ロマン主義を考える(4) モーツァルトからワーグナーへ 【『ゲーム制作のための文学』】
文学においてロマン主義を論じるときには、フランス革命とロマン派詩人について議論することが通例のようです。英国ロマン派詩集が日本でも出版されていますが、どのような詩人が選ばれているのかを見れば、ロマン主義とは何かが想像できるでしょう。
しかし、私たちが日常的にロマン主義について話をするときは、むしろロマン派詩人が死に絶えてナポレオン戦争が終わった時代、すなわちワーグナーやヴェルディの作品群を思い出すのではないでしょうか。
音楽の勉強をすると、ルネサンス、バロック、古典、ロマン主義、ヴェリズモからモダンと暗記させられるはずです。そして、
古典主義、モーツァルト。
ロマン主義、ヴェルディとワーグナー。
ヴェリズモ、プッチーニとRシュトラウス。
と一連の流れを暗記するはずです。
今日はモーツァルトとワーグナーを比較することによりロマン主義について考えてみましょう。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年に生まれた古典派の有名な作曲家です。彼は若くして亡くなったので、ちょうどフランス革命が起きた時期に活動を終えました。
彼の代表作は、ダ・ポンテ三部作である、
『フィガロの結婚』
『ドン・ジョヴァンニ』
『コジ・ファン・トゥッテ』
と『魔笛』でしょう。注目するべきは、ダ・ポンテ三部作はすべてイタリア語で書かれていることです。
当時、音楽といえばイタリア、イタリアでなければ音楽ではないとイタリア至上主義の考え方が普通でした。そのため、オペラはイタリア語で書かれており舞台もイタリアやエジプトです。
古典主義が古典主義と呼ばれるのは、それがローマ帝国、ギリシャ、エジプトという古典世界から強く影響を受けているからです。
日本人は欧米ロシアといえば、キリスト教やギリシャ哲学に起源を持つ自然科学を想像すると思いますが、どちらもローマ帝国、ギリシャ、エジプトに起源を持ちます。
星の名前がギリシャ神話から取られている場合が多いのもそのためです。
ヨーロッパ人、アメリカ人、ロシア人は聖書を読み、ギリシャ哲学に起源を自由主義や社会主義を勉強します。そして、キリスト教と自由主義や民主主義、社会主義は彼等の重要なアイデンティティです。
それはモーツァルトにおいてはもっとも強く発揮されており、彼の音楽はまさにヨーロッパ人の魂の起源である、イタリア、ギリシャ、エジプトに人々を立ち戻らせます。
モーツァルトの最後の傑作『魔笛』は、当然、その舞台はエジプトでエジプトこそが彼等の心の起源なのです。
多くの日本人にとって、儒教と仏教、中国とインドが日本文化の中核を担っているのと同じです。
儒教と仏教、中国とインドこそが日本の魂の根幹なのです。
本当に? と疑問に思うのがロマン主義です。中国とインドをひたすら崇拝して土着の汚らわしい文化を根絶やしにして、神社は野蛮と断言して、お寺でお経を読んだり塾で四書五経を学ぶことに熱意を燃やすのは、本当に日本人のあるべき姿なのでしょうか?
漢詩は高貴な男の文化で、短歌は野蛮な女の文化。
男子たる者は神社で自然に囲まれてスピリッチャルな気持ちになることをひたすら軽蔑して、仏教思想を学び、そして剣道や茶道などの儒教的な道を極めなくてはならない。
外国思想の学習を伴わない文化は野蛮。
モーツァルト自身は、古典主義の考えに疑問を持っていたようで彼の最後のオペラである『魔笛』は衝撃的なことにドイツ語で書かれています。
理由は、フランス革命。
フランス革命のおける重要概念は社会契約論です。社会契約論とは、社会とはその社会に参加したい個人の契約により成り立っているという思想で後の立憲主義の土台となります。
フランス革命において、イタリアは外国でフランス人の祖国はイタリアではなくてフランスです。なぜなら、フランス人とは、フランスを祖国として社会契約を結んだ人たちのことだからです。
同様に、モーツァルトも自分の祖国がイタリアではなくてドイツであることに気がつきました。モーツァルトはイタリア文化の宣伝だけでは満足できずにドイツ文化の発展に貢献したくなったのです。
『魔笛』は、これまで悪と思われていた神官ザラストロが実は正義で、夜の女王が実は悪であるという逆転が起きます。
そこにはモーツァルトの革命思想が現れています。
しかし、モーツァルトは古典主義。舞台はエジプトで、彼はほぼドイツ人というよりイタリア人です。
真のドイツ人はモーツァルトの後継者であるワーグナーから始まります。
ワーグナーを語るのであれば、彼の最高傑作、
『ニーベルングの指輪』
を語るしかありません。
舞台は当然北欧神話、ドイツの英雄ジークフリートが聖剣を振り回してドラゴンを倒します。日本の保守が儒教と仏教ではなく、神道を重視するようになったようにロマン主義者は、キリスト教とギリシャ哲学ではなくてドイツの神話を重視します。
ロマン主義の重要な視点は、民族や部族ではなくて、国家、国という概念で世界を考えることです。
そして、国民国家には国民文化が存在します。
ロマン主義が現れるまでは、ヨーロッパ人であることの理想はイタリア人であることでした。
しかし、ロマン主義が生まれてすべてが変わりました。フランス人の理想はフランス人であること、イギリス人の理想はイギリス人であること、ドイツ人の理想はドイツ人であることになりました。
そして、聖書に書かれたキリスト教の律法ではなくて、それぞれの国が自分達の理想を憲法に込めるようになったのです。
ドイツ人とは何か?
それはゲルマン民族ではなくドイツの憲法に共感して、社会契約によりドイツに参加する人たちのことなのです。目指すべきは、イタリア思想ではなくてドイツ思想です。
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