神宮外苑
銀座線外苑前駅。
大学四年の春、フルタイムアルバイター(今で言うところのインターン?)として
この駅に降り立ったのが、今から36年前。
翌年、省エネ就活戦略の甲斐あって、バイト先へのそのまんま就職の願いが叶い、
晴れてこの地が僕の「社会人デビューの地」となった。
その後、1年間の愛知・西三河地域での暮らしを経て帰京。
偶然が重なり、再びこの地(北青山2丁目)で働かせていただくご縁を得た。
起業し、勝負の拠点として南青山2丁目にベースを構え、25年。
通勤時間を睡眠に充てるため、寝食の場として栖を拵え、21年。
気がつけば、人生の6割強もの時間を、この街との濃厚接触に費していることになる。
そしてコロナ禍の2021年・夏。
この街にオリンピックがやってくる(らしい。いまのところ。)。
青山ネイティブではないけれど、この街をホームとして愛し、公私に渡り哀歓を重ねてきた僕にとって、オリンピックに向けて変わりゆく町並みを眺め、やがてくる夏とその先に続く未来の景色に思いを馳せる時間は、坊主頭の少年の頃のように血湧き、胸が踊る。
「神宮外苑地区 東京都公園まちづくり制度実施要項に基づく説明会」
新型コロナウィルスの脅威がまだまだ希薄だった2020年1月のとある日曜日、
オリンピック以降のこの街(神宮外苑地区)の「未来図」について、近隣住民への開発説明会が開かれた。
10余年後の未来、僕たちはどんな町並みに暮らし、どんな空を見上げているのだろうか?
汚れなき五分刈り少年の思考で、無責任な期待だけを携えて、僕もこの説明会に参加してみた。
・・・・・・ およよ。。
55歳にして始めて体感した「社会のリアル」。
テレビでよく見る、事業者と住民が対峙し怒号が飛び交う例のやつ。
開始1分。
開発担当者による「夢のトークショー」をイメージしてきた自分のお気楽加減に恥ずかしさを禁じ得ず、同時に、異なる “生い立ち” を持った「正義」同士の対話には、建設的なゴールは存在しないことを瞬間的に、悟る。
儀式気分でこの場に臨んだ(としか思えない)プレゼンター(開発5社)側の説明・説得下手もさることながら、「提案」は要求に、「気づき」は攻撃に、「願い」は宣言に变化する生活者側のトーン&マナーもいかがなものか?
生活者側がテーマに上げるトピックス(懸念)にはどれも Reason & Why があり、個人的に賛同したい意見が多かったけれど、人生のベテラン世代になればなるほど、「伝え方が9割」という必勝法を好しとせず、上意下達・玉砕必死の正面突破を試みるそれは、決して同じ船に乗ろうと思わせない、微妙な違和感を僕に抱かせるに余りあった。。
民間事業なのだから、開発者側の主要なニーズの一つが「利害」であることはある程度仕方ないと思うけど、「街の歴史」やそこに住まう人々の「心情」や「誇り」に対するリスペクトは、見事に欠落していたような、そんな風にも感じたな。
これは伝え方の問題以前に、企画の設計工程において根本から欠落しちゃってたように思う。
十数年先の未来について、その未来を「今」として生きる子どもたちへの “贈り物の在り方” について議論をしているはずなのに、各自各々「己の今」を中心点とした同心円上の未来しか見ていないのではないか?
そんな風に思ったり思わなかったり。。。
かくして、「夢のトークショー」を観覧しに来た僕の背筋にも「粛然」という名の御柱が一本立った。
「神宮外苑地区 東京都公園まちづくり制度実施要項に基づく説明会」
午後2時から始まった説明会は実に夕方5時近くまで続き、成果採点ができない状態で終幕を迎えた。
この時僕は、ちょっと卑怯な「傍観者」としての参加だった。
皆の前で覚悟と責任をもって熱意溢れる発言をされた、僕より数百倍優れた生活者の皆様と、長い時間を費やして様々な条例や法令を理解し、行政や利害関係者との調整を図ってきた開発側の皆様に、改めて心から敬意を評したい。
離れた場所で、後出しで、好き勝手言ってごめんなさい。
さて。
僕はこの街で社会人となり、この街で起業をした。
日本の経済活動の小さな小さな小さな歯車の一つではあるけれど、それなりに社会とシンクロする歓びを味あわせてくれている、この街。
そういえば、Mr.H という刎頸の友と出会ったのもこの街だ。
立場を超えて付き合えるナイスな客先の面々や、身を粉にして仕事をこなしてくれる愛すべきビジネスバディーMiss.Rに出会えたのもこの街だ。
そして、何よりも。
公私を問わず24時間体制で苦楽を共有してくれる大好きな相方に巡り合わせてくれたのもこの街だった。
モダニズム建築の旗手であり、近代建築の巨匠として僕でも知ってる建築家ル・コルビジェが、「建築(恐らく都市計画も含む)に対する哲学」として、こんな言葉を残している。
“食べることや寝ることと等しく、我々の暮らす環境作りで最も重要なのは「空間」と「光」と「秩序」なのだ。” と。
バブル全盛の頃に一世を風靡した空間プロデューサーの松井雅美氏も、当時同じような話をしていたと記憶している。
十数年後のこの街は、どんな心地よい「空間」と「光」と「秩序」に包まれているのかな。
ひとまずは、Stay tuned!
【追記】
現状の計画では、現在の神宮球場が現在の秩父宮ラグビー場付近に、秩父宮ラグビー場は現在の第2球場付近に移設となるらしい。
(第2球場や軟式野球場は無くなっっちゃうみたい。。)
その結果、銀杏並木のすぐ脇が神宮球場ライトスタンドの外壁になるようだ。
白亜の絵画館を臨む、世界でも有数の景観を誇る銀杏並木のすぐ横(キハチのあたり?)で、
「ヤ・マ〜ダ・テ・ツ・トォ、ドドンドドンドン!」
や
「東京音頭」
の合唱が鳴り響く絵を想像すると、
少なくともそこに「秩序」なんか存在しないんじゃないかい?
と思っちゃうのは、僕だけかな?
神宮球場もヤクルトスワローズも大好きだけど、なんだかなぁ。。
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