「星空をふたりで紡ぐ」第34話

 決まったか。識月はそう思った。

 本来の実力差を見れば麗奈が圧勝すると思っていた。それがまさかここまで食い下がるとは。識月から見ればどちらも悪手だらけの拙い碁ではあったが、ところどころに褒めるべき場所はあった。

 現在は星河の手番。この盤面、細く難解な筋ではあるが正着が一つだけ存在する。だが、それを星河が見つけることはできまい。無難な手を選べばその瞬間に麗奈が勝利するだろう。

 麗奈が勝つ。そう思っているのに、どこかで星河に期待してしまう自分がいるのを感じる。あの瞳が、正着を見出すのではないかと思ってしまう。識月は「星河ちゃん☆頑張れ」と書かれた団扇を強く握りしめた。

   *

 楽しい。毎回もしかしたらこれが囲碁の楽しさの頂点なのではと不安になるのに、そんな不安があっさりと覆されてしまう。誰と打っても、どんな局面でも、毎回新しい発見、新しい喜びを見つけることができる。もしかしたら自分の短い生涯では囲碁の面白さを全て堪能することはできないのかもしれない。

 麗奈が最後に打った手を見る。良い手だ。想定していた下辺の地がこれで消されてしまった。このままでは星河のほうが数目は劣る。この一手を打たせる前にやれることはもっとあったはずなのに。

 どうにかしたいのに応手が思いつかない。それでも星河に焦りはない。盤面全体を見据える。

 未熟な棋士にとっては囲碁の盤面は後悔の塊だ。あそこでああしておけば良かった、悪手を打って断点を作ってしまった、苦しい碁になってしまった。原因の一手もそれがもたらした結果も、全てが目に入ってくる。

 だけれども、良かった手だって沢山ある。定石の選択、中央の戦い、左辺の形だって悪くない。まだまだ自分は道半ばかもしれないけれど、今日のこの囲碁は誇っても良いのではなかろうか。これが星河と麗奈が作った星空だ。完成まであと少し。その完成度は、星河の次の一手にかかっている。

 だから、もう少しだけ頑張ろう。

 深く深く星空の海に潜っていく。余分なものを切り捨てて、ただ囲碁のことを考えるだけの置物になる。星河の中に無数の星空が溢れかえった。この盤面から想定される未来の星空。美しくないものを消していく。全部が消えてしまったらまた別の星空を思い描いて増やす。消して、増やして、消して、増やして、消して、増やして、至高の星空を目指して潜り続ける。

 こうやって星空のことを考えている時、棋士はどこまでも孤独だ。星河は一人、星空を彷徨い歩く。

 やがて一つの星空の中に麗奈を見つけた。ああ、そうだった。星河は一人ではなかった。麗奈もまたこうやって彷徨っているのだ。

(だって星空はふたりで紡ぐものだから)

 麗奈と手をつなぐ。見つめ合い、二人で一緒に潜っていく。その先に、星河が求めた星空があった。

「残り三分」

 空牙が時間を読み上げた瞬間、星河は次の一手を打った。麗奈が目を見開く。

「まさか……しのげるの……?」

 しのげる。複雑な筋だが黒が切ろうとすれば他が良くなる。最強の応手、取られたはずの一子が蘇って牙を剥く。これなら麗奈の地を削って星河のほうが半目勝る。麗奈の残り時間も少ない。互いに全力で最善の一手を打ち、終局へと向かっていく。

 星河の白が、麗奈の黒が、互いにぶつかり合って星空を紡いでいく。

 終わる。終わってしまう。この楽しい時間が、幸福な時が終わってしまう。悲しい顔を見せる星河に、麗奈は笑ってみせた。

「馬鹿ね。また打てばいいじゃない」

 そうだね、また打とう、お義姉ちゃん。星河が最後の一手を指した。

「ありません」

 麗奈が頭を下げた。223手完、白中押し勝ち。

「勝者、新開星河」

 空牙が星河の勝利を宣言した。

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