見出し画像

孤独

孤独な時間は上質な時間。
生まれてこの方、孤独とは何かと付き合ってきたものだ。それはきっとどんな人でも同じ。しかし孤独とキチンと向き合う時と、孤独を忘れてしまう時とその両方がせめぎ合い、何かのバランスを失った時に心は焦燥感を抱き始めて、遂には潰れてしまう。ここ2、3年の中で少しずつ孤独との向き合い方を理解するようになった気がしている。

際限のない孤独が僕を僕たらしめる。
そうだ、この心のままに生きよう。そのままの自分を受け入れよう。ダメとかイイとかなんて無い。そういう世界に身を投じ、その孤独な時間を常に自分の中に満たさなければならない。

この孤独はきっと僕自身が僕自身を愛するためにある。そしてその愛を外に向ける事で、何かに、誰かに伝わっていくと信じてる。そんな日がやってくる。そしてその愛が伝わったとして、その先もこの孤独は続いていく。その愛によって誰かが生きていけるのなら、それはきっと至上の喜び。

愛される為に愛すのは悲劇
カラカラな心にお恵みを

藤井風「満ちてゆく」


つまりは見返りを求める偽りの愛、下心、これだけ愛しているのに振り向いてくれない、そんな事に明け暮れ、焦燥感を感じ続ける。まさしく悲劇なのだと。アガペー。これほどに上等な言葉をこねくり回したとて人間にこのアガペーを実現することは甚だ難しい。ただ誰かを一心に愛し、愛を求めることなく愛を与え続ける。あいみょんの言葉を借りればそれは裸の心というもの。

自分のつまらない自尊心のために、高く着飾り、金にモノを言わせても、そこに愛が宿るわけではない。素直で、一心に思う心にこそ愛は宿る。その剥き出しの心を渡す事が出来たらどれだけ満たされることか。しかし悲しいかな人も自然も常に変化していく無常の世界だから、いつだって満たされた心のままで、平常心を抱き続ける事なんて出来ない。だからこそ誰もがその愛を、平穏を、形にして、刻み込み、永遠のものにしたいと願う。そう思えば思うほどに焦燥は募っていき、やがて自らを滅ぼしていく。カラカラな心がお恵み(渇愛)を求める。

だから、孤独を守らなければならない。孤独にこそ愛がある。無償の愛は自分を愛すことから始まる。それは自分自身と向き合うこと、弱い自分も、強い自分も全てを肯定し、受け入れる。するとそれだけで弱い心は忽ち自分を取り戻す事が出来るのだ。そしてその心が強い心を生む。勇気を育み、慈しむ心が生まれる。その慈愛に誰かが呼応する。この流れ、循環は正しい孤独の時間の中でしか達成されない。いかに辛くても、悲しくても、逆を返せば心が満たされている時でさえ、孤独の時間と向き合う事を止めてはいけない。この孤独を生涯続ける事こそが命題だ。

馬鹿げたことをしたって分かってる。ただ焦燥感にかられ続けて、弱く勇気のない自分に疲れ果てて、それでも抜け出せないこの執着心、拘りに。それで自分でも分かっていたのに、つまらないモノに自分の中に鬱屈としまい込んだ思いの全てを託して愛してるなんて言葉で1つの心を手放した。この傲慢な心の1つを無理やりにでもと手放した。相手への思いやりのカケラもない独り善がりな心だった。

心は揺れている、それでもアレは正しかったんじゃないかと思っている、何か響いたんじゃないかと思って、期待している、見返りを求めようとする。勇気を振り絞った。背伸びもした。正当化している自分もいる。

この今こそ、孤独と向き合わなければ。見返りを求める自分の心を抱きしめて、納得させて、そして解放して、深呼吸して、意味があったと思い込ませて、この心が暴れないように、自分自身でしっかりと抱きしめて、手放さなければいけない。振り返るよりも今は自分を愛す時だから。静かに、自分を愛そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?