【対話で紡ぐ対話のJourney #003】――対話が辿りつこうとしている場所
あり方や対話的意思。そういうものが、僕らの捉えている「対話」の中心にある
まさ(長井雅史):対話の木の葉が、対話において大切にしている「4つの姿勢」の、Space、Awareness、Polyphony、SurrenderあるいはLet goという手放す的な、身を委ねる的なやつって、個人的にはすごい、しっくりにだいぶ寄ったなぁっていうのがあって。
で、一個その要素としてあるのは、VoicingとListeningがそこにないっていうことがよいというか。
コミュニケーションとしての対話、コミュニ ケーションという具体の文脈ももちろん僕らは包含しているんだけれども、あり方というか、対話的意思みたいな。なんかそういうものの方がより、僕らの捉えている対話においては中心にあるような気がした時に、その根幹、根底をなす大事な要素にコミュニケーション的具体性のものが置かれてないことは、ちょっと何かを抜けれた感じがするなぁっていうのを感じていて。
で、かつ、全体モデルとかU理論とか、NVCとかダイアローグとかコーチングとか、フォーカシングとか、僕らが触れてきている大事な理論たちがあると思うんですけど。そのどれもに親和性がありながらもそのどれでもない切り口に近づいているような感じみたいなのも感じていて。
なんか、ほんと木の葉らしさに近づいた感じ。
対話の木の葉が大切にしている4つの姿勢を体験できるプログラムを届けたい
あとはどういうプログラム…プログラムってひとことで言ってもいろんなイメージはあるなかで、どんなイメージのものになるんだろうなぁみたいなことを思って。例えば、CTI(※コーチングスクール CTIジャパン)の場合は体験学習みたいなものをめっちゃ大事にしてて。理論よりも体験する。そういうことに重心があるような感じで。そういう形のプログラムもあるし。一方でちょっとこう理論っぽいっていうか、講義っぽいっていうか、なんかそういうのもできるだろうし。そのあいのこっていうか、例えばなんか各項目ごとに理論と体験学習の日があって、×4つ分みたいな、そういう形もあるだろうし。
どんな型、プログラムの型を取るのが、僕らの届けたいものを届けることにつながるかなぁっていうのも、観点として生まれ始めてたりとか。
で、なんかやっぱ自分のなかではその体験学習的な要素は絶対に入れたいなぁっていうのがあって。例えば「Space」は、今ここに存在できるSpaceを大事にする、存在するためのSpaceを体感したり、Spaceを持つっていうことを体感するために効果的なコンテンツとか体験ってどんなのができるかなぁとか。
例えば「Awareness」だとしたら、そこはボディスキャンの瞑想とかそういう類とか、フォーカシングとか、そういうとこらへんはもしかしたら、体感覚を得るためのワークとして効果的かもなとか。
「Polyphony」とか「Surrender」は、この感覚を、 Surrenderの感覚を体験する何かワークってどんなのがあるかなぁとか。それぞれ体感覚ある人もいれば、ない人もいるなかで、その感覚を「あ、こういう感覚なんだ」って、Surrenderってこういう感覚なんだとか、その感覚につながれるプログラムにはしたいなぁっていうのがあって。なんかそういう、あっこれってこういう感覚のことねみたいな、そういう体験を届けれるプログラムになるといいなぁっていうのを思います。
りょうちゃん(田口良子):今の話を聴いて、なんか最初に伝えられるといいのかなぁって思ったのが、まささんがこの対話についての文章で書いてくれている一番最初の部分。私たちは、対話とは「場所」だって捉えてるっていうところ。
すごく抽象的でもあるんだけど、手法ではなくて、対話という場所に自分たちがいるっていうことと、そういう場所を創り出そうとしているっていうのが伝えられるといいなぁって思った。
それと、体験学習と理論て私もどっちもほんとに大事で、いつもこう、どっちが先がいいのかなぁとか思ったりするんだけど。「知る」っていうところと、「体験する、やってみる」みたいなところと、どっちも大事だし、なんかこう、知って、やって、答え合わせ、みたいな順序もいいなぁっていうか。最初に言っただけでは分からないし、やってみて、で、最後に改めて自分なりの真実とか、自分なりの答えとして腑に落とすみたいなのもすごい大事というか、そんな流れもいいのかなぁって思ったり。
まささんが言ってくれたSurrenderのところって、私が感じたのは、自分の分かっている部分で考えようとすると、それは全然 Surrenderではなくて、逆にアイデンティティをもっと固めていくような感じがある。そうじゃなくて、自分はまだ気づいていないとか、まだはっきりとしていないところを、そこに触れようとするのが、私には Surrenderに見えるというか、 Surrenderがあるとそうなるのか、ちょっと順序はわからないんだけど。やり方として、まだ分かってないことを、まだ言語化されてないことに触れようとするっていうのは すごい大事なんじゃないかなぁって。
まさ:やー、確かに。なんか「Surrender」の部分は、自分の顕在意識とか、自我とか、分かっている範囲みたいなものを手放していく、そうじゃないところにある感覚とか、予感とか直感とか、そういうのにこう、ここで起こっている何かの流れとかに身を明け渡していく。そういう局面、ありそうだなぁって思う。
なんか、ちょっと自分のなかでPolyphonyだけまだしっくりきてないんですけど。路線は合ってる気がするけどネーミングが、当てる単語それかなぁみたいなぐらいなんですけど。けど、SpaceもAwarenessもPolyphonyもSurrenderも、僕らの言う対話っていうものとして重要な根底をなしている4つの要素でもあるし、あとは、そうじゃない観点からでも、一個一個が結構パワフルなエッセンスな感じがあるなぁと思っていて。Spaceっていうのも、兄弟っていうか。人のその創造性というか、Spaceがあれば、自然と物事が、例えば思考が整理されていくとかもあるし、そのSpaceのなかから立ち現れてくるものが何か次を示していることがあるし。Spaceっていうものが人間にもたらしている何か普遍的な大事なことがあるはずで。そういうレベル感でSpaceも、Awarenessも、仏教とか禅の世界でめちゃくちゃ言われていることだから、重要なことだと思うし。Surrenderも。一個一個が、それぐらい深い、エッセンスとしても、すごく人間にとって重要なものだなぁっていうのを感じていて。
だから、対話っていう文脈で届けることもできるし、僕らがこれから体系化していったり、学びのコンテンツを創っていこうとしているものを、また別の切り口で料理して届けるっていうことも出来るんだろうなっていう、そんなことが浮かんでました。
「Space」「Awareness」「Let go / Surrender」「Polyphony」が向かっている場所は『全体性』
りょうちゃん:対話の木の葉のホームページの、このPolyphonyに書かれてる日本語の、『すべての声はしかるべき文脈のもとで存在しており、どの声も対等に大切である』の、『しかるべく文脈』がすごい大事なんじゃないかって。大事だし、それってなんだ?っていう、これがキーなんだろうなぁって。
このPolyphonyだけじゃなくて全体として、この4つ全部で全体性に向かってってるっていう感じがしてるんだけど、この『しかるべく文脈』も、私にはその全体であることに向かっている大事さなのかなぁって思うんだけど 。まささんはどんな感じがしてますか?
まさ:うーん。確かにね。Space、AwarenessとLet go、Surrenderは全体性に向かっている感じあるなぁって思ったのと、『しかるべく文脈』が大事ですね(笑)。Polyphonyも、しかるべく文脈のもとで存在しているっていう前提に立ててるから、どんな声も対等に大事にできるっていうことだと思うので、起点としては確かにここの部分が大事そうだなぁって思ったのと、ちょっと論理的なつながりはないかもだけど、この『しかるべく文脈』の部分の話って、例えば、ある声が自分の内側で生じてきた時に、それこそ前に話した、「声はどこから生まれるか」の話じゃないけど、それがいろんな網の目のなかから起きてるよねみたいな。それは今この瞬間における何か、自分とそれを取り巻くいろんな存在の、その相互作用のなかで発露しているという観点もあるし、その人のこれまでの文脈というつながりのなかでの何か、とかもあるだろうし。いろんな網の目やつながりのなかでその声というものがしかるべくして生じていて。
だから、この話って中動態的な話も入ってくる部分だと思うんですけど。そこに良し悪しを外から一方向的に何か得ることはできなくて。そのしかるべくなかでその声があるっていうまなざしを大事にする的な話だなぁと思ってるんですけど。
自分のなかではやっぱPolyphonyは違和感があるなっていうのをずっと思ってて。多様な声っていう後半の文章の部分ではPolyphonyが当てはまるんだけど、やっぱその『しかるべく文脈のもとで』っていう方を切り取ろうとするとPolyphonyではなくて、何なんだろうなぁみたいな。
りょうちゃん:なんかやっぱり全体性っぽい。その『しかるべく』は、「全体である」が前提としてあるから『しかるべく』っていう感じがすごくするなぁって。
まさ:うん。そうね。それを断片として見てないっていう。そうですね。
りょうちゃん:全体があるから。網の目の一部であるっていう、それが大事にしている世界観っていうか、そういう風に私たちは世界を見てるっていうことですよね。
それをそのまま英語にするとWholenessなのかなぁと思って。
まさ:うーん。そうなんですよね。Wholeness。うーん、アイザックスの4つの対話のやつで、Respect、Voicing、Listening、Suspendingがあって、Respectは確か全体として相手の存在を見るみたいな、そういう意味合いとして書かれていて。
マルティン・ブーバーの『我と汝』っていう本、それも対話のことについて書かれているやつで。「<われ>ー<それ>」の構図と「<われ>ー<なんじ>」の構図があるって言っていて、対話は「<われ>ー<なんじ>」の構図を大事にするみたいな話で。「<われ>ー<それ>」は、<それ>っていうのは物みたいな感じで、バラバラにして見てるみたいな。けど、「<われ>ー<なんじ>」は全体として見る、みたいな話で。
だから、全体、 Wholeness、まぁ確かに結構重要な要素だなっていう。ここの話では、声がしかるべくして存在してますっていう意味でのWholeっていう風だけど、前提にそこにいる人と全体性みたいなものを大事にするみたいな意味も、まぁWholeだと加えることができるし、うーん、なんか、そういう意味でも重要なエッセンスだなぁっていうのと、Wholeってなんか、なんだかなぁみたいな(笑)。
なんだろうなぁ、木の葉っぽいかなぁ。木の葉っぽいんだけど、なんか、あのー、なんて言えばいいかなぁ、僕の感性の切り口ですけど、Space、Awareness、Whole、Surrenderが並んでしまうと、ちょっとスピリチュアリティに寄り過ぎちゃう感じもするなと思って。木の葉らしさはそこなんだけど。Whole単独ではいいんだけど、なんか並びとしてちょっと、精神性の方に寄っちゃい過ぎる感じがして。そっちに巻き込まれるのも、木の葉がそっちに吸い込まれていくのもちょっと違うなぁと思ったり。って考えるとPolyphonyっていうのがあるのは絶妙にちょっとこうバランスがいい。
りょうちゃん:対話に踏み留まってる感じがする(笑)
まさ:そうそう、なんかちょっとそのいわゆる精神性の領域に飲み込まれてないっていうか。もちろん精神性の方もすごく重要にしてるんだけど、そっちの世界観にどっぷり飲み込まれると、木の葉らしさが消えちゃう感じがして。そこの絶妙な塩梅 を引き続き模索したいという感じですね。
りょうちゃん:それを考えると、ティール組織ってめちゃめちゃスピリチュアルな言葉ばっかり言ってるんだなぁって。それなのにビジネス界でこんなに流行ってんのってすごいなぁと。
まさ:そうね、ラルーさんもエコビレッジに行ったりとかして。エコビレッジに住んでるんですよ、ラルーさん。確か元々戦略系のコンサルだったかな。面白いですよね。右脳左脳のバランスが。
りょうちゃん:まささんは、そっち側に寄ってしまうことの懸念があるんだなぁって。
まさ:うーん、なんか懸念っていうか、ちょっと思考停止感が出ちゃんですね、自分のなかで。なんか、見たことあるなって感じになっちゃう。既視感が若干違和感で。既視感があるってことはまだ探求しきれてないんじゃないかみたいな。Awareness、 Space、Whole、Surrender、なんか既視感あるぞこの世界観みたいな。ってことはちょっとまだ木の葉らしさの奥の奥にたどり着いてないんじゃないかみたいな、そういう感じですかね。
りょうちゃん:なるほど。
まさ:うん。と、僕の探究心は申しているっていう。要素としては申し分ないけど。
りょうちゃん:Wholenessなのか、もう一個浮かんだのは Onenessだったんだけど、もっとスピリチュアルだなぁと思って(笑)
まさ:そうなんですよね。要素としてはそうなんだけど、それが並ぶと完全に何かマインドフルの属性の団体になっちゃう、みたいなのもありますよね。
りょうちゃん:言葉だけ見てくと、そういう感じになりますね。
まさ:そうそう。なんかたぶんいい落としどころがある気がします。
対話の木の葉が辿り着きたがってる場所がきっとある
まさ:ぼちぼちチェックアウトしますか。
じゃあ僕チェックアウトすると、ちょっとこの感覚は『対話のことば』の時の感覚にも近くて。「体験している世界」「多様な声」「新たな理解」ってのが『対話のことば』においては3つがコアになってるんですけど、対話論は既存にいろいろあったり、オープンダイアローグ的切り口の対話の大事なエッセンスはこれですっていう言い方もいろいろあるんだけど、『対話のことば』としての中心はどれだろうっていうのを探っていった時に、あの3つがすごくしっくりきているっていうのがあって。なので、対話の木の葉としても多分それがあるんだろうなってのが僕の予感で。それを頼りに、もう少し粘りたいなというか。僕らが大事だなと思っているいろんな理論とかいろんな考え方とかいろんなエッセンスも含まれつつも、その切り口や並びの全体性が「対話の木の葉」だねっていう、なんかそういうポイントに引き続きの探求を続けて、手を伸ばしていきたいなっていうことを思いました。いろいろ大事な対話ができたなぁって思ってます。ありがとうございました。
りょうちゃん:じゃあ私もチェックアウトをすると。
例えば、由佐美加子さんみたいなメンタルモデルの開発者や、NVCだったり、フォーカシングを開発した人がいて。そしてその人たちとは別に、それを伝えていくとか広めていく人たちがいて。先日友達に、僕たちは伝えるとか広める側だよねって言われて。
もちろんそういう部分もあるし、NVCを伝えたり、それを活用して目の前の人に役に立てるみたいなことはあるなぁって思うんだけど、まささんとやっているこの時間は、どちらかというとその開発するっていうところで。それもめちゃめちゃ楽しいんだよねって思っていて。
なんかね、それこそNVCのように世界に広まることを目的にしてやっている訳ではないんだけど、ただ目の前にあるものを、自分たちなりの切り口とかすくいあげかたで、今この世界にないものを創るっていうのは、すごく やっぱり自分は面白いって思っていて。面白い、面白いです(二人で笑う)
まさ:やー。ですよねー。
りょうちゃん:この時間は本当に面白いし、自分の時間の割き方とか、投資してる時間がどうだとかじゃなくて、自分の真ん中の大事なところにあるなっていうのをすごく感じるな、って。今日も楽しかったです。ありがとうございました。
まさ:なんかほんとにこの対話のこのプロセスに関しては、僕らが本当に、あっこれだねって、僕らの対話ってこれだねってとこにほんとにバチっとたどり着いた時に、めちゃくちゃ大きな渦として社会に現れる気がするなぁと思って。
なので、楽しみです。単純に探究者としても楽しいし、結構大事なことをやってるなっていう感覚も、社会にとっても大事な探求をしてるなっていう感覚も最近感じる気がしてて。なので、気づけばこんなことが起こり始めてますけど。やー、ほんと大事なことが今目の前で起こっているなっていうのを感じます。
対話の足跡👣 2022.08.15
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