悪人の教えに逆らって旅、沈没船
僕の日常というのは、「今」、「ここ」にあります。もし「今」か「ここ」のどちらか片方でも取り外そうものなら、その日常は急に不安定になり、あっという間に僕の日常はなくなるでしょう。
日常と「今」とのそんな結びつきを取り外そうと試みた意欲的な作品があります。"Stranger" by Olivia Arthur
約半世紀前、ドバイで沈んだ船がありました。インドとパキスタンとペルシャ湾とを結ぶ船でした。238人が亡くなったと言われています。
その内の一人が時空を飛び越え、約半世紀後の今のドバイにたどり着いたようなストーリーが始まります。ドバイに行き夢見た何がしかになる未来の夢を見みた出稼ぎに来たある男の視点でストーリーが描かれていきます。
彼は働きつづけ、仕送りをしながら生活をし、わずかばかりの貯蓄を作っていきます。家族には直接は会えず、時折スカイプで大きくなった子どもや妻と話をします。
そして長い期間の出稼ぎが終わり、約120g(10tora)の金を身につけ国へ帰るその船が沈み、ダイバーがその金を見つけて、ストーリーが終わります。
この本にはいくつかの時間の層があるよう感じます。約半世紀前の船の沈んだ過去の時間、男が出稼ぎをしてきた現在完了進行形(have been Ving)の時間、ダイバーが金を見つけた現在の時間。それを表現するにふさわしい、トレーシングペーパーのような特殊な紙に独自の印刷・製本方法が用いられています。
3つの時間の層が重なるよう、それぞれの半透明の写真が重なり合い、「今」は不安定なものとなり、日常の脆さ儚さが浮き上がってきます。
このドバイという街も、船の沈没した1961年には9万人しかいなかった町でしたが、今では200万人を超えている富の集積を象徴する大都市になっています。発展しつづけるこの街の人々は未来ばかりを語り、過去を見ない。Olivia Arthurはその違和感を作品とし、日常から「今」を引き剥がし、日常への見つめ直しを、読む人に見る人に問題提起しているよう感じます。
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