(10) 平和裡な人類進化の手段と方法を、模索してみる。
タヒチ島の空港に民間機で到着したアユムは、ややゲンナリした表情をしていた。流石に10時間を超えるフライトにはもう耐えられない。SouthAmericanAirlineかPB Airのシャトル便が、このタヒチに就航すれば、更にアジアの観光客が訪れるようになるだろう。ニューカレドニアのように独立するのを願いながら、ホテルのシャトルワゴンに乗り込んだ。
この週末のJリーグ下位クラブとの試合をパスして、アユムはFCバレンシアの慰安旅行に途中参加する。一人で来るところではないが、オーナーが顔を出さない訳にはいかない。 義姉の経営するホテルに到着すると、同行取材しているスペインのメディアが待ち構えていた。モリ・アユムが初めて選手としてラ・リーガのピッチに立つ。オーナーが選手登録するスタイルは例にないが、世界初とはならなかった。既に日本のレイソルで選手として出場したからだ。 先のACL初戦、広州のクラブとのアウェイ戦で10番のゲームメイクのポジションで先発出場。7点の大量得点を演出し、主力の中心選手を休養させた。このゲームの模様は10分間のダイジェスト版が世界中に発信され、この時期のサッカー試合の断トツの再生回数を記録した。7得点全てでアシストを達成したのも、近年では例を見ない。次の水曜日、日本でのホーム戦ではモリ兄弟7名がスタンバイ状態で待ち構えるので、広州蹴球倶楽部は更にサンドバッグ状態になると中国のサッカーメディアが辛辣な表現で書いていた。クラブの広報担当者に連れられて、記者会見場となるホテルの1室に入る。髭面で、到着時の着の身着のままのラフな服装で、マイクが並ぶ席に座ると、早速会見が始まった。記者からの質問は、クラブの謝恩旅行と言うか、慰安旅行に関するものからとなる。
今シーズンからユニフォームの胸のロゴがベネズエラのプレアデス社から、日本のAngle社に変わる。Angle社が新たなスポンサー企業に加わり、同社は今シーズンのラ・リーガの日本における放映権を獲得したと、アユムが述べる。日本でラ・リーガが無料放送されるようになるので、バレンシアに出資する日本企業が増えるのを期待していると笑いながら言うと、それも理由の一つだったのかと記者達も笑う。一通り定型的な質問が終わると、記者達がソワソワしだす。軽く触れた核心の話題に切り替えるように、司会役の広報担当者が誘導していく。日本とスペインの自分のクラブに選手登録した理由を教えてほしいと。
「今年は何としても優勝したい。韓国と北朝鮮のリーグでは優勝の常連になっていますが、特にラ・リーガでは、最後の最後でトップクラブに勝ちきれない状態が続いています。私がチームに加入しても格段に戦力が上がるとも思えませんが、サポーターの皆さんの悲願を果たすためにも、出来うる対策は何でも実践してみようと考えています。オーナーになって6年です。クラブの力は確実に成長して来ました。お陰様で支援して頂くスポンサー企業も毎年のように増えています。今回の旅行もスポンサー企業の皆様のお陰で成り立っています。今回はチームを預かって5周年という節目の年なので、謝恩会の意味合いですが、来年以降は優勝して祝勝会として、全員で旅行に行きたい。また、このリーグのオフ期間で積極的に選手採用をしようと考えています。主力の選手達がいつ何時トラブルに巻き込まれるか分かりませんし、チャンピオンズリーグもありますので、チームとしてのバリエーションも更に増やして行きたいと考えています・・」
そんな主旨で話せば、記者達が報道してくれるだろうと会見を終えると、オーナー主催の夕食会場へ向かう。クラブは、アユムの選手加入を歓迎する。既に選手たちにはスーパーサブ、交代要員の一人として加入すると伝えて有る。しかも、選手としての給与も勝利給も受け取らない、無給選手となる。クラブの勝率が上がることが選手達にはプラスとなる。それに見合った人材だと、皆から認識されたのだろう。
ーーー
北アメリカとメキシコを鉄路で結ぶ工事が始まろうとしていた。この日はメキシコの接続側のティファナ市で起工式が行なわれていた。
「・・これでカナダ、アラスカからアルゼンチン、パタゴニアまで繋がる、世界最長、最大の鉄道網が完成するのです!」
スピーチを終えたメキシコ・サンチェス大統領をモリが立ち上がって拍手で迎え、2人がハグを交わす。それと同時にメキシコ側で工事が始まる。ロボットを投入して昼夜問わず作業が行われるのに対して、遅れが必死と言われるアメリカ側は既に作業を始めており、数キロ先んじていた。
建設作業自体は、世界中で鉄路を建設してきた中南米諸国の技術力が如何なく発揮される。整地作業はモビルスーツが岩や木、切り株や根を取り除き、大雑把に地ならししたあとを、巨大なローラーを備えた大型建機が慣らしてゆく。そのローラーの後を、砂利を積んだコンテナ車が続き、一定量の砂利を敷き詰めてゆく。特殊コンクリートの枕木をロボットが等間隔で並べながら、均一の高さで傾き補正をしながら枕木が固定されると、ロングレールをモビルスーツが運び入れてゆく。ヒトは現場監督と安全作業管理者が居るだけで、効率的に作業が進んでゆく。建設作業員の休憩所も不要だ。監督と安全管理者はキャンピングカーで寝起きする。アメリカ側の作業風景と対比して報じるメディアが出てきて、国力の差だけが浮き彫りとなる映像になった。半日の作業で10km進み、先行していたアメリカ側を追い抜いてしまう。夜間作業も続けられるが無灯火の状態で作業が粛々と進んでゆく。交代した現場監督と安全管理者は、夜間ゴーグルを付けて作業を見守る。 メキシコ・ティファナの市民達は日が明けて、町中に忽然とレールが引かれていたので驚く。騒音も振動も出さずに、夜間に作業が行われていたからだ。
ティファナ市内のレストランで夕食を取っていた大統領達の話題は多岐に及んだが、中南米諸国で五輪にサッカーで出場する国同士で壮行試合を兼ねたテストマッチを8月が寒いアルゼンチンかチリで行おう、という話になった。五輪以上に白熱した試合になるのではないかと思いながらも、出場各国のサッカー協会に打診する必要がある。コパ・アメリカの五輪版のようになるのだろうか・・。
「ご子息のアユムとホタルを、五輪代表のオーバーエイジ枠で使わないのですか?」
突然、サンチェス大統領に言われて驚く。火垂と歩は前回のワールドカップでベネズエラ代表として出場している。2人が日本とベネズエラの2つの国籍を持っているので、可能性を問うたのだろう。
「選手選考は監督次第ですが、日本から、似たようなオファーが出れば、難しいかもしれませんね」と牽制しておく。メキシコも日本もメダルを狙っているし、決勝トーナメント出場を目指すベネズエラよりは格上にあたるからだ。 大統領秘書官としてメキシコ訪問団に加わっている杏が、貸し切りのレストランで食事中の記者達のカメラの枠に入る位置に座る。Angle社の社長を退任して、母親の里子の後任候補として立候補する為の、マスコミ濾出が目的だった。養父の仕事ぶりを間近で見て、政治を学んでいる姿勢をさり気なくPRする。杏は大統領夫人のつもりだったのかもしれないが。
ベネズエラ政府に杏が関与する上で分かりやすいのが、「政府の情報発信力の強化」だろうと閣僚達は考えていた。元々、映像の作成編集のプロなので、内閣府の広報チームに杏が加わった事で変化が直ぐに現れるだろうと見ていた。
ベネズエラ政府は、大量の宇宙関連の新技術、新製品の発表を、数量の多さと人材不足、発表する事での株価上昇回避を理由に、これまで殆ど公表していなかった。
ボクシッチ夫妻を始めとする元国連職員がベネズエラ政府内に多数配置されたことで、人材不足は一掃し、政権運営と行政面が円滑に機能するようになった。そこへ広報チームにAngle社の創業者が加われば、計り知れない効果が出るだろうと考えた。今回「アメリカ大陸縦断鉄道の工事着工」風景を自ら撮影し、編集を企んでいた。
「大陸横断鉄道」は人々が理解し易いプロジェクトでもある、題材としても、杏にとってはお手の物だ。今回ばかりはベネズエラやメキシコのメディアが埋没してしまうかもしれない。間違いなく杏の撮った映像やレポート内容の方が評価が高くなり、マスコミ各社が政府広報を転載する事になる、と予想される。Angle社の制作した映像ですら、上回ってしまう可能性もある・・
「先生!」と杏に腕を叩かれて、我に返る。
サンチェス大統領達が笑っている。イケない、話を聞いていなかった・・そこで部屋の中の音楽に気付いた。ネイティブのように英語で唄う理美と優希のコーラスが耳に入ってきた。あぁ、そうだ音楽配信が始まったのか、と。「失礼しました、ちょっと考え事をしておりました」
曲の回想でもしていたのだろうと、思われたかもしれない。実態は杏との子作りを思案していたのだが・・。
「全米で一位になったそうですね、おめでとうございます」メキシコの交通相に言われて驚く。中南米諸国だけではないのか?
「すいません、それは知りませんでした・・全米一位なのですか?ベネズエラだけではなくて?」
北米も加えてとなれば、坂本九さんの「スキヤキ」以来の快挙となる。
「モリさんは作曲家としても、成功されたのです。お嬢さんも鼻高々でしょう」サンチェス大統領に振られて、杏が笑っている。本心からの笑いではないのはないだろうか、「薯」でも、全米一位にまでは至っていない。
「この曲はお幾つの時に作られたんですか?」サンチェス大統領から振られる。この曲は理美が歌うのをイメージして作った記憶しか無い・・
「度々すみません。約50年前だとしか覚えていないのです。でも、四季がある日本の冬に作った曲です。春をイメージしていた記憶だけが、朧げにあります」四季の無いメキシコの方々に分かってもらえるか分からないが口にしてみる。
「春ですか、なるほど・・。それでこの曲を3月にシングルカットされたのですね?」
「それもスミマセン、他のメンバーに任せました。私には、そんな権限すら無いのです」
「では、薯(IMO)のファンの一人としてお願いします。この曲のスパニッシュ版は是非ともお嬢様に歌っていただきたい」サンチェス大統領が言うと、吝かではないと悦んでいる杏の顔を見て、「なるほど・・」と言いながら微笑みながら頷くが、若干、違和感を感じた。杏の声に、この曲はそぐわない感覚を持ったからだ。
モリが異性に惹かれる重要な要素の一つに、声質がある。「性」質も重要なのだが・・小学生入学時に優希の歌声と横顔を隣の席で盗み見て、胸がときめいたのが始まりだったと、今頃になって悟った。あれが初恋だったのだろうと。
数多の女性と付き合ってきたが、声質が受け入れられないだけで躊躇して、付き合うのを止めた方々も少なくない。声質には体躯とは異なり、ヒトの趣向の一貫性は認められないが、どんな素晴らしい曲であっても、ヴォーカルの声質だけで興味を失ったケースも数多くある。男性にしても一緒で、例えばF・コリンズやS・ワンダー、M・ジャクソンですら、モリは敬遠した。ラジオから聞こえる分には良いのだが、貸レコード屋さんや中古店舗であっても借りたり、買ったりしなかった。敢えて聞こうともしなかった。
例に挙げた3人は、財を成すだけ売れたのだから単純にヒトの「好みの違い」になるのだろう。未だに相関関係や方程式が見つからないままなのだが、モリの場合は「この曲を万人に理解して貰いたい」と思って曲作りに臨んでいない。「OOOが歌うのなら、こんなメロディが相応しい」と歌い手をイメージしながら曲作りに取り組む。プロの作曲家とは程遠い、感性と感覚的に曲を作る輩でしかない。
「サンチェス大統領、音楽はさて置き、国境の検問の東洋人の多さが私には気になったのですが、今までと比べて、あの位の人数だったのでしょうか?」
東洋人と、モリが称したが、殆どが中国人と韓国人と思しき人達で、日本人は居なかった。中南米諸国が米国籍の中国人も含めて、中国人の入国を拒否しているからだが、表立った意思表明していない。人種差別に該当するからだが、中南米諸国は闇雲なまでに難民を受け入れる程、お人好しでは無かった。華人を国内に取り入れてプラスとなるのは、中華料理くらいで、後はデメリットばかりが目立つ。自由な民主主義国家を標榜して、結果的に失敗したのが、アメリカであり、カナダや欧州各国だった。経済的に成長していれば、ヘイトの動きもやや薄れるのだが、経済が困窮した欧米で唯でさえ他所者扱いされる東洋人は、白人、黒人、先住民から排他・ヘイトの対象となる。日本人も含めてなのだが、彼らは集団化を好み、大衆にあまり浸透しない。戦争相手国となった際の日本人に対する抑圧も少なからず残る為なのか、東洋人の分別が出来ない欧米では、国別の扱いではなく、東洋人、アジア人で十把一からげで、排他扱いとなる。中南米諸国には日系人が一定数居るので、欧米程ではないのかもしれないが、混乱の元となりかねない火中の栗を敢えて拾う必要は無いと、モリが独断で突っぱねた経緯がある。
中南米諸国はロボットを活用しているので、好調だった頃の欧米のように、労働力には困っていない。人口増が経済成長には欠かせないとする太古の思想に組する必要はなかった。中華料理、韓国焼肉だけだったアドバンテージも、ロボットが調理できるので今では不要となる。特筆すべきは中国だ。長らく情報統制された偏った教育を提供する国家で育ち、希薄な国際感覚を持つ人々の「偏り」は、情報公開されたと言えども依然として強く残っており、受け入れる側にとっては、人種軋轢を増長するマイナス対象にしかならない・・。
中国人、韓国人は現在の経済内容に見合うよう、国内に留まるべきではないか。
中国と韓国の両国政府、国連からは「民主主義に反する、人種差別だ」と非難されているが、白人、黒人、先住民族、日系人の受け入れ続けている人数を公表して、「では、この制度も解消しましょうか?」と突っぱねるかのような姿勢を取る。本音を晒してまで、アメリカとカナダの尻ぬぐいを全面的に受け入れる必要など、本来はない。どの国も支援しないクセに、一方的に中南米諸国が北米と中国の負担軽減をしているからだ。国連も支援もしないで都合の良い時だけ、人道に反すると非難する。恥ずかしくないのかと、各国からの支援金もゼロなんだぞ、と支援の項目を設けて、数字の「0」を記入して公表していた。
「アメリカの中国人は、南太平洋のアメリカ統治領に移動していますが、カナダには、中国人を受け入れる島や土地はありませんからね。メキシコ国境まで足を伸ばすしか、手段が無いのかもしれません」
サンチェス大統領が言うが、モリが望む回答になっていなかった。
「やれやれ、中国からまた何か言われそうだな・・」 そう呟いて、苦笑いした。
ーーー 「日系人を中南米に移民として送り込んだ歴史がある国が、中南米でアジア人の受け入れを拒んでいる。これは明らかに人種差別であり、民主主義に反します。中南米は経済規模に見合った国際貢献をすべきです。人道に反せず、どうか万民の受け入れを検討してほしい」
中国政府のスポークスマンが記者会見場で、やや尻すぼみの感のある非難を行ったらしい。中南米諸国の莫大な費用負担とそれでも、中国、北米にも多額の支援を行っているからだろう。ベネズエラも、この控えめな抗議に対して無言を貫く。「国際社会に、これだけの資金を投じられる国が果たしてあるでしょうか?」と、無言のアピールをしているかのようだった。
そもそも、中国が北米に人民を送り込んだ背景は、中国が最先端技術が欲しいが為に人材を大学や研究所に送り込み、技術を手にするパクリ文化が、事の発端となった。アメリカの大学も研究所も、中国からの支援金が目当てとなり、双方の思惑が合致した。米国籍取得、中国人研究者の受け入れとして始まってゆく。
人口の少ないカナダは留学生を広く集い、カナダ国籍取得を奨励し、中国からの数多くの留学生を受け入れた。アメリカは移民の受け入れが人口増に繋がり、GDP成長に繋がってきた実績から、人種を問わず移民と留学生を受け入れてきた。アメリカとカナダの経済が好調を続けていれば状況も変わったのだろうが、北米2カ国の経済が失速し始めると、まずは移民排斥運動が起こり、ヘイトの風潮が広がってゆく。取り分け、東洋人は職を奪う存在として敵視されやすくなる。北米以外の国で、中国人留学生を受け入れる国が見当たらないのも痛かった。
日本連合は留学生受け入れの過去の反省から、共産国への技術流出禁止を掲げて、研究内容の保護を計るのを名目にして、中国人留学生の受け入れを阻んだ。
自国での基礎研究を疎かにし、海外技術の入手を目的としたコピー常連国、パクリ依存症を是正すべきだと中国を非難し、非難される中国も受け入れざるを得なかった。僅かな期間であっても世界一にまでなった国が、ノーベル物理学賞等の著名な賞を1度たりとも取っていない。中国の工業自体が砂上の楼閣で、脆いものであるのは疑いようがなかった。
国内の大学や研究所のレベル引き上げを中国共産党も提唱しはじめたが、党からの支援など一切なかった。経済が困窮した状態で、学術支援に大金を投じる余裕は、共産党に無かった。ベネズエラも日本に習って、中国への技術漏洩を懸念して留学生や研究者の受け入れを拒んだ。中南米経済が活性化して成長を続けていても、学術研究面では日本に劣るので、世界中の学者や研究者達が、日本や北朝鮮の研究所や大学、企業を目指す傾向が顕著になっていた。極東に著名な学者が集結すれば、その研究の一端に関与したい研究者や学生が更に集まってくる。宇宙工学、ロボット工学、日々蓄積され、更新される火星と月面の情報により、太陽系の惑星の研究ノウハウがアップデートされてゆく。 ヒトの代役を務める人型ロボット達の活躍で、地上でもそれなりの研究が出来てしまう。観測衛星や監視カメラが付いた自走式ロボットやドローンでは出来なかった。対話が伴う現地調査は飛躍的な進歩を続けている。
ベネズエラ政府、中南米軍は、宇宙開発事業の主旨に賛同、協力してくれる国に対して、一定の条件を求めるようにした。それが、各国が定めたCO2削減目標や脱炭素への取り組みといった地球環境維持を目的とする環境問題に前向きに取り組んでいるか否かを、常に問い続けるスタンスを取った。大前提として、宇宙開発を歪めたものにしたくはなかったのである。
例えば、人類が人口数を増やして地球に全ての人々が住めなくなったとか、人口増や環境破壊の進行で地球に住み続けることが出来なくなる状況になったと仮定する。こうなる未来が次第に明らかになると、人類は慌てて宇宙開発を進め、月でも火星でもコロニーでも、何かしらの手段で人類が宇宙に向かわざるを得なくなる。
しかし、宇宙空間はヒトに対して極めて厳しい環境となる。過酷な環境下でヒトが生活するためには、幾つものセキュリティと対策を施して、盤石な住環境を整える必要がある。
宇宙ステーションや月面基地に交代で短期滞在するのと、永住に近い生活圏を実現するのとでは、食料や水のライフライン確保や、国際法の策定、遵守徹底など、求められる条件に雲泥の違いが生ずる。
生活圏としての宇宙空間利用が求められるタイミングになったと仮定した場合、国際間で取り決めたルールを何一つとして守れない国が宇宙空間へ出ると、極めて脆弱な宇宙空間で、世界中で取り決めたルールを彼の国は果たして守れるのでしょうか?と問われる状況になる。
日本の立場で見ると、中国が月面基地を建設し、月の資源を掘り出し始めたら、明るい未来どころか、絶望的な未来しか想像できなくなる。唯でさえ膨大なレアメタル資源を手中にしている中国に、月の資源まで奪われれば、中国共産党が地球の代表のように成ってしまう。2020年代の宇宙開発の主役は、アメリカと中国だった。ご存知の通り、CO2の最大の排出国であり、地球の環境汚染を率先して進めた国でもある。もし、2カ国が先を争うように宇宙開発に進んでいたら、統一された開発のルール作りもされないまま、それぞれ別個に宇宙開発が進んだだろう。宇宙空間に打ち上げるロケットエンジンの制御ですら、万全に出来なかった両国だ。不具合が蔓延し、打ち上げ延期が状態化していた。あの技術力、製品力のまま宇宙空間に人が滞在すれば、重大な事故が発生する確率も極めて高かっただろう。しかも、「有人」が計画の前提条件になっていた。不慣れな宇宙空間で、もし互いが攻撃し合えば、被害は事故以上に甚大なものになりかねない。
嘗て、ソ連とアメリカが月面での着陸競争を始めて、アメリカのアポロ計画が成功を収めた。ソ連は解体し、アメリカも計画実現のための多額の投資がネックとなり、宇宙開発競争自体が沈静化し、消滅した。2020年代になってアメリカがアルテミス計画なるものを打ち出し、月面基地建設を目標に掲げた。当時の対抗馬はロシアではなく中国となる。
中国は月面の無人探査を成功させており、やはり有人着陸と基地建設を目標として掲げていた。アポロ計画の頃と同じように、2国間に宇宙協定などの類は一切無かったし、国連も宇宙空間は対象外範囲だったので仲裁役も居ない。米ソ時代の競争と同じで、双方で別個のものに投資をし続け、競い合うのと何ら変わらない構図だった。
2020年代の目標は月面への到達ではなく、月の資源獲得が両国の目標となっていた。月に豊かにあるチタンやヘリウム、金などの地球上では限られる資源をいち早く手に入れたいという意向が、透けて見える計画だった。もし、そのまま宇宙開発が進んでいたら、米中間の確執は今以上に激しいものとなっていたと容易に想像出来る。
地球上の環境を破壊し、環境対策も杜撰な両国が、互いの主張に与する筈も無い。2020年代の大多数の人々の想像であり願いは、中国が何らかの大事故を起こして計画に遅れが生じて、2040年代頃にアメリカが月面基地を建設し、月を手中に収める事で、中国の覇権阻止が可能となる未来図を想定してたのかもしれない。
なんの接点も対話すら行われないまま、米中関係は想像するのも憚られる程、対立し合うものになっていたかもしれない。宇宙空間での戦闘が状態化し、地球への影響も出ていた可能性もある。方や伝統的な独裁共産国家と、上っ面の自由と民主主義を唱える国家だ。水と油の対極関係は、是正する手間暇を考える事自体、時間の無駄だとモリは判断した。最も現実的なプランは「両国の出鼻を挫く事」だった。2カ国の経済を低迷させて、莫大な投資を続けてきた軍部を、弱体化させる手段を講じてゆく。
人型ロボットの開発に成功していた日本が、無人化、ロボット操縦による火星進出を打ち上げた時点では米中両国の計画をぶち壊すのが目的だとは、誰も想像しなかった。「ヒトが到達し、滞在する」計画を練っていた米中に比べれば、内容的にはレベルの低いものとして見なされていたからだ。米中両国にすれば既に無人探査を行っている火星が対象なので、「3番煎じ」の扱いを受ける。しかし、肝は滞在した人型ロボットと対話形式で多様な研究が幾つも可能となるという点で、米中を省いた各国が、ロボットを使って火星で好きな研究や探査が出来る、共用利用を打ち出した事だった
各国の火星上でのプロジェクトが成功を収め始めると、米中の宇宙競争という構図が、次第に無意味なものとなった。地球ー火星間を輸送船団が行き交うようになると、6ヶ月の航行期間が次第に短縮され今では3ヶ月掛からぬようになった。遠隔操作とは言え、24時間リアルタイムに作業に没頭するロボットは、バギータイプ探査機やドローンの比ではなかった。しかも確実に研究成果を地球に運び入れるようになる。 日本が火星基地建設を始めた時点で、宇宙開発のトップバッターに転じると、その裏でベネズエラが基地建設を火星だ毛でなく、火星と木星の衛星でも行っているのが露呈する。各国に衝撃だったのは、ベネズエラが製鉄所と造船所、各種工場を建設していた事だった。
宇宙開発のトップランナーが日本からベネズエラに代わると、米中の宇宙開発の全てが否定された格好となる。それが5年前の2035年だった。米中2カ国が狙っていた月面基地建設には目も向けず、その先の火星無人基地を建設して、月には何の関心も持っていないように見せて、安心させる。火星で事業を興しているので、月面基地建設などお手の物だ。何もアナウンスせずに物資を運び入れて、建設を始めるとその模様が月の観測衛星に表示された。ベネズエラがヤリたい放題を始めたのだが、誰も咎める事ができずにいた。月面基地の建設費用は日本とインドが折半すると、言い出した。
火星と月の資源は日本連合内でシェアするが、世銀に一定の資源価格を預入れし、その財源は地球の環境対策費として、原発解体、核廃棄、南太平洋諸国の水没化対策の費用に当てられる。 米国と中国が宇宙資源の自国利用を念頭に置いていたのを無視するかのように、火星と月面の資源を、人類の共有資産として扱ってみせる。どの程度の資源を運び入れているのか、リアルな数値を把握する事は誰にも出来ないのだが。
ーーー 海外渡航者や訪日する外国人が帰国時、入国時に没収される物品のダントツは食料品だった。急増していたのが、製造元が不記載の薬品類だった。「風邪薬だ」「整腸剤だ」と申告するのだが、「怪しい」と判断して成分分析を行うと、合成麻薬に含有する成分が検出され、荷物検査時のスキャン時にヒットするように登録された。錠剤の大きさ、厚さ、直径、パッケージの形状、瓶の大きさなど、小分けされても判断出来うるデータを加味して、漏れのないように徹底していった。
何れも中国、韓国、フィリピン、ハワイ、グアム、サイパンからの人々で、男性となっていた。まだ数割程度の所持率とは言え、麻薬に該当する罰則を加えてゆく。 日本の厚生労働省、外務省、総務省、防衛省内警視庁はチームを作って、国内に於ける流通の有無を調査していった。所持者へのヒアリングで性交時に興奮が得られる薬物と、使い方は特定出来ていたので、風俗産業を中心に調査を始める。厚生省の薬物チームは薬物の習慣性や効果の分析に当たった。中国や韓国の日本大使館は、両国で広く普及している実態を把握する。医薬品として登録してある訳もなく、その時点で違法だった。
外務省は注意喚起し、麻薬所持、利用したのと同じ罰則が課せられるとアナウンスした。 日本がいち早く動くと、中国韓国以外の国々が賛同し、日本の税関の摘発方法を準拠した。問題は、製造元だった。どこで製造し、誰が流通経路に提供しているのかが、分からない。日本大使館の調査には限界が有るとして、中南米軍の特殊部隊が市中に分散し、調査活動を始めてゆく。
1月から北朝鮮のトップに就任した越山と櫻田は、医師でもある。厚労相大臣経験者でもある越山が隣国の中国と韓国、それに担当経済特区の旧満州で流通している実態を知り、摘発に乗り出してゆく。
週末に南砺市五箇山に杜家一同が集結すると、医師3名の越山、櫻田、幸乃の3人が、申し合わせて懸案の薬物を摂取してからモリと行為に及び、3人で通常時との違いについて論じあった。翌土曜の夜はモリにビタミン剤と偽って摂取させて、昨日同様に行為を隠しカメラで観察し、議論しあっていた。
「あれ?もうイッちゃったの?」櫻田が笑いながら言うと、越山と幸乃が腹を抱えて笑っている。大統領閣下は通常よりも早く果ててしまい、その日の女性陣の評判は芳しいものではなかった。日曜の朝から、3人はモリの説教を受ける。学生時代に訪れたインド・ネパールで大麻を試した経験のあるモリは、行為の途中で麻薬を盛られたと理解したのと同時に、トリップ感に支配され理性が瞬時に霧散した。 「あれでは妊娠してしまう」「胎児にどのような影響が出るのか、怖い」と懸念事項だけはしっかり伝えながらも、人体実験もたいがいにしろと医師三人を叱責した。「だから妊娠の可能性が無い3人に、相手をしてもらったのよ」と櫻田が発言してしまい、モリが激高したのは言うまでもない。3人への説教が暫く続いた。
薬剤テスト担当の医師として、3人は匿名で薬物テストしたレポートを日本の厚労省へ投稿した。「理性を無くし、避妊が出来なくなる可能性が高い」「風俗で利用すると他の性病を拡散する可能性がある」「トリップ感は少ないが確かに存在する。常習性は抑えられているといっても、新たな刺激を求める層には、結果的にリピート層になりうる危険性がある」と。
このレポートが首相の手元に届いた際に里子外相が「あの先生が、全然長持ちしないんです。蛍さんも翔子も、とにかくがっかりしてました。何しろ、私の順番まで廻って来ないんですから」と首相経験者3人に明かして、場が大笑いする一幕もあったらしい。
中南米軍特殊部隊の中間報告とAIの分析は合致する。反共を掲げる韓国の宗教団体の資金源になっているのが判明した。特に韓国の宗教団体は、日本でマインドコントロールして多額の献金を集めたことでカルト認定され、駆逐された「あの団体」だった。信者の男女を集団結婚させる事でも知られ、この家庭に薬物を購入させて夫婦円満を強引に図っているという。韓国内での信者の勧誘方法はえげつないもので、未婚の男女に声を掛けて、教団の拡張を担当する異性を紹介し、薬物を渡して見込み信者と行為に及ぶ。女性が歓ぶ姿と自身が体験したことない感覚に囚われて、性的に薬物依存した状態となり入信する。そして、新たに紹介された異性と合同結婚式に及ぶ。
摘発された霊感商法と多額の献金の強要は無くなったが、入信して世帯を構えた夫婦に、高額な薬物を購入し続ける手口に変わっただけとレポートされていた。
反共を掲げる宗教との関わりが見えて来ると、薬物の製造に加担している国は一つしか思い浮かばない。遂に恥も外聞も無くしてしまったかと思いながら、モリは執務室の天井を眺めていた。
(つづく)