【読書感想】#2『嫌われる勇気』古賀史健、岸見一郎
みなさん、こんにちは!今日はこちらの本を紹介します!
今まで目には留まっていたものの、なぜか読むことを避けていました。
もっと前に読んでいたかったと思うほど学びになる本です。
アドラーの紹介
アルフレッド・アドラー
オーストリアの精神科医
フロイト、ユングと並ぶ世界的な研究者
いま、引きこもりで、外に出るのが不安な人がいるとする。
この人の感情は、過去に嫌な経験があったというトラウマによって、外に出ることができなくなっている。
目的論
過去の「原因」ではなく、いまの「目的」に着目する
人は「過去のトラウマ」によって「現在の行動」が阻害されていると考えがち(アドラーはそれを否定)
↓
いま自分が行動を起こせない原因は「過去のトラウマ」にあるのではなく、「行動を起こしたくない」から、「過去のトラウマ」を利用してる
(例)「不安だから、外に出たくない」アドラー心理学ではこの順番が逆。
「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」
いまの自分が不幸であると思うのは、過去に行動しないことが「善」だと自分で判断したから。
「物事は解釈しだい」と言ったニーチェの思想に似てるなと思った。過去の経験に自分で「どのような意味を与えるのか」が肝。「過去の失敗があったからこそいま這い上がれるんだ」と意味づけをするのか、「過去の失敗によっていま不幸を感じてるのだ」意味づけするのか。すべては自分次第。
大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。
人間の悩みはすべて対人関係
なぜじぶんのことが好きになれないのか→「自分を好きにならないでおこう」と決心してるから。自分を好きにならないでいる現状にとどまることで避けられるものがあるから。(例)自分の性格のここが嫌いだから面接に行かない→面接に行き不合格になると自己否定された気分になる→自分が嫌いな状態があることで面接に行かなくて済み、自己否定されなくて済む。(ほんとうはすべて思い込み)
勇気づけ
自分のことが好きになれない理由
他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているから。
「目的」が「他者との関係の中で傷つかないこと」だから。
その目的のために「自分のことが好きじゃない」を利用している。
(例)人は誰でも劣等感を抱えている。学歴、容姿、年収、職業、地位…。
他人と比べることでおのずと劣等感を生んでしまっている。
しかし、他者の存在がなければ、このことには気づけない。
つまり、事実から判断した「主観的な解釈」(あの人はこうだけど、自分はこうなんだ)によって自らを苦しめている。だが、ポジティブな解釈に変換することもできる。アドラーはこのことを、「ライフスタイルを選びなおす」と述べている。
(例)18度の井戸水があるとする。
井戸水の温度は年間通して約18度で一定している。
夏に飲むと冷たく感じ、冬に飲むと温かく感じる。
温度計は一定して18度と表示されている。
事実は変わらないにも関わらず、「主観的」にじぶんでそう判断してる。
問題は世界がどうあるかではなく、自分自身がどうあるか。
劣等コンプレックス
劣等感それ自体は悪いことではない。「向上したい」「まだまだこれから」「理想を追求する」ことにエネルギーが注がれている状態は健全。
劣等感が強すぎると、ネガティブになり、「自分なんてどうせ」という状態になる。→劣等コンプレックス
自らの劣等感を言い訳に使い始めた状態。
「わたしは学歴が低いから、成功できない」
「器量が悪いから、結婚できない」
さも因果関係があるかのように解釈してしまう。
問題は、そうした現実にどう立ち向かうか。
「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考えているのではなく、「成功したくない」と考えてしまっている。一歩前に出るのが怖い、現実的な努力をしたくない。→ライフスタイルを変える”勇気”がない。いまのほうが楽。「学歴さえ高ければ、成功できる」「AだからBできない」Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ。劣等感を穴埋めするためにこう考えてしまう。
劣等感がある状態は、いまの自分になんらかの欠如があると感じてる状態。
欠けた部分をどう埋めるのか
健全な例→努力して成長につなげる
その勇気がない→劣等コンプレックスに陥る「もし学歴さえ高ければ、本当の私は優れているんだ」→有能さの暗示。
優越コンプレックス
できない自分を受け入れられない
だから、あたかも自分が優れているかのように振る舞う。
過去の優れていた自分を自慢する。手柄を自慢する。これも優越コンプレックスである。
または、権威あるものと懇意だということで、自分の尊大さをアピールする。あたかも特別であるかのように見せる。
しかし、権威の力を借りてアピールするものは結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きていることにすぎない。
自らの不幸を利用して他者から「特別」な存在として見られようとしている特異なパターンもある。
だが人生は他者との競争ではない。だれとも競争することなく、ただ前を向いて歩くべし。比較するのは理想の自分と。理想の自分と比較することによって「健全な劣等感」が生まれる。
人生のタスク
これらの目標は「人生のタスク」と向き合うことで達成できる
「人生のタスク」とは、対人関係を軸とした、
「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」
一人の個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係が人生のタスクである。
仕事のタスク・・・他者との協力なくして成立する仕事はない。
交友のタスク・・・仕事を離れた、広い意味での友人関係。
愛のタスク・・・この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える。
課題の分離
「いま目の前にあるこの課題はだれの課題なのか」
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か」
を徹底的に考える。
自分と他者の課題を分離する。
他者の課題には踏み込まない。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」
相手が自分のことをどう思っていようと、好いていてくれようと嫌っていようと、それは相手の課題であって、自分の課題ではない。
他者からの評価や視線が気になっているのであれば、それは、まだ自分が課題の分離ができていない証拠だ。
自由とは他人から嫌われることである
すべての悩みは対人関係の悩みだ。
われわれは対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただ一人で生きることなど、絶対にできない。
では、自由とは何か?
→自由とは、他者から嫌われることである。
他者から嫌われているということは、自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従っていきていることのしるし。
わざわざ嫌われに行くような悪行を働けといっているのではない。
嫌われることを怖れるな。
ただ、課題を分離するのだ。
人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないこと。
普通であることの勇気、ダンスするように「いま」を生きる。
人生とは連続する刹那であり、「いま、ここ」を充実させる。
未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
人生における最大の嘘は、「いま、ここ」を生きないこと。
読書感想とはほど遠いものとなってしまいましたが、
最後まで読んでくださりありがとうございました!