見出し画像

台湾を見る2つの視点ー黄明志『鬼島』を読み解くー

黄明志(黃明志、Namewee)が2019年に発表した『鬼島』。
そのキャッチーなメロディと強烈な歌詞は台湾を中心に大きな反響を呼んだ。

この曲には2つの台湾の姿、すなわち「外国から見えている台湾」「台湾の人たちが見ている台湾」のイメージがよく表れている。

黄明志作品の多くは、その曲風やアイデア、歌詞に彼の世間や世界に対する見方がしばしば色濃く反映されているが、この曲も例に漏れず社会への強いメッセージ性を含んでいる。

まずは聞いてみよう

『鬼島』を知っている方も知らない方も、まずは曲を聴いてみよう。

イントロかっこええ……(ファンの惚気)

『鬼島』は2019年6月にYouTubeで公開された曲で、現在は990万回再生を超える(2024年10月時点)、黄明志の中でも特に人気の高い作品。

この中で黄明志と並んで台湾語でラップを披露しているのは台湾人ラッパーの大支(Dwagie)。彼は台湾ヒップホップを代表する人物で、これまでに数々の賞を受賞している。

そしてこの曲は2020年の第31回金曲奨で「年度歌曲奨(年間最優秀楽曲賞)」にもノミネートされた。(惜しくも受賞はならず)

さて、この曲で歌われているのは、最初から最後まですべて台湾への「風刺、揶揄」だ。つまり、2人のラッパーが「台湾ってこんな変なところなんだぜ」「こんなことするなんてどうかしてる」と台湾をディスりまくっている。

そもそもタイトルの「鬼島」という言葉自体、台湾の人たちがネット上で政府やメディア、社会生活に対する不満を表すときに自虐的に使うようになったスラングだ。

薪水低、房價高、趕快逃離鬼島吧!
給料は安いし、家賃は高い、早く「鬼島」から脱出しよう!

台湾のネットで見られる「鬼島」の使われ方の一例

ではなぜ、ここまで徹底的に台湾を「批判」した曲が台湾の音楽賞で栄誉を与えられ、中華圏の人々に絶賛されるに至ったのか。

彼らが「批判」するもの

ここで歌詞の一部を取り上げて見てみたい。

每個週末都有抗議遊行 那叫沒紀律
網路上言論都沒監控 根本精神有問題
同性戀都能結婚 變性人都能出專輯
滿口髒話的非法持槍的都可以變明星

毎週末に抗議デモなんて 秩序がない
ネットの言論は監視されないなんて 狂ってる
同性愛者は結婚できて トランスジェンダーはアルバムも出せる
過激な発言者も銃の不法所持者も有名人になれる

これは1番の歌詞で、MVでは台湾における政府への抗議デモや選挙の盛んな様子などがカオスな感じで次々と目に飛び込んでくる。

ここで歌われているのはいわば台湾の「日常」なのだが、それを黄明志は「秩序がない」「狂ってる」と批判する。

デモや自由な言論はむしろ、秩序を守るために行われているのだから、もちろん本当に秩序がないわけではない。ただ、外国(特に東南アジアなどの国々)の人々から見れば、それらは決して当たり前ではないということ。

政府に抗議すれば逮捕され、ネットでは厳しく発言が監視される社会からすれば、台湾はまさに奇異(中国語で「鬼」)な島ということなのだろう。

遮新住民用母語教囝仔攏袂在地
甚麼年代閣有原住民社會佇島內底
你看無倫理 遐官員排一排共民眾會歹勢
真正無規矩 叫總統 扁維拉
My Angel 辣台妹
新住民は母語で子どもを教育して全く染まってねえ
先住民社会が島に残ってるなんていつの時代だ
倫理なんてねえ 官僚は列になって市民に頭下げる
総統を「扁維拉」「My Angel」「辣台妹」と呼んで 全く際限がない

続いて2番の歌詞を見てみよう。2番では大支にパートが変わるが、軽妙な台湾語のラップでスラングも織りまぜつつ、ここでもやはり台湾の日常生活を「ディスっている」。

しかし、1番と異なるのは、こちらは「台湾人から見た」台湾の姿、つまり台湾の人々が自分たちの島を「鬼島」と呼ぶ要因を歌っているということ。

新住民(台湾に移住して中華民国国籍を取得した人)が中国語ではなく母国の言葉で子どもを教育していたり、総統を「扁維拉(陳水扁)」「My Angel(馬英九)」「辣台妹(蔡英文)」と呼んでからかったりするような統制のない社会を全く滅茶苦茶だと批判しているわけだが、これらは裏を返せば社会がそれだけ寛容で自由な雰囲気であることを明らかにしている。

2つの視点とは

1番と2番の歌詞を分析すると、彼らが皮肉っている台湾とはすなわち、自由で民主的な台湾のことであると分かる。

そしてここに、台湾を見つめる2つの視点があることにも気づく。

マレーシア人の黄明志が歌う1番と台湾人の大支が歌う2番が言語や視点において対照的になっているのはまさに象徴的。

黄明志はこの曲を発表した際、次のようにコメントしている。

這種喪盡天良的制度,竟被鬼島上的人以 “人權和自由”拿來包裝,真的是無藥可救。
こうした極悪非道な制度が鬼島では「人権と自由」というもので包み込まれていて、もう救いようがない。

Facebook Namewee 黃明志 投稿者コメントより(2019年5月30日)

鬼民開始要造反了。他們開始媚外,開始崇拜那些充滿歧視及霸權的國家,對島上生活越來越(不)滿意,抱怨自己生活在這個鬼島上的一切。
島民が謀反を起こそうとしている。彼らは外国におもねり、差別と強権に満ちた国を崇拝し始めている。島の生活に満足できなくなり、この鬼島での暮らしすべてに不満を漏らしている。

Facebook Namewee 黃明志 投稿者コメントより(2019年5月30日)

前者は1番の歌詞で歌われているように、自由で民主的な「極悪非道」の社会制度が堂々と通用している台湾を特別視する外からの視点。
後者はそんな社会にうんざりして外国に逃げ出そうとする内からの視点だ。

そしてコメントの最後はこう締めくくられる。

希望能夠一起將鬼民的心聲傳達給世界知道。
共に鬼島の人々の心の声を世界に伝えることができればと思う。

Facebook Namewee 黃明志 投稿者コメントより(2019年5月30日)

「鬼島の人々の心の声(鬼民的心聲)」が世界にどう受け取られるのかは、2番の歌詞から読み取れる通りだろう。彼らの心の声は外から向けられる眼差しに反射して彼ら自身に返ってくる。

つまりここで、黄明志は故郷に不満を漏らす台湾の人々に向けて、彼らの言う「鬼島」が実は誇るべき環境であることを「島の外」の視点から逆説的に歌にしている。

まとめ

個人的には、この『鬼島』はマレーシアと台湾という、ある側面では対照的な2つの国を股にかけて活動してきた黄明志だからこそ書けた曲なのだろうと思う。

アジアにおける台湾の特殊な立ち位置とそれとは正反対ともいえる国々の社会をともに深く理解しているからこそ、『鬼島』のテーマは誕生したといえるのではないだろうか。

彼の略歴や生活背景については友人のnoteで詳しく紹介されているので、こちらもぜひ読んでほしい。(日本語でここまで詳しいものは他にない)

最後に、彼が後にインタビューを受けた際の発言を引用したい。

像我以前寫的『鬼島』是諷刺某些台灣現象,但這樣的歌在某某國家可能被罵死、被嚇到或是被禁,但金曲獎甚至讓這首歌入圍年度歌曲獎,台灣就是有這樣的包容力。
私が以前書いた『鬼島』は台湾のあれこれを風刺していますが、こんな歌どこかの国なら叩かれて発禁になるでしょう。でも金曲奨はこの曲を年間最優秀楽曲賞にノミネートさせた。台湾にはこういう包容力があるんです。

中央通訊社「『玻璃心』唱出敏感議題被中國人認證 黃明志讚台灣包容度高【專訪】」

思えば、自分たちの暮らす土地を「鬼島」と呼んで自虐できること自体がひとつの包容力の表れなのかもしれない。
『鬼島』が台湾の年間最優秀楽曲賞にノミネートしたことは、黄明志が歌い、私がここまで長々と書いてきたことを最もよく説明してくれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?