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木下静涯の足跡と淡水の美を巡るアートの旅

この前、私は淡水を訪れました。目的は、木下静涯さんが台湾で過ごす場所を訪ねることでした。淡水は本当に素晴らしい場所で、芸術的な風景がたくさんあります。まるでフランスのモネの庭(以下のビデオを参考)のようです。三層建ての建物の高低差や、オランダとスペインの建築が交錯する異国情緒溢れる景観、そして河岸から観音山を見上げる眺め。そのため、多くの芸術家が淡水に来てスケッチをするのも納得です。ここでは光と影の変化を観察でき、時折霧に包まれた雨も淡水ならではの幻想的な雰囲気を醸し出しています。

「好日好日又好日」は画家木下静涯の名言です。木下静涯の文献資料を読むと、彼がとても幻想的な人物だねと感じることがよくあります。ある日に、郭雪湖さん(台湾画家の名)と林玉山さん(台湾画家の名)が彼を訪ねたとき、一日中おしゃべりをしていたら、あっという間で夕暮れになってしまいました。木下静涯は彼らを夕食に誘い、息子に鍋料理を頼むように言いました。しかし、息子は動かずに言いました。「パパ、我々は料理店に借金がたくさんあるから、まだ届けてくれるかどうかわからないよ!」木下静涯は家に食べ物を払うお金がないことさえ気にしないほど、幻想的な存在のようでした。経済的に苦しい状況であっても、彼は心地よさを感じており、「日々は良い日」という哲学的な観念が彼の生活にも表れています。

木下静涯が残された名言、この写真はWikipediaから

「日日是好日、好日好日又好日」という言葉は、唐代の禅僧である雲門文偃の一言から生まれました。ある日、この禅僧は弟子たちと精神的な探求をしているときに彼らに問いました。「夏の7月15日以前の修行については何の問題も問いませんが、その後の日々を一言で表現してください」と。弟子たちは相槌を打ち合い、何も答えてくれないはずに、禅僧は自ら言葉を紡ぎました。「日日は良い日」と。禅僧は弟子たちに伝えたかったのは、未来の日々がどんなに困難で修行がいかに疲れるものであっても、毎日が良い日であり、感謝の心を持って生活に美しさを見出すことができるということです。

木下静涯若い時の写真、この写真はWikipediaから

木下静涯という画家は、日本統治時代に台湾に来た方で、他の人々とは異なり、彼はどの学校でも教鞭を執ることはありませんでした。例えば石川欽一郎は台北師範学校で美術の教師を務めたり、鄉原古統は台北第三高女校で絵画の教師を務めたりしました。しかし、大勢の生徒はいなくても、木下静涯は台湾での美術への貢献が台湾の若いアーティストに大きな影響を与えました。

彼は日本の長野(信州)で生まれましたが、ある時にインドと中国への視察から帰る途中で偶然に台湾に滞在し、台湾のこの土地に深く魅了されました。関東大震災の後、彼は台湾での生活を確固たるものにする決意を固め、妻と息子を日本から呼び寄せて淡水の三層厝に定住しました。しかし、実は彼は1918年に初めて台湾に来た際に旅費を使い果たしてしまい、日本に戻れなくなって、家族と3年間も連絡を取らなかったと言われていますが、後に偶然の出会いから皇太子摂政が台湾を視察する際、台南市役所の荒巻鐵之助という友人の紹介で《番界風景繪卷》の2枚を皇室に贈りました。その後、台展(台湾美術展覧会)が設立されると、彼は公式に東洋部の審査委員に招かれ、以降、台展や府展の審査委員としての地位を確立しました。

ちなみに、私は《番界風景繪卷》の絵をどのようなものかは見つけられていません。おそらく紛失してしまったのかもしれませんね。しかし、木下静涯のウェブサイトで《台灣名勝繪卷》を見つけました。これも当時、裕仁皇太子への献上品として贈られたものですが、同じ作品なのかは確定できません。


木下静涯の旧宅、参照:淡水古蹟博物館
木下静涯の旧宅の庭、参照:淡水古蹟博物館
木下静涯の旧宅の階段に飾ってあるのは台湾画家たちが描いた淡水

淡水の木下静涯の旧宅では、分かりやすく展示パネルが配置され、木下さんが台湾での活動を紹介しています。建物は2階建てで、1階には木下静涯の歴史的な出来事が展示されています。また、2階には当時の木下さんの画室を模した和室があります。彼らは四条派の村瀬玉田先生の影響を受けており、中国の水墨画のような大自然の描写ではなく、小さな木や花を描くことに重点を置いています。また、スケッチの手法も取り入れており、例えば自宅庭園にある松の木を描くなどしています。しかし、学習熱心な木下さんは四条派の画風だけでなく、南国の要素を取り入れた小品のスタイルも取り入れています。以前、創価学会で「日本画伯在台湾―木下静涯改良水墨画展」という展覧会も開催されました。彼は旅行も好きで、台湾各地の風景画を残しています。私自身、彼の描いた台中神社(下の写真参照)がとても好きです。ただ、残念ながら、旧宅では木下さんの作品はほとんど展示されておらず、著作権の関係でしょうか、展示板には小さな絵が見られるだけです。後に日本の敗戦後、台湾の日本人は軽装で帰国を求められ、全ての物品を持ち帰ることができませんでした。そのため、ほとんどの作品は木下さんの強い影響を受けた台湾の芸術家である蔡永(私たちが知っている蔡雲巖)に寄贈されました。

参照:中央研究院
作者:木下靜涯。台中神社全景圖。典藏者:中央研究院。數位物件典藏者:中央研究院數位文化中心。公眾領域標章(Public Domain Mark)

ここでは、皆さんが淡水を訪れる1日のスケジュールに木下さんの旧宅を組み込むことをすごくおすすめします。そこで、この隠れ家での暮らしの感覚を体験してみてください!

★おすすめのプラン:淡水老街 → 木下静涯の旧宅 → 陳澄波野外美術館 → 齊柏林アートスペース → 川沿いのカフェでスケッチ


🔎参考情報:淡水古蹟博物館、開放博物館、国立台湾美術館、李欽賢教授のインタビュー映像



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