14章: スパイ大作戦 (1) 拠点拡大と、中年バックパッカーの相関関係(2024.1)
年も改まった4日、帰国する身内とブルネイで分かれたモリ一行は、シンガポール入りする。
目的はシンガポール本社をオープンさせる為だ。
これまでコロナ禍で入国が出来ず、秘書代行業者の住所を本社と定めていたが、ようやくプルシアンブルー社の本社が用意できた。・・とは言っても雑居ビルの小さな1室なのだが。
中心部を避けて、安価なカトンエリアで十分だと譲らなかったのは同社のアジア部門トップに就任した志木佑香と、志木の右腕となる新常務の岡山藍の意見だった。
モリの秘書代理役の源 翔子と4人で、カトン地区の”星”など無い、安いホテルに投宿していた。
カトン地区にはイギリス統治時代の名残りと言えるコロニアル建造物をパステルカラーで彩色した街並に小洒落た店が並び、エリア一帯では手頃な価格で飲食ができる。
女性と一緒だから何とかなったが、おっさん一人では少々気恥ずかしいエリアでもある。ただ、周辺には高いビルが全く無いので空が見渡せる。田舎好きにはホッとする佇まいでもある。まったく”今”のシンガポールらしくなく、マレーシアのマラッカを思い起こしていた。
「派閥を中心に蔓延る裏金騒動で国民の不信を招いたとして、例年参加している経済団体との賀詞交歓会等の年始の恒例行事への参加を見送り、首相は第三者による検証チームを立ち上げ、自らが先頭に立って政治改革を実現し、国民の政治不信払拭に全力を傾ける意向を年初会見で表明いたしました。
この検証チームに富山、岡山、栃木の3県の知事が加わり、企業献金を端に発した県議会・市議会議員と国会議員の癒着構造撤廃に向けた議論が始まります・・」
その新オフィスで、近所の中華店で買ってきたテイクアウト品を食べながら、お昼の日本のニュースを見ていた。
オフィスを構えたと言っても、シンガポールで暫く仕事は無いので、オープン祝いと称して四人でビールを飲んでいた。
明日の朝シンガポール証券取引所に年始挨拶で訪問すれば、他スーパーの店舗跡に開店するPB Martの改装工事が終わるまで特にやることもない。
明日の午後は国際列車で隣の国の首都クアラルンプールへ移動し、支店となる店舗を下見する・・そんな予定となっている。
「鮎先生が会議の主導権を握っちゃうんじゃないでしょうか?首相より目立ちますよね、絶対」
翔子が酔いと共に嬉しそうに言う。
4人でTシャツ短パン姿のサンダル履きなので、本社オフィスの立上げ日というよりも、アルバイトの鄙びた昼食風景にしか見えない。
翔子の発言を受けて、志木と岡山がモリの方を見ながら頷いている。何か言った方がいいのかもしれない・・。
「そうですねぇ、地方議会でも与党議員の辞職や党籍剥奪が進むでしょうから、今年は日本中で補欠選挙だらけになるかもしれませんね」
「選挙だらけ・・一時は解散総選挙だなんて与党のお偉いさん達が言ってましたけど、今更総選挙しても議席を減らすだけだから出来ないでしょうけど、全国地方選挙と補選が何件も重なるようだと、総選挙と変わらないですよね」
岡山が言うのも最もなのだが、鮎は「総選挙は言語道断」と会議の席上で言うだろう。
首相が解散権の行使をすれば、与党大敗北は必至だ。だからこその第三者機関の設立だ。 来年の参院選まで何とか政権を延命させる為に、トンチキな与党の派閥議員を党籍離脱・議員失職させ、健全な政党に生まれ変わる方針を打ち出す・・と言うのが事前に自社の双方で密かに合意した内容だった。与党として存続出来るのか、それとも、全く機能せずに党解体という流れになってしまうのか、犯罪者を一掃予定の与党が、どの程度の力量を持つのかを見定めようとしていた。
その頃、当の本人は富山県の商工会や県内企業の賀詞交歓会に出席し、壇上に立って喜々とした表情でスピーチをしていた。2021年は、富山の経済成長率を更に倍増させる為に、画期的な医薬品と新たなエネルギー策を打ち出すと触れ回っていた。
ーーー
「マレーシア国王に謁見して、昨晩はクアラルンプール市内で宿泊しました。
現在、シンガポールからの同じ女3名と国際列車でバンコクを目指していると思われます。同じ車両にマレーシア大使館員が乗り込んで一行を監視しています」
「国王に会ったのはモリ一人?」
「はい、女3人はクアラルンプールのオフィス物件を見て回り、3人で会食しています。
会食時の会話の大半はプルシアンブルー社の話題でした、おそらく全員社員と思われます」
「オフィス設立が主目的で、国王はついでに挨拶に立ち寄ったと言う訳か・・」
「はい。そのようです」
劉 頴娃は畏怖や凄味のようなものを、映像の日本の地方議員から感じなかった。
国王に単独で会えるのもプルシアンブルー社の看板のせいであろうし、街を散策している姿は、Tシャツ短パン姿の単なる旅行者にしか見えない。
おまけに泊まっているホテルも安いホテルで、連れの女の喘ぎ声が廊下まで聞こえるという。その種の報告を調査員が送ってきたと言う事は連絡事項も無く、「その程度の人物」という意味が含まれている。その余計な報告によると、3部屋を移動して長時間女を攻め立てているらしい。日本では絶倫と漢字を当てているらしいが、性欲が達者なので女が離れられないだけなのでは?・・それだけの男を何故大臣は重視し監視させるのか?劉 頴娃は理解に苦しんでいた。
ただ、シンガポールのオフィスのレポートだけは感心した。カトン地区というシンガポールでも家賃が安いエリアのオフィスには、電話番が居るようだ。その電話番の対応が見事なのと、英語、福建語、北京語、マレー語、インド語、アラブ語を話しているのを確認している。電話があった旨を外出先の人物に都度伝えているらしい。
劉 頴娃のシンガポールの部下は、気づくべきだった。電話番は事務所から一度も出たことがない。フロアの共同トイレにも、食事にも出掛けないし、何よりも通勤せずに延々と電話を受け続けているのだ。しかも、室内灯は全て消えている。
クアラルンプールとバンコクにオフィスが出来ても、同じような報告を受けるだろう。
また、モリ達を追っているのは中国だけではなかった。
***
バンコク・ファランポーン駅で国際列車車両から降りてきた4人組を韓国大使館員の孫 新栄が見つける。
クアラルンプールの大使館員からの報告にもあるように、4人はバックパックを背負っており、一見旅行者のようだった。国際列車内の冷房が寒かったのか、駅のロビーでパーカーなどの上着を脱いでバックパックに収納している。
一人の女が止まっていたトゥクトゥクの運転手と流暢なタイ語で価格交渉し、2台に分乗してスクムビット周辺の星2つのホテルに入ったが、コロナ中のキャンペーン価格で、今までの宿と同じ2000円程度の宿だった。男は3人の女とそれぞれの部屋で交わると、夕方にホテルから出てきて、近所のショッピングモールのフードコートで食事とビールを飲むと、コンビニでビールなどを買い込み、ホテルでまたおっぱじめている。
一行を尾行している方も、ターゲットを追う意味があるのか?理解に苦しんでいた。それに3人が3人とも美しく、且つスタイルも良いので、盗聴している方はやるせなかった。
3人目の女は2人よりは年上なのだが、男のお気に入りの女と見えて、いつも最後の相手を努めている。行為中のゴムの音が聞こえないので、その女で果てるのがお気に入りなのだろう。
この日の音声は非常に明瞭に聞こえたが、男は気づくべきだった。部屋に誰もおらず、盗聴器のそばにタブレットが置かれ、延々と変な音声を発していた。
「この時間の長さは盗撮して確認すべきだろう・・」と思い、明日はカメラを付けさせようと孫 新栄は決断するのだが、早々にホテル側からクレームを受ける。盗聴器とカメラを設置していたのが客にバレて、訴訟された、と。バンコクの韓国大使館は手痛い出費を余儀なくされた。
盗聴器の無いモリの部屋で4人は宿泊し、興じていた。
韓国と中国の大使館員が一行を追っているのはシンガポールの滞在中から分かっていた。 隠しカメラの映像をCIAに送って、両国の大使館員だと判明していた。
夕刻、バンコクでオフィスを探す2人とロビーで別れて、モリと翔子は東部バスターミナルへ向かった。2人が乗り込んだ夜行バスはカンボジア国境、アランヤプラテート行きのバスだった。
流石にバスには搭乗できず、中韓両国の大使館員はカンボジアの大使館員に応援を要請し、バスの到着予定時刻を伝えて、仕事を終えた。
☆☆☆
寝台列車で国境を越えたのも初めてで高揚したが、深夜バスも初体験の翔子は窓側の席に座って、外を見ている。既に闇の中だが、それでも夜の高速道からの光景に目を奪われていた。何が良いのか分からないモリは、翔子の横顔を見て本当に愉しんでいるのだと察して、そっとしておくことにした。
高速道から一般道に降りて、19時過ぎに最初の休憩だというのでモリに付いてゆく。他のバスの乗客も大勢いて大衆食堂のような店で食事を取っている。
「30分で食べねばなりません」と彼がトレイを渡しながら言うので、頷いた。
そのまま他の客の後ろに並んで、ご飯の盛り付けられた皿に、幾つかある鍋の中から好きなおかずを選ぶのだと彼が言うので頷く。
2度目の東南アジアだが、アユタヤと周辺だけだった前回に比べて刺激的な日々だった。
彼が顔をまじまじと見て笑うので、笑い返す。ここから先は私達の新婚旅行なのだと自分の中で勝手に決めていた。彼と居れば怖いものは何もない、安心して旅を楽しむ事が出来る。
彼は鶏肉のカレーを選び、私は酢豚のような煮物を選んだ。
席に座る前に「ビール発見! 飲みます?」と言われて頷いた。席に座ってカラの皿を渡される。首を傾げていると「半分づつシェアしましょう」と笑顔で言われて頷く。どうも頷いてばかりいるような気がしてきた。
「一人旅だと、こんな風に半分づつ食べられないですよね?」缶ビールで乾杯しながら訊ねてみる。
「長距離バスであれば、隣に誰かが座ります。ある程度会話が成立する相手だと、休憩中の食事も一緒に取ります。3回の内、1回ぐらいだったかな?だから、何度もシェアしたんです」
「当時の旅行の写真の中に、度々日本人らしき女性が写ってますよね?彼女達とはどうやって知り合ったんですか?」
普通に聞いただけなのに急に慌てだして咳き込んでいる。ビールで流し込んだようだ。
「そんなの見たんですか?」
「はい。あゆみちゃんが持ってきたアルバムを、みんなで拝見しました」
「そうですか・・あのですね、例えば同じバスに乗車したり、宿がたまたま一緒だったりすると、次の街まで一緒に行きましょうかと、移動を共にする事はありました」
「次の街に到着して、そのまま同じ部屋に泊まっちゃうんですね?彼女の方から持ちかけられて」 酔ったわけでもないのに、饒舌になるのは何故?・・
「ゼロではないですね・・いや、有りました。1ヶ月くらい一緒に旅してたこともありました・・」
「正直ですねぇ〜」
それはそうだ。こんないい男、誰も見逃さない。一度遭遇したら、付いてゆかねば一生後悔するに違いない・・
「部屋代がシェアできますからね。因みにそうやって同宿した女性と行為に及んだことは一度もありません」
「えっ?どうして・・」
「バブルの頃は翔子さんは・・小学生ですね。じゃあ分からないかもなぁ・・AIDSですよ。
東南アジアでは日本よりも流行ってたんです。あの、オカマ天国だからなのかもしれません・・で、当時は薬なんてありませんでしたから、怖くてそれどころではありませんでした」
「あの・・でもその前段階というか、お互いに気持ち良くなるとか・・」
「経口感染するぞ、と言われてましたので、キスすら出来ませんでした。従って、その前段階とやらも含めて、以降は宜しくお願いいたします」
「はい、こちらこそです!・・って、何言ってるんだろう私・・」
「周りが誰も日本語を理解していない安心感から、普段は言わないような言葉を自然と口にしてしまうんです。今夜向かう国では日本語が通じたりしますけどね・・」
「なるほどですね」
目の前の笑顔に悩殺されてしまい、何を食べ、飲んでいたのかすっかり忘れてしまった・・
****
アランヤプラテートのバスターミナルに、バンコクからやって来たバスが到着した。プノンペンの中韓の大使館員がバスを降りる乗客を見ていたが、2人が一向に降りてこない。
「ザックを背負った男女2人組を知らないか!」慌てるようにして駆け寄った中国の大使館員がバスの運転手に聞いているのを、韓国の大使館員が遠巻きに眺めていた。
「その2人なら、途中で降りたよ」
「何処で降りた!」
「コーラートの辺りかな・・午前2時頃だったと思う、もう4時間前だね」
「畜生め!やられたっ!」
中国の大使館員に名刺を見せながら韓国の大使館員が近づいてゆく、「少々宜しいですか」と。
双方で情報共有してみるが、2人の目的地の検討が付かなかった。
以降、日本人2人の行方は分からなくなる。
因みに、観光を目的とする30日以内の滞在 であれば、ビザ免除でタイ滞在が可能となる。
タイを出国した形跡は暫く後になって確認される事になる。約30日間、2人はタイの何処かにいたのだ。
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「2人連れ・・バックパッカー的な旅行のような気もするが・・」
写真の中の翔子の笑顔が、「恋する女」以外に形容する言葉が見つからなかった。
いい女だと思いながら、劉 頴娃は「私的な旅行」と断定して捜査終了とした。
韓国も二人を捜査していたようだが、お互い無駄足だったようだなと思いながら、劉 頴娃は次の仕事に取り掛かった。
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コーラートの手前の小さな街で運転手にタイ語のメモを見せて、モリと翔子はバスを降りた。モリはスマホのGPSが動作しているのを確認して、降りた場所で迎えの車がやって来るのを待った。
タイ王国空軍(RTAF)と米国空軍は、「エンデュアリング・パートナーズ」と銘打った演習を、タイ中部のコラートRTAF基地で定期的に開催している。
この日は演習日ではないのだが、米軍輸送機の着陸要請を事前に承認していた。
深夜、コーラート郊外の街で2人をピックアップしたアメリカの大使館員が輸送対象者を基地に運び込むと、タイ王国空軍のナット・カミントラ大尉は対象者の顔と写真をチェックする。
韓国籍の張夫妻だが、ナット大尉はドラマーでもあった。
「張さん、あなたの大ファンです。これからも素晴らしい曲を聞かせて下さい」と暫く握った手を離してくれない。
「誰だかバレてますよね?」
「いいえ、一体何をおっしゃってるんですか、張さん? 奥様も良いご旅行を!」
「Thank you so much・・」頬を赤らめているので、妻ではないのだろうとナット大尉は察した。
2人を乗せた輸送機は直ぐに飛び立っていった。
(つづく)
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