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TRPG制作日記(225) カードプレイヤー(2)

ゲームはゲームシステムと世界観に分解できますが、それはTRPGという即興演劇型ゲームでも同様です。

現在、和風世界を舞台としたTRPGを制作中です。和風世界とは言え、このゲームは宇宙都市で暮らしている高校生が、仮想世界アマテラスワールドでカードゲームを行うという設定であり、純粋な和風世界ではありません。

現実世界との繋がりがあるという点では、状況を想像しやすい世界観ではありますが、仮想世界という設定上、設定は複雑です。


さて、現在、このTRPGのルールブックを制作しています。今日は演じられる主人公達に該当するカードプレイヤーの節を仕上げていきます。

なお、ルールブック全体の構成は以下を予定しています。

 第一章 はじめに
 第二章 世界観
第一部
 第三章 カードプレイヤー
 第四章 行為判定と衝撃
 第五章 アマテラスカード
 第六章 対戦
 第七章 自己肯定感
第二部
 第八章 ゲームマスター
 第九章 セッション
 第十章 シナリオ制作
 第十一章 神仏と妖怪
 第十二章 アマテラスワールド
 第十三章 秘された記録

現在は第二章の世界観を書いています。第二章で世界観としてのカードプレイヤーを説明して、第三章で、ゲームキャタクターとしてのカードプレイヤーを設定していきます。

カードプレイヤーは、アマテラスワールドに接続している宇宙都市の高校生たちのことですが、このような背景があるのだな、ということがだいたい分かればいいと考えています。



以下、本文です。

ルールブック第二章『

カードプレイヤー

アマテラスワールドに接続している宇宙都市の高校生を、アマテラスワールドの選手という意味でカードプレイヤーと呼ぶ。とはいえ、宇宙都市からアマテラスワールドに接続できるのは高校生だけではなく、小学生や中学生、社会人、老人までいるので、正確にはカードプレイヤーとは宇宙都市から接続してきた男女すべてが含まれる。また、アマテラスワールドで暮らしている人工知能のアマテラスカードゲームの選手も、カードプレイヤーと呼ぶことがある。この広義のカードプレイヤーとしては、宇宙都市の高校生は少数派であり、実際には小学生から中学生が多い。もちろん、アマテラスワールドで暮らす原住民こそが人数では最大である。アマテラスワールドの原住民の多くがアマテラスカードゲームで遊んでいるので、仮想世界の神仏や妖怪、人間、七福神や管理者でさえも誰もが広義のカードプレイヤーである。それにもかかわらず、カードプレイヤーといえば宇宙都市の高校生のことを指すことが多いのは、アマテラスカードゲームが高校生を対象に設計されているからだ。
 地球時代においては、世界は私たちのために存在しているのではない。ただ自然に存在しているだけである。しかし、宇宙時代の八惑星連邦においては、宇宙都市は人間のために建造されており世界は人間のために存在している。そのため、二十二世紀の高校生たちの生活は私たちに似ているように見えて同じではない。第一に、八惑星連邦の高校生に第一に求められていることは自分の生き方を見つけることである。これは二十一世紀の資本主義社会でも同様であると思うかもしれないが、資本主義においては、資本を中心に人生を思考することが求められている。社会の中心は人間ではなく資本であり、たとえそれが自分の財産ではなくて他者の私有財産であったとしても、私たちは生活のために自分を犠牲にして資本を守らなくてはならない。そのため、自分の生き方というのはどのような職業で働くのか、どのような資本の歯車になりたいのかを想像することでしかない。資本主義では人生とは働くために生きることである。しかし、宇宙都市の高校生たちは文字通り人生を自由に考える。
 宇宙都市の高校生、すなわちカードプレイヤー達は人生が人間関係により豊かになることを知っている。なぜなら、労働を人工知能が発達したために、原理的には労働者が一人もいないにもかかわらず豊かな社会が維持できることを知っているからである。労働は自己実現なのである。同時に、彼等は労働の悩みがなくなれば人生の悩みがなくなるわけではないことを知っている。資本主義が生み出す社会問題が解決されることは、人生の問題が解決することではない。社会問題が解決されると人生の問題が始まる。誰もが自分の好きなことを見つけることができるわけではなく、誰もが自分が求めているような相手と恋人になり友人になることができる訳ではないからだ。高校生たちは自分の人生を創造しなくてはならない。そのために、彼等は仮想世界に接続して、様々な人々との出会いと別れを経験する。二十二世紀においては、人間は誰もが人生という芸術作品を創作している芸術家なのである。
 アマテラスワールドに求めていることは、カードプレイヤーごとに異なる。アマテラスカードゲームとしてはランク十になることが目的だが、誰もが大正時代の住人になることを目指して活動している訳ではない。和風世界の観光が目的の者もいれば、妖怪が好きで遊びに来ている者もいる。友人に誘われてきただけの高校生もいれば、競争が好きなだけの好戦的な男子高校生もいるだろう。カードゲームには興味がなくて、ただ冒険しながら珍しい絵柄のカードを集めることに熱意を燃やす者もいれば、自分の家を建てて和風世界の生活を楽しむ者も少なくない。絵を描くことが好きな高校生にとって、アマテラスワールドは魅力的な世界かもしれない。妖怪の絵を描いて、自分だけのカードを制作する機会が溢れているからだ。もちろん、アマテラスカードゲームが好きで、同じ趣味を持つ仲間を求めて来る高校生も多いだろう。逆に、純粋に出会いを求めて仮想世界を訪れた高校生もいるかもしれない。少数だが、最高管理者である布袋尊との出会いを求めて来た高校生もいるかもしれない。
 能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。カードプレイヤーは現実世界ではサロンに属しているのが普通である。宇宙都市で暮らしている高校生たちは、自分が好きなことには何でも挑戦できる。彼等は教育委員会に申請することで、自分が好きな趣味を平等に追求できる環境を要求できる。いかなる人生も貧困とは無縁なので、両親は子どもたちがどのような人生の選択をしても反対することはない。彼等は必然の国ではなく、自由の国の住人である。

』ルールブック第二章


一言で、受験圧力が低い世界、と書くだけで十分です。英語や数学などの勉強は好きな人が好きなだけすれば良くて、資本主義における、受験とは社会階層を決めて国民に結果を納得して貰うための道具、というわけではないというのが『太陽神の巫女-AmaterasuCard-』の世界です。

普通のアニメや漫画の世界と同じですね。


混乱が見られる場合が多いと思いますが、実際のところ、軽薄な日本の漫画やアニメの世界が現実から著しく外れている訳ではありません。

ライトノベルなどが非現実的世界だと思われるのは、資本主義の圧力が存在していない世界を描いているからです。特に、失業の恐怖と、大企業の労働者(エリート・プロレタリア)という特権階級が存在していることの問題が無視されています。

しかし、貧困層を生み出すことで、肉体労働を特定の集団にすべて押しつけようとする社会が特別なだけであり、人工知能とロボットによる十分な生産能力と適切な社会システムがあれば、むしろエンタメ的な気楽な世界こそが現実になるでしょう。

むしろ、本当の現実は厳しいと考えている人たちの方が、資本主義の考え方に捕らわれていて現実が見えていないのです。

現実が厳しいのではなく、厳しくしているだけです。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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