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作品というよりも愛

僕は「これが僕の作品です」というスタンスから抜けてとても自由になりました。

アーティスト活動を始めた当初はエゴが出て来やすく、「僕の作品を見てください」「世界に僕の作品を見せてやろう」、というような気持ちが湧き上がって来たものでした。
自分のエネルギーも時間もかけた作品を見て欲しいと思うのです。
作品を見て評価してほしいと願うのです。

その願いは、外に意識を向けていることから来るものです。
自分で自分のことを評価していると、実は人の評価は気になりません。
もうすでに満ちているからです。
自分で自分を評価できないから、人に評価されたいと願うのです。
つまりそのベースになっているのは不足感なのです。

ドローイング#9

僕は数年前から集中的に自分に意識を向けるという実験を行っています。
周りの評価よりも、そのとき自分が何を感じて何をやりたいと思っているのかを大切にしてきました。
ブレてしまうこともたくさんありましたが、できる限り自分の心に忠実に生きてきました。
この活動はアーティストとして生きていく上でとても役に立っています。
人の目や評価を気にしなくなった分、湧き上がってきたアイデアをそのまま具現化していくことができましたから。
魂がホッとした気がしました。

今までは何かアイデアが降りてきても、「人に受け入れられないのではないか」「作って発表しても買ってもらえなかったらしょうがない」などと、自分で頭の中で物語を作り上げ、取り組むことすらやめたことも多かったものでした。
それが蓄積していくと、何のために生きて、作っているのかわからなくなってしまいます。
もちろん作品を購入してくれたり、素敵な言葉をかけてもらえるとうれしいものですが、制作意欲と人からの評価が合わさっていると、アーティストとしては苦しいものです。

僕は自分により意識を向けていく過程の中で、たくさんの挑戦ができました。
使う素材も変え、自分の体を表現として使い始めたりもしました。
今までであれば、自分の肌をSNS上で見せたら人からどう思われてしまうか、というところで止まっていました。
自分で勝手に決めていた限界を超えると、自然と表現のスタイルがあれよあれよと変容していきました。

そのような活動の中で気づいたことは、自己肯定感が高まったということ。
そして自己肯定感が高まると、制作過程も、自分が作ったものも、全部ありがたく思えてくるのです。
さらに、自分のことが自分で認められるようになると、人のことも認められるようになります。
自分を解放すると、人のことも自然と自由にできるようになります。
逆に言うと、自分を自由にできないと、人のことも自由にはできないのですね。
これが真理でしょう。

ドローイング#15

僕は現在、NFTのプロジェクトとして、4月から毎日ペンで絵を描き、そのドローイングをただプラットフォームに上げていくという取り組みをやっています。
今までは、人にどう見られるかということを意識して、しっかりキュレーションして発表、という流れでしたが、その工程を全部取り去りました。
もちろん、何かのテーマの基にキュレーションして見せるのも美しいことではありますが、自分のことが認められるようになると、今までは「これは流石に出せないだろう」というジャッジを下していたようなものまでが、なぜか愛おしく感じられ、世界への信頼の中で送り出せてしまったりするのです。
「さあ、自由に遊んでおいで」と。

僕は毎日朝晩瞑想をしているのですが、思考が抜けているときに制作のアイデアも降ってくるので、ありがたい時間になっています。
このNFTのドローイングのシリーズは、僕にとっては日々の瞑想と同じような感覚です。
出来上がった画よりも「行為」が感じられるようなシリーズ。
毎日ペンを走らせることに尊さを見出しています。
画がさらに増えていけば「この人こんな時間の過ごし方をしていたんだ」というような感覚がプラットフォームに現れて来るだろうと思います。
毎日のドローイングを見せているようで、実は尊い時間を感じさせているのですね。

これは人によっては、写経や散歩や日記などと同じようなものかもしれません。
自分からただただ流れ出てくるもの。
素直な音、響き。
何も飾らない自分。
自分との調和。

ドローイング#18

「絵を描く」という感覚も実はありません。
今までギャラリーやアートフェア、博物館といった場所で展示をしてきましたが、ここへ来て、素朴さをとても楽しんでいます。
「絵を描く」「作品を作る」からも解放されて、日々のアート活動がより安らかになっているのを感じています。
パッションというよりは頬を撫でる風。
何が出てきても大丈夫。
その安心感。

自分のやること全てが正解であるなら、どんなに楽に生きられるでしょうか。
成功と失敗がなければ恐怖が小さくなります。
そんな意識から生まれてくるアイデアや現象を観察するのが日々の楽しみです。
僕は、アーティストとは何かを作る人たちではないと思っています。
彼らはアートや実験を生きる人たちなのではないでしょうか。

今回もここでお逢いできたことをうれしく思います。
また次回お目にかかれることを楽しみにしています。

太陽

毎日のドローイングはOpenSeaで閲覧&購入が可能です。
OpenSeaのリンク

あとがき
「無条件の愛」という言葉がありますが、今やっているドローイングはそれに近いのかなと思っています。
作品というよりも愛。
愛は作るものではなく、あるもの。
ずっとあるからそれを思い出していく。
開いて見ていく。
そのような感じ。

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