感想『カムパネルラ』-傷を背負って生きていくということ-
前置き
前回の『迷える羊』の感想に引き続き、米津玄師のアルバム『STRAY SHEEP』を味わってゆこう。今回は『カムパネルラ』について。歌詞の解説は誰かがしてくれているだろうから、今回も曲を聴いての所感や考えたことを書く。
前回の記事はこちら
参考は以下です。(歌詞カードが手元にない人用に歌詞のリンクも貼っておきます)
アルバムの最初の曲が『カムパネルラ』で良かった
Radioにて米津玄師は、この曲はこの3年間の間に出会えなかったり亡くなってしまったりしてすれ違ってしまった誰かへの贖罪のような、祈りのような曲であると言っている。インタビューでも『銀河鉄道の夜』より、ザネリの視点から亡くなってしまったカムパネルラに対して歌っていると言っている。厳密には彼を通り過ぎた人たちとは亡くなってしまった人だけを指しているわけではないけれど、この曲は主に死者への思いを綴った曲だろう。
『STRAY SHEEP』というアルバムは「遥か遠くの誰か、けれどきっと確かにいるであろう誰かへの慈しみの愛に溢れた作品」だと今のところ私は感じている。このアルバムを象徴する『カムパネルラ』『迷える羊』『カナリア』の3曲を中心に「それでも生きていくことを肯定する」というメッセージを強く感じるからだ。
終わる日まで寄り添うように
君を憶えていたい
だからだろう、私はこのアルバムの最初の曲が『カムパネルラ』で良かったと思う。世界中の人々が疫病に恐れ苦しみ、負の感情が溢れるこの2020年という時に出される米津玄師のアルバムが死者への祈りから始まるというのはとても美しいと思ったのだ。
死者への思いを綴る歌ならば誰もが知っている曲『Lemon』もあるが、もし『Lemon』が1曲目だったらこのアルバムは浮かばれなかっただろう。『Lemon』もいい曲だが、この時に出すアルバムの1曲目としてはあの曲は「あなたが死んでしまって悲しい」というニュアンスが強くて辛い。
『カムパネルラ』においても主人公はカムパネルラの死をとても悼んでいるが、けれど悲しくて忘れられないのではない。彼の死を確かな自分の人生の一部として生きる糧として憶えていたいのだ。この歌において主人公は傷を抱えながら生きていくことを肯定している。
この時代において現状を嘆くに留まるでもなく、あっけらかんと人生を肯定するでもなく、痛みを抱えながら生きることを選んだ。米津玄師のその選択は本当に美しいと思う。
傷を背負って生きていくということ
光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル
君がつけた傷も 輝きのその一つ
この一節からは思い起こすことがいくつもある。けれど全ては書いていられないので今回はその中の一つだけ。
私はかつて親友だった友とひどい仲違いをしてしまい絶交状態もなってしまった経験が何度かある。仲違いをするといっても、それで相手のすべてを嫌いになることは少ない。基本的には今まで通り相手のことが好きで、ただしどうしてもある1点において分かり合うことができなくて、その違いのために今まで通りには仲良くしてはいられなくなったという場合が大抵だ。
そういう時私は「相手が一生忘れられないトラウマや呪いのような消えない傷をつけてやろう」と思う。かつて親友だった過去をなかったことにしてただの知り合いとして接されるよりも、畏怖や憎悪の対象でも絶交状態であってもいいから忘れることのできない存在として・相手の人生の一部としてあれたほうが良いと思うからだ。
自分にも相手から受けた傷はある。思い出す度に傷は痛んで苦しいけれど、その度に痛みは戒めとなって自分を引き戻してくれる。絶交状態にあっても相手は自分にとって特別な存在のまま自分の生きる支えになってくれている。だから私は思い出す度に辛い思いをするけれど、それでもこの傷はずっと背負って生きていきたいと思っている。
逆に本当に嫌いになってしまった相手とは、私はやんわりを和解をしてしまった。相手を自分の特別な存在にしておきたくなかったから、向き合うことをやめて何でもない存在になり下げてしまった。
多くの人のできた人たちは、きっと逆のことをするだろう。私という人間はまったく強情で不器用で冷淡なやつだと自分でも思う。
こんな話をしてしまうと、「身勝手なやつだ」と嫌な思いをしてしまう人もいるかも知れない。『カムパネルラ』の傷を背負って生きていくという祈りはもっと美しいもので、私の背負うとは違うものかもしれないけれど。
最後に歌い方について少しだけ。『カムパネルラ』では特に伸びる音の時に絞り出すようなあえて揺れる声の出し方をしているように思っているのだけれど(特にCメロの各句の末尾とかは顕著)、これが贖罪の思いや悲しさの感情表現としてすごく効いているなと思う。「君がくれた寂しさよ」の部分なんかは寂しさの感情が神がかったように歌声にのっている。
もし感情表現の観点からこの曲を聴いたことがまだない人が居たら、そこに注目しながらもう一度聴いてみてほしい。「あれ、この曲こんなにエモい曲だったの!?」ってきっと思うだろう。少なくとも私はそうなった。