スマートフォン2
W-ZER03は、その当時画期的なスマートフォンだった。
W-SIMというPHS回線が入った、取り外し&組み替え可能なモジュールを採用していた。
ユーザー側のメリットは、新しい機器を購入してW-SIMを差し替えるだけで新しい機器を直ぐに利用できること、ウィルコム側のメリットは組み込むことで、通信端末機の取り扱う経験の少ないメーカーの参入を促す狙いもあった。
OSは当時のPDA(Personal digital assistant)でも利用されていた、Windows Mobileを搭載しており、PDAの進化形・発展系としてのコンセプトが強いモノだった。
今のスマートフォンとは違い、タッチパネルは加圧式でスタイラスペンを使っていた。
文字入力も、QWERTYキー(所謂パソコンの並び)の物理キーパッドでの入力が中心だった。
ワードやエクセルも利用でき、昔のゲームのエミュレーションも動く。
Windows Mobileを利用していたPDAユーザーの過去の資産で、いろいろな利用方法が出来た。アプリについては、基本的には自分でネットの広大な海から自由にさがして独力でインストールを行う。利用して使いこなすには、ある程度のリテラシーが求められたのであった。
鈴木自身も、W-ZERO3 esという後継機モデルを購入して使っていた。
2006年。大学3年の時である。今は無き大宮のさくらやで購入した。
今でこそ、スマートフォンを持った大学生など、珍しくもないのだが、その当時はごくごく少数だったと思う。大学のレポート作成や、就職活動での履歴書・エントリーシート下書き作成も行っていた。暇な時間には、ゲームをやったり、ネットでWEBブラウジングをしていた。スマートフォンがまだ特別な時代だったのだ。
こうしてコアな人気を得ていたスマートフォンは、他社からも出るようになる。
BlackBerry、EMONSTER、M1000、SymbianOS搭載のNokia製端末などなど。
しかし、W-ZERO3同様、マニアックな人々からは受け入れられたが、一般受けは全くせず亜流の製品として扱い続けられるのであった。
時は経ち2008年7月。黒船であるiPhone3Gが襲来するのである。
最初に購入していたのは所謂「イノベーター」と呼ばれる人々である。
初代を利用した感想は、正直動作が機敏ではなく、もっさりしていて売り物になるのかと思った。フリック入力も、ガラケーやQWERTYキーに慣れていた鈴木には難しかった。
今でこそ当たり前だが、携帯電話会社を通さずにAppstoreにてアプリを購入するという概念が理解できなかった。
今にして思うと、AppleはiPhoneの種を、ずっと前から準備していたような気がする。
1998年、iMacによるスケルトンのお洒落なデザイン
2001年、iPodによる音楽のモバイル化を(人々はitunesで音楽を管理するようになる)
2007年、iPodtouchの販売(iPhoneに通じる操作性の取得)
こうした段階を踏むことによりAppleという企業のイメージやコンセプト、現実にApple製品を使っている環境を生み出した上で発売していると考えると、その戦略に感嘆する。
当時はiPhoneについて、一部のマニアだけのモノだろうと思っていた。
しかし、携帯電話会社が一括0円販売等を行うことでiPhoneのユーザーは次第に増えていった。この流れで、iPhoneは大衆化していく。
そして、今では老若男女誰でも持ち、利用するデバイスになっていくのであった。
余談であるが、ウィルコムはiPhone3Gの発売日、「WILLCOM D4」というモバイルPCを販売している。前述のW-SIMを内蔵したPHS回線内蔵のWindows搭載(Windowsmobileではなく)パソコンで、別売りのBluetooth搭載のハンドセットで通話も出来るというなかなかにアグレッシブな機種だった。
実機を秋葉原のイベントで触ったことがあるのだが、動作やコンセプト等、正直厳しいかと思った。モバイルPCは、その当時イー・モバイルが100円PCとして、ASUSのパソコンとPocketWi-Fiを同時に販売する戦略を立てていた。
パソコンでのデータ通信はDDIポケットから続くウィルコムのお家芸の一つで、PCに直接指すタイプのデータカード等を販売していたが、この市場を通信速度の優位性等で、イー・モバイルが取って代わろうとしていたのだ。
そういったこともあり、モバイルPCに手を出したのではないのかと思われる。
その約一年後、ウィルコムが倒産することになるのだがそれはまた別の話。
次回テーマ「スマートフォン3」
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