他者への想像力っていうけれど。

どこまで想像して、どこまで受け入れるべきなんだろう。

今読んでいる本に、ベイトソンのダブルバインド理論について言及があって。

ベイトソンのダブルバインド理論
ダブルバインド(Double bind)とは、ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

家庭内でダブルバインドのコミュニケーションが取られていると統合失調症に似た症状を引き起こすとのこと。
本では例として、母子のコミュニケーションが挙げられていました。
※私なりに解釈した言葉で書きます。

母は子どもに「愛しているよ」と言葉で伝える。
子どもがその言葉を、そのままメタメッセージ
(そのメッセージが本来もつ意味)として受け取り、抱きしめてもらおうと思って近づくと、母親はそれを行動に示してくれない。
となると、母親の「愛しているよ」のメタメッセージは、言葉そのままの意味ではなく「あなたを愛していない」であったということになる。
しかし、母親は子どもを好きでいたいという欲があるため、子どもがそういった認識をすることを許さない。
だから、子どもがメタメッセージを反対の意味で受け取ろうとすると、子どもを叱る。
「抱きしめてくれない」という母親の行動も子どもにとっては叱責のひとつであり、子どもはどちらの認識をしても、叱られてしまうことになる。
このような経験は、メタメッセージを受け取るために必要な情報の取捨選択を難しくさせる。
コミュニケーションの際に言葉の裏をかいてしまう、疑ってしまう。
そうすると、返答が曖昧なものになる。
曖昧なやりとりになると、メタメッセージが弱くなり、本来求めてられていたコミュニケーションを成立させることが難しくなる。

このダブルバインド理論を知って思ったのです。
他者のことを、どこまで想像して、どこまで受け入れるべきなんだろう、と。

私、「ちょっと考えて、そこの想像にいきつけなかったの?」って思わされる人が苦手なんだけど
そういう人って、こんな経験がもとになっている場合もあるのかもって思ったら、自分が冷たい人間に思えてきた。

SHOWROOMの前田裕二さん(めちゃくちゃ尊敬してます)が説く「他者の想像力」と「人を好きになる能力」って、ここまで想像して、相手を認めて受け入れるって事なのかな。
ただ、いつも他人他人いってたら、自分の個性とか感覚が押しつぶされてしまうのだけど…。

あと、このダブルバインド理論は、恋愛においてもいえることだと思いました。

他者への想像力をはたらかせるタイミングと
自分の気持ちをたいせつにするタイミングを
上手に切り替えられるようになりたいな。

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