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『Here's to Never Growing Up』

Spotifyで音楽を垂れ流し再生しながら本を読んだり、作業をしたりしていると、ふと昔聞いていた音楽に辿り着くことがある。2013-16年あたりの洋楽のゾーンに突入してきて懐かしい気持ちになった。ちょうどアメリカの大学にいた頃なので、billboardのトップチャートを連ねた数々の楽曲は聴くたびに当時の空気を思い出させてくれる。それで、アヴリル・ラヴィーンの『Here's Never Growing Up』が流れてきたので、少し手を休めえて聴いてみた。この曲は2013年の曲でアヴリルは、中学生くらいの時に学校で流行っていたりしたから、それに比べたら比較的最近の曲なような気もするがもう11年も前だ。11年前というと18歳の頃。歌詞は、「いつまでも変わらずにい続ける」ことに対する青春の讃歌といった内容で、当時はその言葉にライドしてたはずだが、今聞くと「そうも言ってられない」ような気がして、時の流れを感じる。今や40歳になったアヴリルがこの曲を書いたのは、29の時と考えると、今の自分と同じ年齢。そう思って改めて聞き直してみると、歌詞の内容とは裏腹にアコースティックなギターに合わせて、ゆったりと歌い上げるようなしっとりとした曲であることに気づく。変わっていくことを自覚しながらも敢えて繰り返し言い聞かせるようなフレーズに、このニュアンスは当時は聴けていなかったと気づく。今の自分はいろんなことにどうでもいいと唾を吐きながら酒を飲むみたいな歌詞に出てくるようなものにこそ当てはまらないが、その裏に隠れた小さな倦怠には今でも共感できる。「いつまでも変わらずにい続ける」という言葉通り、しかしそれが青春としてのではなく、同じような倦怠の中にいるというのは皮肉だ。それはいつまでも変わらずにはいられないからこそ、変わらずにいることを主張しないと自分が成り立たないような抵抗に感じる。変わることを求められたり、変わらずにいることを求められたりするが、大体そんなことをぼんやり考えるのは寝不足の時で、案の定朝6時まで作業をしながらふと文章を書き始めたりしたのがこれだし、あいも変わらず夜行性なのはずっとそうだなと思ったところで寝ることにする。


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勝俣 泰斗
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