滋賀県の「ライダーズハウスいぶき」に泊まって、民泊の可能性を考えた
日本百名山「伊吹山」の麓の民泊ライダーハウス
筆者は日本百名山「荒島岳」の麓で旅人宿を運営していますが、それは副業で、本業はファイナンシャル・プランナー(と保険業)です。今週、北陸新幹線の終点の駅のある敦賀で本業の仕事があったのですが、ついでに、以前から行きたかった「ライダーズハウスいぶき」に泊まってきました。自分の宿は1月末まで休館ですし。
宿業を始めて2年、近所の自然もお客さんも日々変化するし、ストレスを発散する必要性というのが消滅したので、敢えて何をやりたいとか何がほしいとかどこかに行きたいという感情はあまり湧かなくなってきているのですが、同じような境遇の人たちがどんなことをやっているのかを知りたいという思いがあって旅人宿にはどんどん行きたいのです。
敦賀から県境を越え、琵琶湖岸を走り、戦国大名・浅井長政が最期を遂げた小谷城跡の脇を通り、関ヶ原に向かう道を進み、ほぼ1時間で着きました。
2021年6月にオープンしたといいますから、宿歴は当宿よりも1年半ほど長いです。当宿と同じく、民泊の宿です。(民泊新法準拠・年間営業日数上限180日)
開業のいきさつは宿のホムペにも書いてありますが、当宿と同じく空き家を活用した宿ということです。料金は1泊素泊まりで2,500円+冬季暖房料300円で2,800円と当宿よりも更に1,000円以上安い。ただし原則寝具は持ち込みです。(レンタル布団もあり。)
旅人宿の中でも「ライダーハウス」(以下ライハ)という部類になります。私も20代のころはよく泊まりました。
「日本ライハ連合」
すぐ近くに立ち寄り湯があったのですが土日しかやってないということで、車で15分くらいのところにある「姉川の湯」でひと風呂浴び、スーパーで惣菜を買い出し、19時半くらいに宿に戻ってきたらもう一人お客さんが来てました。昨年春にウチに来た人(笑)
そのまま宴会です。私以外の2人はバイク乗りだったこともあり話題はひとり旅のことになります。その中でも、昨年結成されたという「日本ライハ連合」の話題になりました。
ライハというと、商店街の空き店舗を使ってとか、ドライブインで夕食を食べたらタダで2階に泊まれるとか、それぞれインディペンデントな存在だったのですが、令和の今の時代になってヨコの繋がりを作ろうという気運が出てきたようです。
因みに「ライダーハウス」と銘打ってますが、別にバイク乗り以外の人が来ても全然オッケーなようです。私もバイク乗ったこと無いですし(チャリダーでした)。「ライハ連合」、まだ始まったばかりですがこのまま認知度が高くなるといいですね。(その流れで「とほ宿」も知名度上がれば・・・)
宿に色濃く残る昭和の暮らしぶり
館内も見せてもらいました。
私が泊まった部屋は、玄関横の8畳くらいの和室で、床にはカーペットが敷いてありました。平成になってフローリングが主流になりましたが、昭和の頃には和室にカーペット敷きという部屋は多かったのです。
そして部屋と部屋は、いろいろな模様のガラス戸で仕切られています。今では断熱性とプライバシー重視でこのような造りで新たに作られることはほぼ無く、今まであったものもどんどんリフォームされています。
2階は今は宿泊スペースとしては使っていないとのことですが、もの凄く立派な材木を使っています。
ライハになる前は空き家だったとのことですが、これは出来る限りそのまま後世に残さないといけない建屋だと思います。昨今、日本家屋の良さが見直されつつあるようですが、今の流行りはシックでスタイリッシュなインテリア、もしくは豪壮な数寄屋造りの再現。この宿のようにゲストハウス的な宿泊施設として活用される場合でも、昭和後期のフツーの家の和洋折衷ともいうべき内装はどんどん「ビフォーアフター」されているようです。その方が予約サイトなどでは映えるからでしょう。
しかし、このようなテイストの部屋が好まれていた時代はあったのだし、そこには人びとの暮らしがあったのです。時代が変わったからといって上書きしてしまっていいのでしょうか?
私の知り合いの昭和41年開業の喫茶店は、開業当時の佇まいを今に残し「レトロ喫茶店」として人気を博しています。50年以上前のソファも修繕しながら使い続けています。インバウンド向け販促策は一切やってないのに外国人客がやってくるそうです。
実際、このライハにも「普通の日本の家のフトンで寝たい」というドイツ人旅行者がやってきて、満足して帰っていったそうです。今インバウンドの外国人観光客が大挙して来ていて、円安で王様気分を味わいたいという人が多いのでしょうが、中にはラグジュアリーよりエキゾチックな要素、特に日本人のありのままの暮らしぶりを見たいという人もいるのではないかと思います。古くなったから、時代に合わなくなったからといって打ち捨てるのはもうそろそろやめにしない?て思うのですが。
ウチの宿もそうですが、インバウンド向けのキラキラ民泊と違って旅人宿やライハというのはだいたい儲からない(そもそも儲けようという気があまりない)ため、カネが無くてリフォームをあまりせずに運営している所が多いのですが、そうすることで日本の昔ながらの暮らしぶりの痕跡を後世に伝えられるのではないかと思うのです。今はこのような建造物はぞんざいな扱いを受けていても、あと50年続けたら文化財になると思います。
ネットでは見えない世界がここにある
寝床がすぐそこにあるという安心感もあり、時間が経つのも忘れ杯を重ねました。話はどうしてもライハを立ち上げた経緯と運営状況などに向かいます。
最初は親戚に頼まれてこの空き家の活用を模索した結果ライハにしたとのことですが・・・それを聞いた近くの知り合いの人たちが看板作ったり補修を手伝ってくれたりしたそうです。家具などは殆どが貰いものとのことでした。
話を聞きながら思いました。ライハ主さんはこの土地の生まれで、今でもビワマス漁師など他の仕事をしながらライハをやっているようですが、この地域に根差して生きてきたのでしょう。都会の人が田舎をDISる時に「地域のしがらみが強い」「地域活動で休日も忙しい」ようなことをよく言うのですが、そうやってお互いに培った信頼感はこういう時に活きてくるのです。コスパとかタイパとか言ってるような生き方だけをして、人生の肝心なところで応援してくれる人がいるのでしょうか?
この日の飲みのメンバー、ライハ主さんがもうすぐ50で、私ともう一人のお客さんが50代でした。みんな人生もう折り返し点過ぎてます。お互い今までの人生とこれからについて語り合いました。
ネットには動画含めあらゆる情報があります。しかし、この膨大な情報の中には広告を表示させることで食っている人が書いたり作ったりしたものが少なくありません。クリックしてもらうためには読み手の関心を惹かないといけないし、そのためには刺激的な話題や憎悪を煽るエピソードやわかりやすい問題解決策などが求められます。
でもこうやって旅人宿の飲み会で話してると、人生も世の中もそんなに単純ではないということがよくわかります。「生きるためのレシピなんて無い」んです。でも毎日同じような環境でルーティンを繰り返して生きていると、自分の知らない所でキラキラした世界があったり、陰謀が進行していたり、この世の中のグダグダを解決する方法がきっとあるのではないか?と考えてしまう。
実際に知らない世界に行って、ぜんぜん日頃接点が無い人たちと話していると、結局世の中ってどこに行っても平凡だけどユニークな人生があって、それが出会いとすれ違いを重ねているんだと思います。
民泊というと一棟貸切りで、プライバシーが保たれた空間という触れ込みの所が多いです。それはそれで存在意義はあるのでしょう。でも、ごくごくフツーな家を活用したゲストハウス形式の民泊の宿というのは、その土地の暮らしぶりを体感し、宿主と見知らぬ客同士でお互いの「世間」を語り合える数少ない場所なのではないでしょうか。
ネットで発信する情報というのは世界中に拡散するが故に迂闊に言えない部分もあるでしょうし、LINEのように閉じたSNSの中だとつながりのある人間同士なので話題は限定的です。
昭和の時代と比べると個人と個人の間に横たわる壁は比べものにならないくらい高くなっていますが、旅人宿やライハのようなカルチャーは大きくは変容していないと思います。民泊なら開業も比較的容易です。空き家はたくさんあるのです。
こうやって旅に出るといろいろなことを考えますね。また旅に出たいとは思いますが・・今は自分の宿に戻ってお客さんたちと話をしたいですね。