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恐怖は魔法の扉

恐怖が久しぶりに上がってきた。

前回紹介した『青いトスカーナ』というエディトリアルフォトがとても満足のいくものだったから。

エディトリアルフォト(編集写真)とは、出版物などを通して、写真で物語を伝えるもの。

『青いトスカーナ』は、実は僕のインスタグラムで展開していた『イタリア3部作』の第2部だった。

第1部『花と永遠の中で』
第2部『青いトスカーナ』
と来て、「さて第3部はどうするか?」というところでしばらく止まっていた。

先に3部構成になることを決めていたし、僕も素直にそれはやりたいと思っていた。

全て違うテイストの作品にしたかったのと、『青いトスカーナ』が不意に海外のアート&ファッション誌「Louscious Magazine」に取り上げられたこともあって、一気に第3部のハードルが上がった気がしていた。

どういう構成にしようかと素材の写真を見ながらアイデアが降りてくるのを待った。
しかし一向に作業の進む気配がなかった。
そうやって幾日かが過ぎていった。

バチカン美術館のラオクーン像

そして先月末に家で数日一人で過ごす時間があった。
そのときになんとなく、作業が進まなくてもいいから写真をいじってみようという気になった。

すると芋づる式に、インスタグラムに発表する大まかなデザインがスルスルと出来上がっていった。
僕はどうやらアイデアが浮かばなくても触っているうちにアイデアが湧いてくるタイプのようだ。
小さな部分から取り掛かっているうちに、どんどんエネルギーが乗ってきて一気に終わる。
そんな感じ。

頭はこう言ってくる。
「失敗したらどうするんだ?」
「第2部を超えられないんじゃないか?」と。

だから恐怖や不安や疑いで現実を見てしまう場面があった。
でも、こんなことは今までもう何度もあった。
だから僕はもう知っている、恐怖はただの扉であることを。

その意識へと戻って創作を進めて行くと、自分で全く想像していなかった濃密なビジュアルが完成した。

『裸のチャペル』先行ビジュアル

『イタリア3部作』の完結編は『裸のチャペル』と題した。
イタリアを5月に訪れたときに、「Cappella(チャペル)」という文字をたくさん目にした。
これは未来の自分が何か伝えようとしているサインであるように感じた。

アーティストとして活動していく中で、急に進むべき道のようなものが見えなくなってしまうときもあるだろう。
僕はそんなときこそが実はチャンスなのだと思っている。
目の前の闇を扉にして、その先に抜けて行くことができるから。

煮詰まっていれば、小さなことをやってみる。
エネルギーが高まっていないのに、壮大なことをやろうとしてもプレッシャーで重くなってしまうことの方が多いから。

今できる小さなことを少しずつやれば、少しずつエネルギーが回っていく。
バイクのエンジンを蒸すのと似ているかもしれない。
そのうち勝手にエネルギーが回り始める。
あとは自分の感性に身を任せて楽しめばいい。

『裸のチャペル』ポスタービジュアル

『イタリア3部作』完結編『裸のチャペル』は、8月9日(火)から僕のインスタグラムで公開が始まった。
ここから15日間かけて荘厳でかつ遊び心溢れる世界観が展開していく。
完結編に相応しい突き抜け感を放っている。

恐怖を超えて、結局は最高の自信作になった第3部。
最高だからこそ、他の出版物ではなく、僕のインスタグラムでだけ全貌が見られるようにしたかった。
日頃からサポートしてくれるフォロワーさんにも感謝の意を込めて。

体の表現は、自分の脆い部分を見せていくもの。
無防備な状態を表していく。
だからこそ恐怖や不安も上がってくる。

そんなときにフォロワーさんからこんなありがたい言葉をいただいたりする。
「あなたのやっていることは自分自身を無防備な状態にしないとできないこと。それはあなたのフィジカルアートであり、美しい。私に深くインスピレーションを与えてくれる」と。
自分をオープンにし始めてから、こういった言葉を度々いただけるようになった。
僕の、自分の体への感謝の気持ちが、見てくれる人にも伝わればといつも思っている。

今日は落ち着いて神聖な気持ちで、初日のビジュアルを送り出した。
これから優美な夢が少しづつ紡がれていく。

太陽

『イタリア3部作』第2部『青いトスカーナ』は、僕のインスタグラムには厳選された写真のみを使用しています。
全てご覧になりたい方は是非「Louscious Magazine」で取り上げられている『青いトスカーナ』も併せてご覧ください。
『イタリア3部作』の流れが感じられるでしょう。


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