾な記者だなと思ったらY新聞だった。貴様、忘れんぞと思いながら、顔をトレースするように脳内に記憶してゆく。その表情のまま、
「出ません。1月一杯は海外に居ます」
と言ってその場を去っていった。
去ってゆくモリを見ながら、記者達は呆気にとられた表情をしていた。
コロナの特効薬が流通し始めた、とは言え 国際便は限られた路線しか飛んでいないし、各国は未だコロナ感染シフトを敷いている。
入国者に何からの制限を設ける体制を取っているのが普通なので、「海外にいます」と言われても、記者達は頭が真白になってしまう。
モリが特権を行使して待機期間生活の適用を免れ、PCR検査証明書だけで東南アジア・北米へ入国してきた実績を思い浮かば無かったようだ。
1月24日に山形、岐阜の県知事選と合わせて、都知事失職に伴う都知事選が行われる。
社会党は都知事選には候補者を擁立しないと何度も述べているのだが、サプライズ参戦でモリが立候補すると、メディアが勝手に書き立てている。2つの県知事選と3つの政令市の市長選で勝利を収めた社会党が、候補者を擁立しない訳がないと考えたようだ。
既に立候補を表明している弁護士を推薦する方向で党として判断しているのだが、年が改まる出馬会見の場まで、公表出来ない背景があった。
年明けの都議会は2月中旬から開催となるのを受けて、1月中は東南アジアに滞在する。
往路は第5王女の年末年始の里帰り用に飛ぶ、ロイヤルブルネイ航空のチャーター機にタダ乗りする計画となっている。
都庁を出て、10分に満たない距離を歩いてプルシアンブルー社の新宿オフィスまで到着すると、暫く新宿に来ないと思い立ち、1階のPB Martに入店する。自分が好きな菓子類を買い込む。家ではセキュリティの関係で気軽に買い物に出れないからだ。
時刻は18時過ぎ、夕食需要だろうか、弁当類を買う方が多く見られる。
サハリン沖、ウラジオストク湾内の安価なロシア産海産物が流通するようになり、刷新された具沢山な海鮮丼や海鮮おにぎりの売上が伸びている、というトピックスを目前で確認したようになった。具沢山なおにぎりが百円プラス消費税で購入できるのは、コンビニ他社にとっては驚異となるだろう。
鞄から折りたたんだナイロンのマイバッグを取り出し、購入した菓子の数々をしまうと店を出てエレベーターホールに入る。
監視カメラがモリを認識して、エレベーターを下降させる。
エレベーターに乗り込むと自身の事務所がある7階に自動で上がってゆく。7階で降りて事務所の前まで来ると、室内灯が点いている。
自分の事務所なのにノックすると由紀子がドアを開けて「お疲れ様でした」と頭を深々と下げてから手を伸ばして、コートを脱がしに掛かる。
室内温度が快適な状態になっていて、当然のようにチリ一つ落ちていない。
12月から専属秘書となったが、由紀子に至っては秘書というより専属メイドみたいだな、と思っていた。何も言わずにモリの着替えを手伝い、脱いだスーツとコートと合わせて数着を大型のトートバックに入れるとペコリと頭を下げて微笑むと、事務所を出ていった。近所のクリーニング店に出しに行ったのだろう。
母と入れ替わるように翔子がコーヒーを持って来た。新宿オフィスを始めとする会社の報告を翔子から聞く。由紀子が外から戻ってきてソファに座る頃には、翔子の報告事項も終わりを迎える。都議の身分なのに快適過ぎる環境だった。自宅に戻れば、母娘は妻の様に甲斐甲斐しくなる。
廊下をタタタと走る音が聞こえて来ると3人でお約束の様に立ち上がる。
「先生、おかえりなさい。おうちに帰りましょー」志乃の娘の美帆がドアを開けて言い放つのも、これが最後となる。年明けから富山の保育園に転園する。
事務所の電気を消して、由紀子が確認しているのは間違いないのだが、それでも冷蔵庫の中がカラになっていて、コンセントまでご丁寧に抜かれているのを確認して、部屋のブレーカーを落とした。
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翌日17日は来月27日に県知事選が行われる山形へ向けて東北道を北上していた。
姉の由真が運転し、妹の真麻は後席で寝ている。昨夜は妹が「当番の一人」だったのだが、姉がそれを揶揄したのか運転手の話し相手にもなるカーナビの電源を切ってしまい、車は栃木県境を過ぎて福島に入っていた。流石に睡魔が度々襲ってくるようになり、意識が曖昧なまま姉との会話を続けていた。
「共和党政権の続投っていう事態になったら、民主党から悪者扱いされるんじゃないですか?」
「どして? 民主的な投票行為の末に選ばれるのだから、どうのこうの言われる筋合いはないでしょ?」
11月7日の米国大統領選挙の結果はまだ全州での開票作業が終わっておらず、民主党、共和党双方の攻防が続いている。上院下院の獲得議席数もイーブンな状況で、自爆するように失職した大統領の大逆風を共和党が押し返す展開となっていた。
「それもこれも先生がホワイトハウス入りしたから、共和党が盛り返したんですよね?」
「ちょっと待って。君がネトウヨみたいな発言をするとは思わなかったな・・大前提なんだけどさ、コロナ用の薬が無かったら、この冬の感染者数と死者は何人と推定されていた?」
「それはそうなんですけど・・」
実際の史実として、新型コロナの世界的な大流行により2020年と2021年で1500万人近くが死亡したと綴られた最終報告を、世界保健機関(WHO)が提出する。
2020年に447万人、2021年に1038万人がそれぞれの年で他界した。WHOの最初の公式発表では540万人だったが、最終的には2.7倍以上も膨れ上がってしまう。
最も知見を有しているはずのWHOの予想や分析・集計結果を嘲笑うかのように、新型コロナは破滅的な破壊力を人類に与えたのだ。
*注 (物語上の想像の産物となる、2020年末に供給されたBuster C.19とBuster Cは、2021年の死亡者数1038万人の命を救う可能性があるという設定で話を進める)
12社の富山県内製薬会社とプルシアンブルー社の開発した、感染重症者用製剤「Buster C.19」と軽症者向け「Buster C」はコロナ感染による死亡者を食い止め、治療可能な感染症となった。治験を経て承認が得られると、富山の製薬会社製造分を各国に配布を始めた。
アメリカ、日本、東南アジア各国で承認がされると、提携した台湾とベトナムの複数の製薬会社にでも製剤製造を始め、年明けの2021年から出荷の方向で準備を進めている。
「破滅的な被害から人類を守るためには一日でも急ぐ必要があった。そこに民主党も共和党もなかった。アメリカに擦り寄った最大の理由は、世界で最も権威がある感染対策機関が厚労省ではなく、CDCだったからと言うだけの話だ。CDCを利用するがために、結果的に共和党の肩を持った格好になってしまったのは・・認めるよ。
正直に言うと、個人的には民主党の方が好きなんだ。でも、民主党が選んだ候補者は老人だった。候補者に選出されたのは、あくまでも逮捕されたデブ爺の対抗馬でしかなかったからだ。
共に80近い候補者同士となるので年齢は争点にはならなかった。でも、デブのポカで共和党側の候補者は若返ってしまった。民主党に誤算となったのは副大統領が大統領を批判する日和見主義的な転向を顕にして、拳を掲げて立ち上がった事だろうね。
ヨボヨボの爺さんと、まだ壮健そうな男性とどっちが良いですか?と聞かれたら、それは若い方がいいと思うのが普通でしょ?米国民と同じように僕もそう思っただけだ・・誰にも言えない話なんだけどね」
「なるほど、相応の覚悟をして居るんですね・・」
「そだね。公的には建前を掲げるしかない。僕らに選挙権は無いし、あくまでも人命最優先で動いただけに過ぎないってね・・で、正午だ。ニュース聞きたいんだけど、ラジオ付けてもいい?」
「いいですよ・・あと、真麻が寝てるから今のうちに言っときますけど、山形滞在中は安全日ですので宜しくお願いします」
何故怒ったような顔で言うのか?よく分からんな、と思いながらカーナビを立ち上げて「Voice of ASIA Vision」のニュース番組を選択する。
「速報です」と好みの声がするAIアナウンサーが伝えた最初のニュースは、梅下前外相が都内の病院に搬送され、死亡したというものだった。
動揺し始めた由真を宥めながら次のサービスエリアまで走行し、運転を交代した。
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来月の隣県、岐阜県知事選に立候補を表明している富山県副知事・村井幸乃は梅下議員殺害の報道を知り、プルシアンブルー社の新宿オフィスにいる源 翔子と母の由紀子、由紀子の妹で、真麻の母の啓子とネット会談していた。4人の懸念は梅下が死去したので、真麻の腹の子をモリに知らせるべきか否かと、梅下後継に誰を立てるか?だった。
自民党員だった啓子の調べでは、梅下の祖父の他界した弟の家があるだけで、本家の中に後継者はいない。その梅下家に対しては、牢獄に居る秘書の宮崎の指示で真麻が人工授精し、今現在妊娠2ヶ月だと知らせるまでは4人共一致していた。
4月の補選に合わせて後継者の選挙となれば、真麻は妊娠6−7ヶ月で腹も出ているだろう。その姿で選挙戦を闘うと主張した。
姉の由紀子は 妹に自民の候補者として立つのか問うた。後継者となれば故人の基盤を使う以上、仕方がないと啓子が言うと、由紀子と幸乃副知事が異を唱えた。
「社会党としては推薦出来ない」のと「与党が真麻を盾にして、連立政権を打ち出して来るだろう」と。
民間からの登用で外務大臣と厚労大臣、総務省特別顧問となっている3人はこの4月の補選での立候補を諦めている。社会党議員として大臣に留まれば、その時点で連立政権になってしまうからだ。真麻を社会党の候補者として擁立して、自民も推薦しましょう。ついでに3人も補選で推薦しましょうと言ってくるだろう。
それならば、まだ党員としての資格はあるし、中小企業診断士、司法書士等の複数の資格を持つ啓子が自民党候補として、梅下の孫の祖母として党の公認候補の座を貰う方が順当だと主張した。
真麻の従姉妹となる翔子は、もう隠しきれないモリに相談しようと力説した。
モリは前回の狙撃事件で入院中の梅下を見舞った経緯がある。梅下家が密葬をしなければ、葬儀に出席するだろう。当然梅下の子を宿した事になっている真麻も寡婦、もしくは故人の関係者として参列するだろう。式に2人が参列する時点で口裏合わせは出来ない。
「なんで真麻が梅下家の一員になってるの?とあの人は疑問に思うでしょ?由真もそうよ、妹が何で梅下の子を宿したの?って、あの子、ずーっと苛まれることになりかねないよ」と。
結局、梅下家は身内だけで葬儀を行なうことになり、葬儀への参列の必要はなくなる。
また、獄中の宮崎秘書から、体外受精をしている女性の存在を知らせる手紙が梅下家に届き、手紙に書かれていた啓子の電話番号のショートメールに梅下の従兄弟から連絡が有った。
梅下家からの要請は、妊娠の有無の確認と体外受精時の診断書を求められたが、これは本人不在でも、体外受精作業を見守ったことに「なっている」村井幸乃医師が幾らでも偽造出来るので作成の上、啓子に託して梅下家に持参することになった。
由紀子はモリ一行を追う。東京駅に向かい、山形新幹線に乗り込んだ。
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警視庁公安部の篠山は作業が完了した報告を受け取った。
都内の大学病院が保有する梅下議員の凍結精子を奪い、DNA情報の入ったデータ一式をハックして抹消した。凍結精子は加熱処理した上で東京湾に投棄した。
これで、真麻の腹の子が誰の子か分からない。
祖父の弟の家の生存者達も3世代目となりDNA構造を追うには混血が進んでしまっていると篠山は見做していた。
残る問題は、子供が成長して、梅下家が父親の顔に似ていないと騒ぎ出す際だ。「著名人」の顔に似ていないのを祈るだけだった。
真麻が産婦人科医で診断を受けた際、診断を担当した医師に受診の経緯を諜報員が確認したので状況が分かった。鹿児島での獣害駆除作業時に真麻、そして真麻の伯母に当たる由紀子と「著名人」が肉体関係にあるのを警視庁公安部は察知していたのだ。
篠山本部長はこの情報を自分の配下数名だけで共有し、警視庁のデータには記載せず、麻央と母の啓子、伯母の由紀子の動きを追っていた。
そこで体外受精偽装の事実を知り、CIAと協議の上、梅下行きつけの六本木のガールズバーでCIAが投薬し殺害、篠山のチームが大学病院に侵入し、データ関連を盗む役割分担となった。
ガールズバーの女性と個室での行為中に腹上死した事実はマスコミにも伏せられたが、死亡場所が店であるのは119番した店員と駆けつけた救急車からも次第に明らかとなってゆく。
司法解剖してもなんの薬物も検出されず、性行為による心筋梗塞誘発と診され、梅下家も葬儀をひっそりと執り行うしか手立てがなかった。
終いまで家に恥をかかせて、勝手に死んでしまったのだから。
(つづく)