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【対話で紡ぐ対話のJourney #002】――対話を生きる、とは

私たち「対話の木の葉」は、どんな感情もどんな声も、相手にも自分にもあるものとして大切にする〝対話のまなざし〟を、誰もが持ち得る社会になることを願って対話の体験や学びを届けています。
私たちが日々対話について探求している内容を、『対話を探求するJourney(旅路)』としてシェアすることで、読んでいただくあなたも一緒にこの旅を楽しんでいただくことへお誘いしています。

今回の旅路を歩む3人、対話の木の葉の長井雅史(まさ)と加瀬亮二(りょう)と田口良子(りょうちゃん)


自分の声、他者の声、すべての声を聴いて、そこから自分が変わっていくことを恐れない

りょうちゃん(田口良子):対話の木の葉にとっての「対話とは」という文章(※私たちが大切にする「対話の姿勢」)の大切にしている4つの姿勢の隙間というか、それに並ぶぐらいの大切な感じがするものとして浮かんできたのが一個あって。

・今ここにあるためのスペース(余白、ゆとり、間)を大切にする(space)
・反応から起こる判断を保留し、存在している声に気づく(awarness)
・どんな声にも存在理由があり、そのどれもが全体にとって欠かせない声でもある(polyphony)
・場から生まれる未知なる可能性を受け入れる(surrender, letting go)

私たちが大切にする「対話の姿勢」
※2022.08.02時点での文章(随時アップデート中)

この4つが割とこう、声を出すことへのステップとしてあるというか、声が出されやすいまなざしだったり、環境づくりみたいなものという感じがしたんだけど。
聴く時に、聴く人のスタンスというかあり方としてすごい大事なものがあるなって思ったのが、自分自身の声を聴くとか、他の人の声も聴く、すべての声を聴いて、聴いてそこから自分が変わっていくかも知れないっていうことを恐れないっていうのがすごく大事な気がするなって思って。

聴く者として変化していくことを恐れずに柔らかくいるみたいな。ただ聴いて終わりじゃなくって、聴きましたっていうそこがゴールではなくて、聴いて変わっていくことを恐れずにその声を聴くっていうのがすごい大事だなって思った。

あと、まささんと話している中で、対話っていうのは結局意識が変化していくっていうプロセスみたいな話しもした気がするんだけど、その意識が変化していくプロセスを通して、ありきたりというか大雑把な言葉になっちゃうけど、調和を目指してるんだろうなぁっていう感じがする。自分自身との調和もそうだし、その場とか世界との調和っていうものを、目指すというより、だんだん結果としてそうなっていく。そんな感じがするなぁって思いました。

まさ(長井雅史):じゃあ僕も声出すと、対話の木の葉が提供していく対話プログラム を通じて、何を満たすか、具体的に対話プログラムの先には何が得られたりとかどんな体験が起こったりとか、どんなアウトカムのようなものがあるんだっけっていうことに関して。
対話を生きるっていうフレーズを一つの大事なキーワードとして置いているけれども、仮に対話を生きることが多少なりともできるようになるような、そんなプログラムだとしたら、その対話を生きているっていう状態は、つまりはどんな状態なんだろうっていうのは、なんかもう少しつかんでいきたい部分があるなぁっていうのを思っていたりとか。
あとは、さっきのりょうちゃんが言ってた意識の変化みたいな、その変わることへの意識が開かれているみたいな、なんかそういうのにもつながる気がするんですけど、やっぱり自分の中でまだ、なぜ対話なのか、対話に何を見ているから今そばに置いているのか、対話にまつわることをし続けているのか。なんかそれは、うーん、なんかやっぱり何だろうなぁっていうのを、なんか今、ただよってた感じがあって。

うーん。キーワード的に自分の周りにはその他にもコーチングとか、暮らしとか、自然とか、そういうキーワードも並んでる中で、必ず全部切り口が違うだけで同じことを目指している感じな気がしていて。なんか、ふわぁっと、すごくぼんやりこれっていうのは感覚的に感じてるんだけど、それを指し示す言葉が全然こう、まだ湧いて来ないっていう、なんかそんな感じ、一旦そんな感じだなぁっていうのを、思ってます。

対話を生きるとは、存在と存在が出会った時に起こる何かに開かれ、場にある声を感じながら生きること

まさ:続けて声出すと、僕の場合対話を直球で行こうとすると、なんか捉えきれなくなる感じがするから、暮らし、コーチング、自然、対話、つまりは真ん中何だっけって言う方が、対話とは何かをとらえるにあたって考えやすいんですけど。なんかひとつ今湧いてくるのが、なんかこう、平たく言うとその対話をしている時の感性みたいなものを、とか、そのさっき意識の変化みたいな言葉もあったけど、ある意味、対話というものが一つの生き方で。
この世界の生き方って色々あると思うんだけれども、何て特徴とらえればいいか分かんないけど、目標があり計画がありとか、逆算がありとか、あるいは何かの理想に対して欠けている部分を埋めていったり成長していくとか。まぁいかに効率良くとか、そういう感じでこの世界を生きることもできるし。で、一方でその対話のように生きるみたいなのは、なんかこうまた違う世界の生き方で。

なんかそれは、なんて言うんだろう。存在と存在が出会った時にその間で必ず干渉しあって何か起こる、その何かみたいなものを大事にしてたり、そこに開かれてたりとか。未来志向的な感じや、自分がこうしたいみたいな話よりも、今身を置いている場にある声を感じながら湧いてくるものが選ばれるみたいな感じとか、そういうのが、ある種の生き方であるとも言えるなぁと思っていて。なんかそういう生き方が自分にとっては豊かさにつながってて、コーチングプラス自然みたいなのもその部分が共通して浮き出してて。多分今のメインパラダイムで選ばれているこの世界の生き方っていうものとはまた全然違う摂理秩序がある一つの生き方なんだろうなぁっていうのを今感じていました。


大きな流れの中にいるという委ねる姿勢と、そこから自分なりの意味を見つけ、覚悟をもつ

りょうちゃん:まささんが今話してくれた生き方っていうのから湧いてくるイメージは、自分の過去だったり体験だったり周りの人とか、あと自分っていうだけじゃなくてもっとこう広く外側にあることとか起きていることとか、時間軸とスペースの意味で広く俯瞰して感じたり見たりすることを通して、そこにある流れとか意味とかを感じること。それを通して、委ねてく姿勢が生まれてく。大きな流れの中にいるんだなぁとか、人との関係性、人だけじゃなくてもっと自然とか地球とか宇宙なのかも知れないけど、自分が自分一人でここにいる訳じゃなくって、色んな影響とか流れの中に自分がいるっていうことを感じられると、自分だけで何とかしなくちゃとか、自分だけで生きてるんだっていうことじゃなくて、委ねられるようになったり流れの中にいるんだなぁって感じられるようになっていって。それを通して、そんな生き方に変わっていく。対話に生きる、対話を生きてるってそんな 感じなのかな。
なんかその、大きなものの中に自分がいるとか流れの中にいるっていう委ねている姿勢と、そこから自分なりの意味とかを見つけて覚悟をもっていく。覚悟、意思、意図…。なんか全体と自分っていうバランスを取っていくみたいな感じが、自分の中のイメージとして湧いてくるなぁって思いました。


よく生き豊かに暮らすために培われた知恵であり、学びや暮らしを繋いでくれる触媒みたいなもの

りょう(加瀬亮二):なんか文脈が違うかも知れないけど思い出していたのが、初めてまさとカズがやったイベントで対話というものに触れた時に、心地の良さだったりとか、頭というよりは体というか細胞が反応したみたいなっていうのをすごい覚えていて。
それは何かその、新しい感じでもあり懐かしい感じでもあるっていうか、新たな知識、知恵かも知れないし、人が古来持っていた、脈々と体に刷り込まれている知恵、血筋みたいな感じかも知れないなっていうところがある時に、自分の中では生きるをテーマにした時には、よく生きる、豊かに暮らすための、何千年と培われた知恵なのかなっていうのを思ったりすることがよくあって。
それはあの、自分の中ではヨガだったりとか、あと何だろうなぁ。ヨガは5000年くらいずっと培われてきたものだったりとか。あとは植物学みたいな、国によって違えど色んな植物を生活に取り入れるみたいなのが日本でもイギリスでもアメリカでもあったり。なんかそういう儀式的なものもありつつの中のものの一つなのかも知れないなぁって。それは今は、学びとしても体系化されて先人達のお陰で学びとしても体系化されていたりとか、感じるでも考えるでも両方で味わえるみたいなっていう、なんか便利なものになっているっていうか。

あの時感じた、体とか細胞が反応する心地の良さみたいなところが、結構自分の中では拠り所になってるなぁみたいなっていうのもある。盲目的にすごいとかっていうよりも、何となく、体、体だけじゃないんだろうな。体と心、両方で心地がいいみたいなっていう感じがあるのと、余白だったりとか、一人一人だったりとか、美しさだったりとか、自分の中の大事にしてるものを大事にできるための礎みたいなものになっていくのかなぁという、その一つなのかも知れないなぁという感じがちょっとするかなぁ。

あとは何かの触媒みたいな、今ちょっと話しながら思ったりするんだけど、なんか自分が今まで生きてきた、学びとして学んできたキャリア的なことだったりとか、暮らしとして知ってきた、母からの教えみたいなことだったりとか、そういったものを繋いでくれる何か触媒みたいなものでもあるなぁという感じがちょっとする。これとこれがこう繋がっていくんだとか、これとこれがこう交わっていくんだみたいなっていうところを感じさせてくれる、それがそれぞれでいいっていうか、そういうのがすごいいいのかなぁって思いました。

自分と世界との豊かな相互作用の仕方として対話がある

まさ:ぼちぼちにチェックアウトにうつっていきますかね。
じゃあ僕チェックアウトすると、うんいやぁなんか今日も大事な点と点が線として繋がるようなそんな時間だったなぁと思ってて。特に自分の中では、りょうさんがヨガとかそういうのと同じような、人類が脈々と繋いできている豊かに生きる暮らしの知恵みたいな、なんかそんなような話をしていたと思うんですけど、なんかこう対話って、暮らしの知恵とか生きる知恵とか、ひとつの生き方って言えるんだなぁって思って。それがしかもその、コミュニケーションの知恵っていう話というかは、自分と世界っていう、世界の中には人もいれば、出来事的なのもあれば、生き物とかもあれば、自分と世界っていう風な視点の世界を生きてる自分っていう視点に立った時に、 その時の意識のあり方と言えばいいのか、世界との相互作用の仕方と言えばいいのか、豊かな相互作用の仕方と言えばいいのか、なんかそういう感じのもの、そういう感じの意味合いで豊かに暮らす生きる知恵としての対話というものがある気がするなぁと思って。
なんか前々回りょうちゃんと話した時に出て来た気がするんですけど、なんか最初に対話に出会った時は明確にコミュニケーションとしての可能性を感じていた自分がいて。ここ数年はなんか対話がコミュニケーションというのはあんまりこうしっくりきてなくて。まぁ在り方みたいな方がしっくりきてたんだけれども。暮らしの知恵なのかも、豊かに暮らす知恵なのかも、英知なのかもと思うと、自分の他のやっていることともだいぶ、だいぶこう繋がりを見いだしやすくなるなぁと思って。なんかそういう、暮らし方、生き方の提案としての対話みたいな、そんな視点が今日は生まれたなぁって感じでした。ありがとうございます。

りょう:チェックアウトしまーす。
なんか思い出してたのが、原点っていうか、2人と出会った頃のことをちょっと思い出してたなぁっていうのがあって。まさとは10月のイベントで、もう3年、4年前くらいになるのかな、多分、ということとか。りょうちゃんとは、三茶おしごとカフェのことと併せて、りょうちゃんが当時「対話は救いだ」って言ってた時のこと、それをあの戸塚のあの場所で言ってたのをちょっと思い出したりとか、なんかそういう原点…2人との原点みたいなことをちょっとを思い出す時間だったなぁという感じかなぁ。
まぁだから何だって言う訳じゃあないんですけど、なんかそんなことをちょっと自分の中では湧いてくるものがありました。はい。ありがとうございます。

りょうちゃん:じゃあチェックアウトをしまーす。
まささんとりょうさんの話を聴いて、なんかほんと対話っていうものには、言葉にしがたいとってもこう柔らかいものがあるんだなぁっていうのを感じてて。なんか柔らかくて形にならないような、明確に輪郭がはっきりしないようなものが、でも確かに存在してて。それを言葉にしがたいっていうのがあったり、言葉にしてしまうとこう、切り取られてしまう救えない部分があったり、そういうものなんだなぁ対話ってっていうのをなんか今感じることができて。いやぁ難しいんだなぁやっぱりって思いながら、なんかその形にならない言葉にならない柔らかいものを柔らかいものとして、今私達が表現してみるみたいなのも、それもやっぱり大事そうだなぁとかやってみたいなぁっていう気持ちがあります。 今日もありがとうございました。

対話の足跡👣 2022.08.02


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長井雅史(まさ)
慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。SFC研究所上席所員。米国CTI認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC)。日本の同コーチ養成機関において資格を取得し、対話の研究を経て独立。人が身の回りに「質のある関係性」を取り戻すことをテーマとする。現在はコーチングや対話を通じて個人・組織の変化に関わることや、対話を学ぶ研修・ワークショップ、コミュニティづくりに取り組む。また、その傍で古民家をベースに自然とのつながりの中で暮らす場づくりを実験中。共著書に『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(2018年)

田口良子(りょうちゃん)
パーソナルコーチ/対話ファシリテーター
美容師、映像制作、マーケティング、広報など様々な業種・職種を経験した後、「自分のなかに答えがある」ということを基本理念とするコーチングや、「自分の声が聴かれる」経験が蓄積される対話に出会い、それを実践することによって、「人はありのままそこにいるだけで価値があり、すべての生命は美しい」ということに気づく。現在は、人が安心して生き、「ほんとうの自分」 に出会ってもらうための場として、コーチングセッションと対話の場を提供中。
WEBサイト:ありのままに安心して生きる『紡ーTSUMUGIー』

加瀬亮二(りょう)
青山学院大学国際経済学部卒業。人材サービス会社にて営業、キャリアカウンセラー、事業企画、直近は数々の「はたらく」関するプロジェクトの現場責任者として運営に従事。18年間で約2万2千人のキャリアカウンセリングを行う。対話からうまれるそれぞれが持つ物語を通じて「よりよくはたらく、いきる」の探求中。森、海、ゾウ、焚き火、屋久島、小布施、裏磐梯、絵本、りんご、クラフトビール、ヨガ、サーフィン、Perfumeが好き。

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