原稿のウラがわ 2023-24
思うままにつらつらと。
もうすぐBリーグ2024-25シーズンが始まる。今季から正式名称が『りそなグループ B.LEAGUE 2024-25 SEASON』となる。この正式名称をしっかり記事内に入れることが大事だと分かりつつ、どうするかはまだ決めていない。
僕は独学で記事を書いている。文学部でもなければ誰かに師事したこともない。だからいつも試行錯誤。
試行錯誤するためには、指針が無ければ。僕は記事をつくる時はほぼ全て自分の意図を持って書いている。自分の指針を記録しておくことが、媒体としての次の成長に繋がる。
ずっと「やらなければ」と考えていたので、思うままにつらつらと。記事の作り方、原稿のウラがわ、を書いていく。
昨季2023-24に自分自身がもっとも納得できた記事はこちら。琉球ゴールデンキングス #8 植松義也選手をフィーチャーした記事。
僕らアウトナンバーは、テキスト記事を書くペン担当と、コートサイドで写真を撮るカメラ担当の2名1チームが基本になってきた。琉球ゴールデンキングスの取材を重ねる中で自然とそうなってきた。
取材会場での僕らのルーティンは、ペンとカメラがお互いに今日のゲームで自分が楽しみにしてることを話すこと。おしゃべりだ。
僕らは報道記者じゃない。ファンの延長線上に立っている。でも決してファンじゃない。ファンからスタートしてるけど、プロの現場に入った瞬間に、憧れの眼差しは捨てる。
試合開始前のおしゃべりは、ファンとしての自分と、想定読者であるチームのファンとをすり合わせる最後の瞬間だ。ファンが何を楽しみにしてるのか。このゲームを観に来た人がどんなものを見たいのか。それを2人はおしゃべりですり合わせをしていく。僕はこのルーティンが一番大事だと思っている。
この2023年12月20日の試合開始直前に、キングスの外国籍選手含むインサイド選手4人が欠場する発表がされた。ちなみにメディアがそれを知るのもファンと同じタイミングだ。このゲームは間違いなく植松義也の出番がある。それは2人の共通した認識だった。植松はこの日までほとんど出場機会が無かった。「植松が出たら頑張って欲しいですねー」「そうだよねー。出てきたらイイ感じで撮っておいてね」そんな会話をしたはず。
ゲームは予想通り植松義也の出番が増えた。よし。僕は沖縄アリーナの最上段の記者席から気合を入れ直した。
僕らの次のルーティンは、ハーフタイム。記者控室にペン担当とカメラ担当が戻って、前半の感想をおしゃべりする。この時のおしゃべりはもうファンの目線ではない。ペン担当は前半の試合経過から、記事の大枠イメージをカメラ担当に伝える。カメラ担当はそれに合わせた前半の速報写真をすぐにPCで現像する。その現像された写真をアウトナンバーのSNSで試合速報としてアップする。
このハーフタイムのルーティン。もう慣れてしまって当然のようにやっているが、実は凄いんじゃないかと思ってる。移動時間を考えると、記者控室にいるのは5、6分程度。その間に写真選定して現像してアップする。2人のゲームを観るイメージがほぼ合っていなければ出来ない。僕らアウトナンバーが積み上げてきた財産だ。
そして植松義也もしっかり爪痕も残した。自身キャリアハイとなる10得点。出場時間チーム日本人トップの34分30秒の素晴らしい活躍だった。
ゲームはキングスが敗戦したものの、この日の記事は絶対にモノにしなければ。僕はさらに気合が入った。
カメラ担当のHamataroも素晴らしい写真を何枚も撮ってくれた。植松義也の必死にプレーする迫力が届いた。
ここからは記事の技法になる。
僕の考えとして、バスケットボールをコンテンツとして考えた場合、いちばん面白いコンテンツは映像だと思っている。映像>写真>テキストの順番だ。だからゲームの流れだけをテキストに起こしても映像にはかなわない。映像には無くてテキストにしかない強みを理解しなければ、良いテキストコンテンツは作れない。
テキストの一番の強みは「時間軸をコントロール出来る」こと。
テキストは、1秒を描くために、文字数をいくらつかっても構わない。1秒を描くために読者に10秒読ませてもいいわけだ。
映像は、どんなに編集しても1秒は1秒でしか表現できない。写真も、時間を瞬間的に切り取ったものなので、時間軸をひっくり返すことは出来ない。
僕が記事でよく使う手法で、時間軸を逆から巻き戻すような順序で書くことがある。この記事も同じだ。
記事は、試合前の状況の事前説明から入って、試合終了後の植松義也のインタビュー文言をいきなり配置した。
テキストコンテンツの弱みは「すでに結果が出ている」こと。絶対にプレーとオンタイムではコンテンツ作成は出来ない。つまり、読者がテキストコンテンツに触れるときは、すでに結果を知っている前提で書かなければいけない。物語の結末を知っている読者にとって、試合の勝敗は大きな意味を持たない。書き手はこれを強烈に意識しておかなければいけない。
僕が時間軸を逆にすることを好むのは、それが理由でもある。
書き手はこのコンテンツの創造主であり、時間という誰もコントロール出来ないものを唯一コントロール出来る存在だ。コンテンツの中でどれだけ時間を操れるかが、良い書き手の指標だと信じている。
プロの現場に入る役割とは何だろう。僕らはファンからスタートした。ファンはお金を払ってゲームを観に来る。僕らはお金を払わずに、特等席で観ている。そこには必ず役割が、果たすべき義務があるはずだ。
僕は「会場に来たくても来れなかった人達に、僕らのコンテンツでその会場の【熱】を感じさせる」ことこそがプロとしての義務だと信じている。
【熱】って何だろう。応援するチームが勝ったから熱気があったのか。エモーショナルな言葉で飾り立てれば、熱がキラキラ輝くのか。違う。違うはずだ。その場でしか分り得ない情景のディテールにこだわって描き、そこに書き手自身の熱を乗せることで【熱】がコンテンツに宿るはず。
このゲームを描いたテキストコンテンツのクライマックスは、4クォーターの植松義也のフリースローの場面だ。ここまでの活躍で、会場全体が植松義也を応援する雰囲気にあふれていた。何とかそれをテキストで表現したい。
フリースローの場面、植松に声援を送る声が響いた。僕はその中に子どもの声を聞いた。確かに子どもの声だ。誰なのか分からないし、8,000人の大観衆の中では目立った声ではなかったかもしれない。でも僕は確かに聞いた。書き手がその場にいた証拠だ。これこそ【熱】だ。僕はクライマックスをその声にすることにした。
選手の記者会見は、当然ながら試合終了後だ。ゲーム終了からキングスの選手が記者会見場に現れるまで、早くても約30分後。その時間までに何を質問するか決めなければ。ゲームという映画の主人公は間違いなく選手だ。その選手の言葉をどう拾い、どう広げるかでコンテンツの深みが決まる。
僕は植松義也に「子どもの声は聞こえたか?」と聞いた。当然、植松義也が練習生時代にキッズスクールコーチをしていたことも考慮していた。植松の答えは『聞こえていない』だったが、彼は『いつも試合に出れなくても、子ども達が声をかけてくれたり、8番を掲げてくれたりしたのは本当に力になっていました。』と答えてくれた。完璧だ。プロとして素晴らしい回答だ。
ここでまた記事の技法の話。
僕が好んで使う技法で、対比、がある。対比する2つの言葉をあえて並べる。それが読者の印象に残る。読者に情景をイメージさせやすい、と言った方がいいかもしれない。
僕はこのフリースローの場面も、対比、を使った。
だがそれは意味の対比ではなく、位置の対比。
子どもの声が聞こえたのは、後半キングス攻撃方向のエンドライン側の上段席からだった。つまり、植松義也がフリースローを打つ瞬間、声の主は植松と向かい合うかたちで座っていたことになる。
その子どもの声の主が、植松義也がキッズスクールでコーチを務めていた生徒であるならば、スクールでは同じ目線に立っていたコーチと生徒が、フリースローを放つバスケットゴールを境にして、ちょうど向かい合うかたちになった。同じ場所で努力をしていた2人が、ゴールという象徴的なものを境に、位置の対比となる。しかし、2人の努力した時間軸はつながっている。ということを表現した。
この場合、子どもが本当にスクールの生徒だったかどうかはあまり意味がない。だが嘘を書いてはいけない。間違ったことは書いてはいないが、読者に良い意味で「誤解」させるのも書き手の腕。感情移入させる技法、と言ってもいいかもしれない。
つらつらと書いた。この記事のSNSの反響は好評だった。ただ書くだけでなく、僕ら2人が意図を持ってチームで制作したコンテンツが誰かの心を動かしたのなら嬉しい。だから楽しい。
今回はこれで終わり。またね。