【追悼】 名優アラン・ドロン死す
「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」で主役を演じたアラン・ドロンが、フランスの自宅で家族に看取られつつ安らかに亡くなったと伝えられました。この映画をまだ見たことがないという人が心から羨ましい。サスペンスを描いた脚本は完璧、監督は稀代の名匠、音楽はゴッドファーザーのテーマでも知られるニーノ・ロータ、素晴らしい役者たち、そして美しい海。
話の顛末を知ってしまっては魅力が半減してしまうものの、それでも何度でも味わえる飽きのこない一品で、完璧な映画があるとすれば、「太陽がいっぱい」はそのひとつです。
まだ見たことがないという幸運な方は、ネタバレ記事への接触に気を付けて日々を送り、ぜひとも早めに、できるだけ大画面のテレビやスクリーンでご覧になることをお勧めします。
フランス文学者にして映画評論家という中条省平さんが綴った、一時代を築いた名優への惜別の辞を要約しました。
<要約>
戦後の世界映画史において屈指の美青年俳優だったアラン・ドロンが逝去した。享年88。弱冠24歳で主演した「太陽がいっぱい」(60)で名声を決定づけた。
見る者を魅了する青春ただ中のドロンの美しさの影で、若くして屈辱を舐めた者がもつ、暗いルサンチマン(怨み)が結実していた。実際、ドロンには不幸な家庭の中で育ち、インドシナ戦争に従軍し、怪しい仕事にも就いたという暗鬱な実生活があった。
同年の映画「若者のすべて」で、ドロンはイタリア貧困家庭出身のボクサー役に抜擢された。監督はイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ。華やかな美貌の影に隠れた暗鬱さや繊細さを見抜き、引き出した。
ヴィスコンティはさらに「山猫」(63)で、ドロンを貴族青年役で起用し、気高い容姿をシチリア風土に置いて開花させた。ほぼ同じ頃、本国フランスでは犯罪映画の決定版「地下室のメロディー」に出演する。名優ジャン・ギャバンと共演作だった。
「冒険者たち」「さらば友よ」「ボルサリーノ」などの傑作群で、ドロンは男の友情というテーマを扱う。そしてクールで禁欲的な殺し屋という神話的イメージを「サムライ」(67)で決定づけた。監督はジャン=ピエール・メルヴィル。自決直前の三島由紀夫が絶賛したこの寡黙な主人公は、行動しつつ滅びていく。メルヴィルとは名作「仁義」(70)でもコンビを組み、名優イヴ・モンタンなども参加。ドロンの地味な側面を強調して成功した。
ドロンの代表作は60年代に集中する。そこでのイメージと演技を70年代以降に活用していったが、「パリの灯は遠く」(76)でドロンは、哲学的な内容の映画の中で見事な演技力を見せた。老いた近年になると、子どもたちや日本人女性との争い、銃砲不法所持といったゴシップで世間を賑わせたが、若き日のドロンの美しさは、いまもスクリーンに不滅である。
(原文1416文字→777文字)
海を描いた映画は数あれど、「グランブルー(Le Grand Bleu)」と「太陽がいっぱい」がその美しさで双璧を成すと勝手に思っています。一方は1988年に公開されて監督はリュック・ベッソン。もう一方は更に時代が降って1960年に公開されたルネ・クレマン監督による作品で、ともにフランス映画というのが奇遇というか面白い。
弱冠24歳で主役を演じたアラン・ドロンは、「太陽がいっぱい」の世界的成功によって一躍国境を超えた著名人となりました。その後老年に至るまで自身の代表作が24歳で主演した作品だと言われることを、苦々しく感じていたかもしれません。それでも過ぎ去った若く美しい日の自身の姿が、暗鬱な生い立ちやスキャンダルを消し去り、死してなお映画史に残る作品のなかで永遠の生命を与えられている。作品だけが残る他の芸術家とは一線を画し、映画俳優とは作り手そのものが作品の一部として残る。不思議な存在です。