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渡りくる人々2021-22シリーズ P

渡りくる人々2021-22シリーズ P

まつおのたいしゃ。
松尾大社の創建も
渡り来た人、秦氏。

伏見稲荷神社を
創建したのも、秦氏。

これは両方とも
「はだ氏」と、読みは濁る。

どちらも、
日本人が創建した社なのでは有りません。

我だって、京都に
長く住みながら、
こんな事を知らなかった。


深草の秦氏一族①

京都深草あたりの豪族。
現在では、我の出身大学。
龍谷大学、や
北側には警察学校が
位置しているエリア。

しかし
京阪「深草」駅から、
東側、山を越え、
宇治の手前まで広大なエリアが、深草です。

深草駅の下には、
学生時代によく通っていた、
喫茶店「みどり」がある。
未だに存在しているのは、
感激であった。
昔は、ホットコーヒー180円
やったと思うが、なあ?

また、
深草遺跡は、よく
知られている遺跡です。
豊富な鴨川の水などを
使って、弥生時代から
水田農業が営まれていた。

ここにまた、
高度な農業技術を持った
秦氏が住みついたのです。
そして開発をすすめ
豪族となります。

平安時代にも、
「郡司」という、
地元豪族が任命される首長ポストに
秦氏はついており、

この地で、
有力な勢力を後々まで
持ち続けました。

2022/1/8
京都新聞朝刊


嵯峨の釈迦堂が
皆さんには
よく知られているでしょう。が、

清涼寺の三国伝来仏像①

「清涼寺」という寺名。

奝然(ちょうねん)が、
仏教修行のために、
宗に行き、当時中国で
もてはやされていた仏像を
模刻して持ち帰って、
ここに安置した、という。

拝観してすぐわかるように
インド風で、当時の日本風の仏像とは、
随分と感じが違う。

仏教も、「見る」対象物だから、
流行りがあり、
舶来の新しい仏像として、
爆発的に受け入れられるようになるのです。

2022/1/11
京都新聞朝刊



奝然の宗皇帝との会見②


奝然  とは、ちょうねん、と読みます。

奝然と謁見した
宗の皇帝は云います。

「日本はたかが、
 小さな島国」

これを「東夷」と
呼びました。

東夷・・・とうい


それなのに、
王統は断絶することなく、
続いている。
臣下もまた同じである、と。

「これこそ、
 あるべき姿である」
「古来の道だ」と。

それに引き換え、
我が国は、
唐の滅亡以来、混乱し、
衰退を重ねているではないか。

これ故に、
宗は、国力を回復して
国の復興に力を
入れていったのです。

以降、300年に亘り
続く宗は、
文化、産業に目覚ましい発展を
遂げるのです。

2022/1/14
京都新聞朝刊


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